個人情報保護のため削除部分あり南北朝初期室町幕府において、下文等将軍発給文書の後に出された執事施行状は、内乱初期の混乱した社会情勢に対する幕府の対策として出現した考えられる。守護に遵行による下文の実現を命じるなど、下文には存在しない重要な機能を有しており、従来暗黙のうちに了解されてきたような、単なる下文の添え物ではない。初期には、下文拝領者の申状提出を受けてかち発給の可否を決定する方式(申請式) が主流であったが、申状なしで自動的に発給する方式(自動式) が現れ、年を追うごとに自動式の割合が増加していった。発給手続が簡素化されることによって、徐々に執事施行状の発給は原則化されていったと考えられる。観応三(一三五二) 年九月に制定された室町幕府法迫加法第六〇条によって施行状の存在は追認された。その後は執事・引付頭人・将軍が施行権をめぐって争った。細川頼之期に執事の手に帰し、最終的に執事施行状が定着した。Although research into the rewards-policy of the Muromachi shogunate in the early Nambokucho period does not appear to have progressed greatly when compared to the study of the judiciary system of the same period, it is necessary to further develop such research to gain an understanding of the political history of the period because the rewar...