中世のフランスにおける裁判の証明方法と社会との関係を、一三世紀における転換の前の時期に焦点を当ててあきらかにすることが本稿の目的である。調査の対象とした一一、一二世紀の西フランスでは、伝統的な神判・法廷決闘が最終的な証明方法として依然用いられていた一方で、証人・証書の利用もすでにそれに劣らぬ頻度で見られた。ただし、一三世紀以降の証人尋問において証言が義務化されるのとは対照的に、この時点では、証人は自発的に訴訟人の側に立って証言し、場合によっては神判・法廷決闘すら引き受ける存在であった。とくに修道士たちはこうした証人を確保するために、寄進や封の授受のさいの友愛や忠誠の関係を利用していた。こうした法廷外の人的紐帯がこの時代の証明の多様性の社会的背景となっていたのである。しかし、一二世紀初頭以降アンジュー地方を皮切りに導入されはじめる証人尋問が、こうした領主社会の人的結合関係を掘り崩してゆくことになる。Ill est adms que le XIIIe siecle voit le developement des moyens nouveaux de preuve judiciaire comme temoins et actes et, d' autre part, le recul des moyens traditionnels, c'est-a-dire l'ordalie et le duel. Cet article vise a montrer, d'abord, que on assistait a la diversite des preuves dans les deux siecles precedents, et puis, que il y avait ...