個人情報保護のため削除部分ありアソシャン=レジーム下の中等教育機関であったコレージュは、その大部分がイエズス会などの修道会によって運営されていたが、そこでの教育は何よりも宗教上の目的に従って組織されていた。パリ高等法院は一七六一年にイエズス会を解散させて、自らコレージュの再建に乗り出す。その中心人物となったロラン=デルスヴィルが構想したのは、修道会に代わって国家が教育を担うこと、画一的な「国民教育」を実現すること、そして教育の力によってアンシャン=レジーム社会自体の変革をもめざすということであった。イエズス会退去後のコレージュには「運営理事会」が設置されたが、コレージュ教育の画一化に向けて講じられたこの措置は、かえってコレージュの多様化をもたらす結果となり、聖職者たちの反対をも引き起こした。改革はただちに大きな成果をあげることはなかったが、宗教に付随してきた従来の教育のあり方を変えるべく着手された初めての試みとなった。La plupart des colleges sous l'Ancien Regime etaient administres par les congregations religieuses, surtout par les Jesuites, dont le but etait la formation de chretiens fideles et sinceres. Mais la societe des Jesuites fut dissoute par le Parlement de Paris, son ennemi jure. Ce fut la chute de l'enseignement secondaire. Le Parlement...