個人情報保護のため削除部分あり従来、江南地方を中心とする民間での銀遣いの展開が明初の鈔法を崩壊に導いた主因とされてきた。本稿は、元末明初期の徽州土地売契から窺われる貨幣流通の変遷を追うことを通して、右の理解とは異なる見解を対置する。即ち、洪武・永楽期に行われていた鈔遣いは洪熈・宣徳以降急速に姿を消すものの、これに伴って徽州で優勢となるのは国庫通用性に支えられた布帛遣いであった。民間での銀遣いは、徐々に進行する租税銀納化のあとを追う形で一般化するのであり、明朝の統制を無視して展開する訳ではなかった。明朝に租税銀納を促したものは、民間での銀遣いの普及とそれに伴う妙法の不振ではなく、遠隔地間の大規模な財物移動を円滑に遂行することを必須とするようになった永楽以降の行・財政システムだったといえる。妙法の崩壊や民間での銀遣いの一般化は、明朝の行・財政システムの転換にその原因を求め得る。Conventionally, the increasingly popular use of silver among people in the Jiangnan region has been held responsible for the collapse of the paper currency system in the early Ming. The purpose of this article is to provide a different explanation by following changes in the circulation of currency as reflected in land sale contracts in Huizhou during the ...
個人情報保護のため削除部分あり一三六八年、元末の混乱を収拾して、朱元璋は明王朝を創設した。王朝樹立の原動力となったのは、朱元璋が基盤とした江南地方の地主層であった。彼らの人的・物的支持があればこそ、明...
一九六二年七月五日、龍大の講演のテキスト。龍大所蔵の西域文書の重要性について述べ、併せて西域文化研究会の研究と出版の業績の偉大さに言及した。西域は中国文化と中央アジア文化の交流混合の所 (例、銅銭と銀...
従来、中国戦国時代の重量制度は甚だ複雑なものであったとされる。中でも鋝・鍰の単位重量については早く後漢時代に諸説があり、混乱が生じてゐる。筆者は戦国時代の遺物、銘文の資料を利用して鋝と鍰に関する古今の...
個人情報保護のため削除部分あり明末清初の江南において、書画骨董の蒐集と鑑賞は中国史上空前の活況を呈し、同時に芸術作品の商業化が進展した。本稿は、呉其貞『書画記』の記述に即して、当時の書画骨董の流通を担...
個人情報保護のため削除部分あり本稿においては、明清時代の珠江デルタを対象として、特定の地域における宗族形成の実態を追求した。その結果明らかにされたのは、明代中期以降、郷紳等の階層が、その在世中に商業・...
明代の役法に関する研究は、かなり早くから行われているが、従来は里甲制をめぐる研究か多く、里甲の役以外の雑役についてはあまりとり上げられなかった。本稿は雑役に関する諸問題のうち、とくに均徭における銀差の...
十三世紀、モンゴル人が北中国の地を征服した時、モンゴル政権の内部に、強烈なモンゴル至上主義をふりかざす一派に対して、漢人および漢文化を保護しようとする文化主義の一派があつた。この文化主義派の中にも、二...
個人情報保護のため削除部分あり嘉慶以降、国家財政が窮乏化すると、独自の財源を持たない地方当局は商税に注目するようになる。四川省巴県(重慶) では、既に乾隆期から差務と呼ばれる地方行政協力費が商人層より...
論説(Article)本稿は、明治初年に実施された旧藩札と新貨との交換(藩札整理)の実態について数量分析の立場から明らかにすることを狙いとしており、次のような興味深い事実を見出した。藩札の新貨との交換...
中国の歴朝において売官の事例は枚挙に遑なく、その歴史上に有する意義も区々であるが、その中後漢書の霊帝紀には、光和元年初めて西邸を開いて官を売り、関内侯より虎賁・羽林にいたるまで銭を入れ各々差あり、西園...
秦漢帝国の瓦解から隋唐の中間的統一に至るまでの中国の都市の有様について目につくことは、(1)長安・洛陽の如き旧都は何度もの破壊にも拘らず、新しい支配者 (多くは遊牧民族) により修復され、漠代には地方...
publisher[注記]商学編[目次] 1.はじめに, 2.アジア経済危機前後の状況, 3.中国元切り下げの貿易および海外直接投資への影響 3.1世界の直接投資の現状 3.2発展途上国...
本稿は、契丹(遼) と北宋の間で一○〇四年に結ばれた、いわゆる澶淵の盟の歴史的背景について検討し、盟の性格について考察するものである。 具体的には、まず澶淵の盟における規定あるいは盟後の両国関係におい...
元禄・享保年間は近世貨幣経済の発展期であると共に、貨幣制度の混乱期であった。享保改革に於いては、通貨政策は最も難しい政治問題となったが、之につき、一般に貨幣史研究の立遅れの為に詳しい実情が知られて居な...
漢代の画象石の機織圖は既知の三種に新出のものを加えて五種となつた。この機織圖に基き、その技術的解明を試みた。先奏や魏晋以降の機織法は具體的に知る史料がないが、我彌生式土器時代及古墳時代の機織法は幸い出...
個人情報保護のため削除部分あり一三六八年、元末の混乱を収拾して、朱元璋は明王朝を創設した。王朝樹立の原動力となったのは、朱元璋が基盤とした江南地方の地主層であった。彼らの人的・物的支持があればこそ、明...
一九六二年七月五日、龍大の講演のテキスト。龍大所蔵の西域文書の重要性について述べ、併せて西域文化研究会の研究と出版の業績の偉大さに言及した。西域は中国文化と中央アジア文化の交流混合の所 (例、銅銭と銀...
従来、中国戦国時代の重量制度は甚だ複雑なものであったとされる。中でも鋝・鍰の単位重量については早く後漢時代に諸説があり、混乱が生じてゐる。筆者は戦国時代の遺物、銘文の資料を利用して鋝と鍰に関する古今の...
個人情報保護のため削除部分あり明末清初の江南において、書画骨董の蒐集と鑑賞は中国史上空前の活況を呈し、同時に芸術作品の商業化が進展した。本稿は、呉其貞『書画記』の記述に即して、当時の書画骨董の流通を担...
個人情報保護のため削除部分あり本稿においては、明清時代の珠江デルタを対象として、特定の地域における宗族形成の実態を追求した。その結果明らかにされたのは、明代中期以降、郷紳等の階層が、その在世中に商業・...
明代の役法に関する研究は、かなり早くから行われているが、従来は里甲制をめぐる研究か多く、里甲の役以外の雑役についてはあまりとり上げられなかった。本稿は雑役に関する諸問題のうち、とくに均徭における銀差の...
十三世紀、モンゴル人が北中国の地を征服した時、モンゴル政権の内部に、強烈なモンゴル至上主義をふりかざす一派に対して、漢人および漢文化を保護しようとする文化主義の一派があつた。この文化主義派の中にも、二...
個人情報保護のため削除部分あり嘉慶以降、国家財政が窮乏化すると、独自の財源を持たない地方当局は商税に注目するようになる。四川省巴県(重慶) では、既に乾隆期から差務と呼ばれる地方行政協力費が商人層より...
論説(Article)本稿は、明治初年に実施された旧藩札と新貨との交換(藩札整理)の実態について数量分析の立場から明らかにすることを狙いとしており、次のような興味深い事実を見出した。藩札の新貨との交換...
中国の歴朝において売官の事例は枚挙に遑なく、その歴史上に有する意義も区々であるが、その中後漢書の霊帝紀には、光和元年初めて西邸を開いて官を売り、関内侯より虎賁・羽林にいたるまで銭を入れ各々差あり、西園...
秦漢帝国の瓦解から隋唐の中間的統一に至るまでの中国の都市の有様について目につくことは、(1)長安・洛陽の如き旧都は何度もの破壊にも拘らず、新しい支配者 (多くは遊牧民族) により修復され、漠代には地方...
publisher[注記]商学編[目次] 1.はじめに, 2.アジア経済危機前後の状況, 3.中国元切り下げの貿易および海外直接投資への影響 3.1世界の直接投資の現状 3.2発展途上国...
本稿は、契丹(遼) と北宋の間で一○〇四年に結ばれた、いわゆる澶淵の盟の歴史的背景について検討し、盟の性格について考察するものである。 具体的には、まず澶淵の盟における規定あるいは盟後の両国関係におい...
元禄・享保年間は近世貨幣経済の発展期であると共に、貨幣制度の混乱期であった。享保改革に於いては、通貨政策は最も難しい政治問題となったが、之につき、一般に貨幣史研究の立遅れの為に詳しい実情が知られて居な...
漢代の画象石の機織圖は既知の三種に新出のものを加えて五種となつた。この機織圖に基き、その技術的解明を試みた。先奏や魏晋以降の機織法は具體的に知る史料がないが、我彌生式土器時代及古墳時代の機織法は幸い出...
個人情報保護のため削除部分あり一三六八年、元末の混乱を収拾して、朱元璋は明王朝を創設した。王朝樹立の原動力となったのは、朱元璋が基盤とした江南地方の地主層であった。彼らの人的・物的支持があればこそ、明...
一九六二年七月五日、龍大の講演のテキスト。龍大所蔵の西域文書の重要性について述べ、併せて西域文化研究会の研究と出版の業績の偉大さに言及した。西域は中国文化と中央アジア文化の交流混合の所 (例、銅銭と銀...
従来、中国戦国時代の重量制度は甚だ複雑なものであったとされる。中でも鋝・鍰の単位重量については早く後漢時代に諸説があり、混乱が生じてゐる。筆者は戦国時代の遺物、銘文の資料を利用して鋝と鍰に関する古今の...