個人情報保護のため削除部分あり嘉慶以降、国家財政が窮乏化すると、独自の財源を持たない地方当局は商税に注目するようになる。四川省巴県(重慶) では、既に乾隆期から差務と呼ばれる地方行政協力費が商人層より半強制的に徴収されていたが、嘉慶白蓮教反乱鎮圧のための軍差賦課を契機として次第に強化・恒常化されるようになった。威豊以降、差務は釐金の付加税部分に収斂され、従来公的には殆ど認められていなかった地方財政を不完全ながら制度化させた。 差務負担の公平化と忌避の防止を図るため、商人は同業者間の結束を強化した。その役割を担ったのが幇である。幇は会館の下部団体で同業組合中心に組織され、各牙行を介して差務そして釐金の徴収を請け負い、清末以降商会を形成した。一方、本来客商の同郷組合であった会館は、従来の商業秩序維持・紛争調停機能の他、釐金付加税を基礎に地方行政へも参画していった。地方財政の公的制度化と商人層の地方行政への誘導を通して、四川では新たな地域支配体制が構築されていったのである。From the Jiaqing period (1796-1820) on, as the central government became increasingly short of funds, the local government authorities, which had no independent sources of revenue of their own, began to pay attention to the commercial tax. The government of Ba 巴 county (comprising the city of Chongqing) in Si...
発足当初の関東州の阿片制度には、容易には理解し難い奇妙な事柄が三点見られる。これを一つ一つ、現地中国人阿片商の動向との関わりに留意しながら考察すると、関東州を台湾産煙膏の独占市場に仕立て上げるのが、こ...
個人情報保護のため削除部分あり小論は、南宋における新県成立過程の実態究明を通じて、県をめぐる地域住民と官府との関係を検討し、基本的な地域単位である県のあり方を多角的に捉えるための具体像を提示するもので...
佐賀藩初期の極端な財政窮乏には、基礎的な条件として、蔵入の比率が小さかったことを指摘できる。その理由としては、佐賀藩が元来蔵入に乏しかったであろう戦国大名の領国の後身であったのに加えて、大名が龍造寺氏...
個人情報保護のため削除部分あり清末の二度の賠償金と新軍創設を中心とする権力的改革は、各省政府に急激な財政膨張を強制する。改革を強力に推進した湖北省の場合、それに伴なう経費膨張に対し、通過税・消費税を中...
個人情報保護のため削除部分あり清代の財政制度は、戸部が徴税勲賞に基づいて徴収する国家財政と、州県が地方行政経費を民間より慣習的に徴収する不正規財政との二重構造を形成していた。一九世紀以降、正項銭糧の減...
個人情報保護のため削除部分あり本稿においては、明清時代の珠江デルタを対象として、特定の地域における宗族形成の実態を追求した。その結果明らかにされたのは、明代中期以降、郷紳等の階層が、その在世中に商業・...
[[abstract]]明代財政的研究,長久以來是學界關注的問題之一。在明代財政研究中,州縣層級的地方政府財政卻較少被討論。本文以嘉興府內各縣為主要討論的地區,利用縣內規定賦役額數的《賦役全書》,來分...
英文タイトル訂正済み(72巻5号p.819による)西周末期に行われた鄭の「封建」は、周王朝の封建制の実態を知る上で貴重な実例となるものである。しかし、この西周末期から王朝の東遷期にかけての時代は、同時...
個人情報保護のため削除部分あり従来、江南地方を中心とする民間での銀遣いの展開が明初の鈔法を崩壊に導いた主因とされてきた。本稿は、元末明初期の徽州土地売契から窺われる貨幣流通の変遷を追うことを通して、右...
宋代地方官の機密費を公使銭という。これを貯蔵しておく倉庫が公使庫である。公使銭は衙門の修理、その他地方政治の運営のために使用されるが、その主なる目的は外国使臣、通過官吏の接待、軍隊の犒賞にあった。とこ...
明代の役法に関する研究は、かなり早くから行われているが、従来は里甲制をめぐる研究か多く、里甲の役以外の雑役についてはあまりとり上げられなかった。本稿は雑役に関する諸問題のうち、とくに均徭における銀差の...
M.Phil.Sizong, the last emperor of Ming, had to fight precarious wars against the bandits in the nor...
個人情報保護のため削除部分あり同善会は、明末に生れ、すくなくとも清末まで続いた代表的な善会(社会福祉団体) である。にもかかわらず、これまで同善会が正面からとりあげられることはなかった。本稿は、中国社...
個人情報保護のため削除部分あり本稿は南詔国後半期(七九四-九〇二) の唐との関係の検討を通じて、これまで不明の点が多かった南詔国の対外遠征の動機、および歴史的背景を明らかにし、ひるがえって南詔国の国家...
個人情報保護のため削除部分あり中国明清時代における徭役制度は、中央と地方の財政を賄うものだけでなく、行政制度と官僚制度に対しても重要な役割を持っていたはずである。徭役制度と行政制度、官僚制度の関係、あ...
発足当初の関東州の阿片制度には、容易には理解し難い奇妙な事柄が三点見られる。これを一つ一つ、現地中国人阿片商の動向との関わりに留意しながら考察すると、関東州を台湾産煙膏の独占市場に仕立て上げるのが、こ...
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宋代地方官の機密費を公使銭という。これを貯蔵しておく倉庫が公使庫である。公使銭は衙門の修理、その他地方政治の運営のために使用されるが、その主なる目的は外国使臣、通過官吏の接待、軍隊の犒賞にあった。とこ...
明代の役法に関する研究は、かなり早くから行われているが、従来は里甲制をめぐる研究か多く、里甲の役以外の雑役についてはあまりとり上げられなかった。本稿は雑役に関する諸問題のうち、とくに均徭における銀差の...
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個人情報保護のため削除部分あり小論は、南宋における新県成立過程の実態究明を通じて、県をめぐる地域住民と官府との関係を検討し、基本的な地域単位である県のあり方を多角的に捉えるための具体像を提示するもので...
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