個人情報保護のため削除部分あり本稿は南詔国後半期(七九四-九〇二) の唐との関係の検討を通じて、これまで不明の点が多かった南詔国の対外遠征の動機、および歴史的背景を明らかにし、ひるがえって南詔国の国家構造、および後半期におけるその変化について考察するものである。南詔国は王族蒙氏を含む有力氏族の一種の連合政権であり、その中で唐との関係、すなわち南詔王への冊封、および吐蕃に対する共同作戦から得られる利益が蒙氏の優位を支えていた。しかし吐蕃の衰退により、九世紀中葉にはこの関係は破綻した。南詔国は唐の領域へ大規模な侵攻を行ったが、それは冊封を拒否した唐の行為への抵抗であると同時に、帝号を称して唐と対等の関係を結ぼうとする南詔王の示威行動でもあった。また、ヴェトナム北部への侵攻に際しては東部の昆明盆地を根拠とする有力氏族の成長をうかがうことができる。対外遠征の終息後、九世紀の末には南詔王の権威は低下し、昆明盆地の勢力を中心に雲南地方内の秩序は再編されつつあった。The purpose of this paper is to examine the relations of the Nanzhao kingdom with Tang China in the latter half of the 9th century especially, the motives and historical surroundings of Nanzhao's invasion of Sichuan and Annan in this period. In the Nanzhao kingdom, the ruling clans including the royal family formed a...
個人情報保護のため削除部分あり中国近代史は阿片戦争の敗北をもって始まるが、この時期に生存し、中国の内政・外交にわたる危機を世人に訴えて、多くの改革案を明らかにした公羊学者・魏源について考察する。魏源は...
個人情報保護のため削除部分あり大隈条約改正交渉の収拾策としての明治二二年一二月一○日付閣議決定は、井上毅法制局長・伊東枢密院書記官長らの批准拒絶方針と、井上馨農商相・青木外相代理らの修正要求提起方針と...
個人情報保護のため削除部分あり中国明清時代における徭役制度は、中央と地方の財政を賄うものだけでなく、行政制度と官僚制度に対しても重要な役割を持っていたはずである。徭役制度と行政制度、官僚制度の関係、あ...
英文タイトル訂正済み(72巻5号p.819による)西周末期に行われた鄭の「封建」は、周王朝の封建制の実態を知る上で貴重な実例となるものである。しかし、この西周末期から王朝の東遷期にかけての時代は、同時...
個人情報保護のため削除部分あり日清戦争は日本の大陸国家化の第一歩であるとともに極東の帝国主義的分割の開始を告げるものであった。この日清戦争とその後の分割については、これを不可避とする状況(日本政府の対...
個人情報保護のため削除部分あり室町時代における延暦寺の政治史的な研究は、いままで主として、金融を営なむことによって京都に進出した山徒を中心に論ぜられてきた。しかし、この時代の延暦寺の政治史、とくに幕府...
十三世紀、モンゴル人が北中国の地を征服した時、モンゴル政権の内部に、強烈なモンゴル至上主義をふりかざす一派に対して、漢人および漢文化を保護しようとする文化主義の一派があつた。この文化主義派の中にも、二...
個人情報保護のため削除部分あり訂正あり(64巻3号p.458)西原借款で有名な西原亀三は日記とぼう大な文書を残している。本稿はその研究の一部で、大隈内閣末期を論じた別稿に続くものである。期間は寺内内閣...
個人情報保護のため削除部分あり清朝による常駐使節の派遣はこれまで、清朝による欧米を申心とした「条約システム」への適応の一環として捉えられてきた。このため従来の研究ではハート等在華外国人の与えた思想的影...
個人情報保護のため削除部分あり初期議会期、府県制郡制は改正を求める民党とそれを拒否する藩閥政府との間で政治的争点となっていた。しかし日清戦後の第二次松方正義内閣の時、行政内容の質的変化と、府県知事の権...
訂正あり(95巻3号p.595)戦国末期から秦代にかけての県については、かねてから睡虎地秦簡が法制に関する情報を提供していたが、近年の里耶秦簡の出土によって行政運用の実態面をも捉えることが可能になった...
個人情報保護のため削除部分あり前漢時代の地方組織として、一郡の長官たる太守のもとに軍事を束ねる都尉がおかれていた。都尉は秩の上で太守ときわめて近い位置にあるだけでなく、太守と同様、府を開いて治所をもち...
西方代議制所假想的公民文化,在中國文化地區內,沒有歷史的支持,而且這些代議制所共賴的資本主義經濟,和分別源出的封建體制或宗教背景,都不曾見於近代中國的經驗中。故認為將代議制度移諸中國後,就可以發展出成...
個人情報保護のため削除部分あり一九世紀後半の西欧植民地勢力の進出は、ラタナコーシン朝旧制度下のタイ社会に急激な変動をもたらした。チャクリ改革は西欧植民地勢力の外圧を直接的契機とし、それに対応する五世王...
個人情報保護のため削除部分あり本稿においては、明清時代の珠江デルタを対象として、特定の地域における宗族形成の実態を追求した。その結果明らかにされたのは、明代中期以降、郷紳等の階層が、その在世中に商業・...
個人情報保護のため削除部分あり中国近代史は阿片戦争の敗北をもって始まるが、この時期に生存し、中国の内政・外交にわたる危機を世人に訴えて、多くの改革案を明らかにした公羊学者・魏源について考察する。魏源は...
個人情報保護のため削除部分あり大隈条約改正交渉の収拾策としての明治二二年一二月一○日付閣議決定は、井上毅法制局長・伊東枢密院書記官長らの批准拒絶方針と、井上馨農商相・青木外相代理らの修正要求提起方針と...
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英文タイトル訂正済み(72巻5号p.819による)西周末期に行われた鄭の「封建」は、周王朝の封建制の実態を知る上で貴重な実例となるものである。しかし、この西周末期から王朝の東遷期にかけての時代は、同時...
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個人情報保護のため削除部分あり中国明清時代における徭役制度は、中央と地方の財政を賄うものだけでなく、行政制度と官僚制度に対しても重要な役割を持っていたはずである。徭役制度と行政制度、官僚制度の関係、あ...