個人情報保護のため削除部分あり古墳時代に中国鏡を模倣して大量に製作された倣製鏡については、これまで時間的位置づけがほとんどなされていなかった。本稿では、鏡の文様の一番外側の部分にあたる外区文様が時間の指標として有効であることを示し、内区文様の分類によって得られた系列の変化と外区文様の変化の組合せを対照して倣製鏡の編年を組立てた。その結果、従来一元的と評価されがちであった倣製鏡の変遷を多数の系列の変化の平行ととらえ、さらに系列の大きな交代が示す、二つの画期が存在することを明らかにした。この変革は同時期に用いられた中国鏡の変化や分布の変化とも結びつき、鏡のもつ意味自体の変革とつながるものと考える。倣製鏡の生産は文様上の退化を繰り返しながらも、古墳時代の終末に至るまでの長期間存続した。それは社会的状況の変化に対して、幅広くかつ柔軟に対応しえた鏡の特質を象徴しており、日本の古代社会において鏡が盛行した理由をも求められる。It is a distinct feature of the Yayoi 弥生 and Kofun 古墳 Period that various Japanese-made mirrors had been manufactured taking mirrors imported from China as prototypes. This can be an important clue to the understanding of the society of that time. But basic research needed is inadequate. In particular, the chronology of Japanese-made mi...