個人情報保護のため削除部分あり『平安遺文』に収められた田券類にしばしば見られる「林田何段」というような記事は、今日まで林田と呼ばれる小字地(坪) の田畠何段という風に読まれてきているが、これは、本来は林田農法という特殊具体的な経営方式から起った名称で、焼畑農法から発達した切替え輪作方式による田畠であることを示しているのである。その具体像は本文で述べるが、小論がこの林田農業に着目する所以は、山林原野の開発で占めたその比重を明らかにし、それが分業的生産や交易とも深く有機的に結びついた山野用益形態であり、小農経営の展開はもとより、家父長的農奴主層の地主的土地所有の展開の基盤となり、中世的土地所有成立の一前提たる意味を担ったことを明らかにしようとするものである。そして、それが中世初期における第一次的複合村落共同体の発達の一契機となり、一〇世紀以後の荘園領主的な領域的土地所有の端緒ともなっていく様子を垣間見たいと思う。In den landwirtschaftlichen Urkunden, die im Archiv "Heian Ibun" 平安遺文 aufgenommen werden, finden wir oft das Wort "Rinden" 林田 als das Flächenmaß der Flur. "Rinden" kommt ursprünglich von der Rinden-landwirtschaft, d. h. der eigenartigen, von der Yakihata-焼畑 landwirtschaft entwickelten Wechsellandwirtschaft, her. In dieser Abhandlung entwe...
個人情報保護のため削除部分あり「はじめにナポレオンありき」というニッパーダイのテーゼは、近年漸く修正を受けつつある。例えば、フィーアハウスは、七〇年代の諸研究によれば当時ライン連邦に属した西南ドイツ諸...
個人情報保護のため削除部分あり従来のドイツ市民層研究において、ライン市民層に関してはブルジョア的階級利害の代表者としてその政治的「弱さ」がとくに強調され、また、鉄道建設を通じての彼らの国家への「従属化...
現在のドイツは、日本などと異なり、財団の活動が活発である。その淵源はすでに近世に見いだせる。しかし近世ドイツの財団・基金の歴史は、ほとんど未開拓の分野である。将来宗派・地域史の観点から財団に関する比較...
個人情報保護のため削除部分あり騎士団領プロイセンにおいては一四〇〇年までに約一四〇〇のフーフェ賃租村落と九三の都帯が建設された。村落建設の最古のハントフェステは十二八二年のものであるが、農民の移植は個...
個人情報保護のため削除部分あり一九世紀ドイツの都市では人口増大にともない住宅間題が顕在化し、市民層がそれに対処するため改革にのりだす。筆者は、前稿において一九世紀中葉の住宅改革運動の特徴として、市民と...
再保障条約の不更新が、ビスマルク体制を崩壊させる原因となったことについては、主として後の露仏二国同盟の成立という結果から説明されている。しかし、ロシアがフランスとの結合を求めるに至ったのは、この再保障...
所属は追加(74巻2号p.298)による近年の近世ドイツ国制史研究において顕著な動向のひとつとして、連邦的体制としての帝国(神聖ローマ帝国) 国制の重視、を指摘することができる。本稿の取り扱う帝国クラ...
個人情報保護のため削除部分あり一九一八年革命を経て「ユンカーの保護」=「穀物の保護」という形をとった農業政策が崩れさった後、農業政策はどのような方向に進み、農業者はどのような状況下にあったのだろうか。...
個人情報保護のため削除部分あり一八七八年ビスマルクにより導入された社会主義者鎮圧法の下、SPDが被った発禁は定期刊行物延べ百五十五、不定期刊行物約一千二百に達した。出版の自由に対する「例外法」として編...
個人情報保護のため削除部分あり従来のドイツ自由主義研究は、ライン自由主義のブルジョワ的性格のみを一面的に強調する傾向にあった。本稿は、ケルンにおける市議会選挙の展開を実態的に解明することにより、ライン...
個人情報保護のため削除部分あり一八四七年にマルクス他若干名の共産主義者とロンドンの義人同盟の指導部とが中心になって組織された共産主義者同盟は、早くも翌四八年に革命に遭遇した。同盟は、本部をロンドンから...
個人情報保護のため削除部分あり長らく等閑に付されてきた一六世紀後半以後の神聖ローマ帝国の政治的体制を、近年の研究は、中心としての帝国議会の機能によって多様性に富む帝国国制の構造に一体性がもたらされた体...
個人情報保護のため削除部分ありドイツにおいては第二帝政期に、急速な工業化によって、労働者層の住環境が社会問題として認識された。この問題に対して、一方で住宅を建設し性状を改善する方法が採られた。これはや...
個人情報保護のため削除部分あり一八一二年ボンでユダヤ系商人の息子として生まれたモーゼス・ヘスは、ドイツの最も初期の社会主義者の一人。彼は一八三七年『人類の聖史』を出版し、宗教的社会主義者として登場する...
個人情報保護のため削除部分ありヨーロッパ中世都市研究において自治の形成・発展に関する議論は盛況であるが、自治の制度的変化や権力関係が論じられることはあっても自治を支えたイデオロギー的背景や市民意識が問...
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