本論は、ボードレールの詩集『悪の華』の一篇「無能な修道僧」を、その源泉となったピサのカンポサントにあるフレスコ画〈死の勝利〉の美術的な再評価、文学的な受容という歴史的文脈に位置づけて読解し、その独創性を明らかにする試みである。 19世紀フランスにおける初期ルネサンス芸術の再評価は新古典主義の信奉者たちによって、古典芸術の優位を前提とした紹介によって始まる。彼らは単純素朴な精神性を中世芸術に見出し、1830年代には、初期ルネサンス芸術を讃え、盛期ルネサンス芸術を退廃と批判する理論家たちが登場した。この頃には、画家たちも初期ルネサンス芸術の作品を盛んに模写していた。そして、この文脈において、カンポサントと〈死の勝利〉は中世芸術の宗教性を象徴するものとして名声を得た。 他方、教会が精神的な権威を失った事実を背景として、ロマン主義者たちは中世というキリスト教に刻印された時代を懐古した。7月革命後のブルジョワが権力を握った社会において、幻滅から出発した詩人たちは、素朴な信仰を抱き、無名のまま、傑作を描いて死んだ中世の芸術家との対比において、無信仰に、孤独のうちに生きる現代の芸術家の困難iな条件を嘆いた。宗教に帰依することはないまま、彼らは修道院を逃避の場としてのみ夢想し、修道院にして墓所であるカンポサントで修道士画家が描いたと信じられていた〈死の勝利〉は、この意味で、恰好の文学的主題となった。 中世の芸術家と現代の芸術家の対比という当時ありふれた主題を扱いつつも、「無能な修道僧」はこうした文脈からの離脱を特徴としている。エクフラシスの伝統から離れ、源泉を隠す操作が様々に施されたこのソネは、中世の芸術家を理想化する当時の紋切り型とは反対に、現代の芸術家が抱える不能そのものを作品の主題とす...