山駕籠に乗り大谷川(だいやがわ)を渡る日本女性を撮影したステレオ写真。この写真では撮影場所を特定するのは難しい。しかし、山駕籠で山岳渓流の狭い桟橋を渡る様子から察するに、馬返(うまがえし)付近の渓谷かと思われる。Two men carry a woman in a "yama-kago" (mountain palanquin) across Daiya River. The location is unclear, but the style and type of bridge over the narrow mountain river suggests that it is the gorge near Umagaeshi
町中の小川に架かる小さな橋を渡る山駕籠。2人の駕籠舁きは、整理番号40-30の写真の駕籠舁きと同一人物か。A mountain palanquin crosses the small bridge o...
箱根宿の新町から箱根関所跡方向に向いた構図。背後の山は、駒ヶ岳。駕籠屋のいる街道は東海道(現在の国道一号線)で、この新町の写真右手の家屋は南西方向向きなので、子供や老人がひなたぼっこをしているような様...
相模川のほとり。田名(たな)。大山を頂とする山脈を背景にした大きな川。雪解けや雨期には増水して4~500ヤードの川敷は全て水でおおわれる。The Far East 明治4年(1871)8月2日号。「復...
大谷川右岸の稲荷町付近から撮影したと思われる。手前が大谷川(だいやがわ)。画面中央奥からの流れは稲荷川。稲荷川を挟んで左に恒霊山(こうれいざん)、右に外山(とやま)が見える。遠方の連山は女峰山(にょほ...
ここに見える駕籠は、山駕籠という粗末なもの。背景の杉並木は、日光か箱根のものであろう。駕籠の行列が、街道の道筋とは異なっているのが不自然である。恐らく撮影のための演出であろう。The palanqui...
大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年...
箱根元箱根の杉並木に並ぶ山駕籠と雲助の行列で、何度も複製されて、箱根の雲助の写真として有名だが、最初の写真はネガ番号から日下部金幣の撮影と思われる。いかにも、土産用に作られた不自然な配列である。A p...
大涌谷の茶店と山駕籠の行列である。大涌谷の観光には、徒歩の他に、駕籠やチェアー(足の長い外国人用)と呼ばれる乗物が使われた。ネガタイトルから宮の下で写真館を営む嶋周吉氏の撮影と分かる。向かいの山は冠岳...
芝川町長貫(ながぬき)と瀬戸島(せとじま)の間の富士川の難所釜口峡(かまぐちきょう)に架かる吊り橋を南から撮影したもの。ここは両岸が切り立った崖で川幅が最も狭く、江戸時代には富士川に架かる唯一の橋であ...
茂木村の入り江に注ぐ若菜川(大川尻)を北浦方面の岬へと渡る若菜橋。河口付近は42間(約75m)あり、明治中期に土橋から木橋に架け替えた。右手には長崎ホテル茂木支店があった。左先には北浦へ続く道がある。...
本写真と類似のたたずまいを見せる「箱根宿」のタイトルのある古写真が存在する(「幕末日本の風景と人々」写真87)。本写真の場所の特定はできないが、幕末の宿場の様子をよく伝えるものといえよう。There ...
明治13年(1880)の小林清親画「箱根底倉湯本萬年橋」に描かれた蛇骨川(じゃこつがわ)と同じ場所を写したもの。アングルから言って萬年橋の上から撮影したとすれば、橋が架設された明治6年(1873)から...
町中の小川に架かる小さな橋を渡る山駕籠。2人の駕籠舁きは、整理番号40-30の写真の駕籠舁きと同一人物か。A mountain palanquin crosses the small bridge o...
箱根宿の新町から箱根関所跡方向に向いた構図。背後の山は、駒ヶ岳。駕籠屋のいる街道は東海道(現在の国道一号線)で、この新町の写真右手の家屋は南西方向向きなので、子供や老人がひなたぼっこをしているような様...
相模川のほとり。田名(たな)。大山を頂とする山脈を背景にした大きな川。雪解けや雨期には増水して4~500ヤードの川敷は全て水でおおわれる。The Far East 明治4年(1871)8月2日号。「復...
大谷川右岸の稲荷町付近から撮影したと思われる。手前が大谷川(だいやがわ)。画面中央奥からの流れは稲荷川。稲荷川を挟んで左に恒霊山(こうれいざん)、右に外山(とやま)が見える。遠方の連山は女峰山(にょほ...
ここに見える駕籠は、山駕籠という粗末なもの。背景の杉並木は、日光か箱根のものであろう。駕籠の行列が、街道の道筋とは異なっているのが不自然である。恐らく撮影のための演出であろう。The palanqui...
大谷川(だいやがわ)に架かる神橋は日光山内の入口にある。日光を開山した勝道上人が、この場所で深沙大王の放った大蛇の橋を渡った故事にちなみ蛇橋(じゃばし)とも呼ばれる。写真の神橋は明治35(1902)年...
箱根元箱根の杉並木に並ぶ山駕籠と雲助の行列で、何度も複製されて、箱根の雲助の写真として有名だが、最初の写真はネガ番号から日下部金幣の撮影と思われる。いかにも、土産用に作られた不自然な配列である。A p...
大涌谷の茶店と山駕籠の行列である。大涌谷の観光には、徒歩の他に、駕籠やチェアー(足の長い外国人用)と呼ばれる乗物が使われた。ネガタイトルから宮の下で写真館を営む嶋周吉氏の撮影と分かる。向かいの山は冠岳...
芝川町長貫(ながぬき)と瀬戸島(せとじま)の間の富士川の難所釜口峡(かまぐちきょう)に架かる吊り橋を南から撮影したもの。ここは両岸が切り立った崖で川幅が最も狭く、江戸時代には富士川に架かる唯一の橋であ...
茂木村の入り江に注ぐ若菜川(大川尻)を北浦方面の岬へと渡る若菜橋。河口付近は42間(約75m)あり、明治中期に土橋から木橋に架け替えた。右手には長崎ホテル茂木支店があった。左先には北浦へ続く道がある。...
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相模川のほとり。田名(たな)。大山を頂とする山脈を背景にした大きな川。雪解けや雨期には増水して4~500ヤードの川敷は全て水でおおわれる。The Far East 明治4年(1871)8月2日号。「復...