黒谷金戒光明寺の石段を石橋の極楽橋上より東に望む。石段両側の斜面には数多くの墓石が建ち並ぶ。石段の中腹には日傘をさした人物がカメラの方を向き立っている。石段上には樹林でさえぎられた文珠塔がそびえる。右端には蓮池院(熊谷堂)が垣間見える。石段中腹左に見える阿弥陀如来座像は移築され現存しない。View of the stairs of Kurodani Komyoji Temple taken from Gokuraku-bashi, a stone bridge. Gravestones flank both sides of the stairs. A woman with a parasol poses for the camera in the middle of the stairs. Monju Pagoda rises behind the trees above the stairs. Renchi-in (Kumagai-do) is visible on the right. The statue of Amida Buddha on the left of the stairs was moved and no longer exists today
天保3年(1832)に竣工した本堂。間口12間奥行15間の木造大建築である。正式名称は寂光山龍口寺(じゃっこうざんりゅうこうじ)。階段下の灯籠、右手の水屋ともに現存する。左手階段上に七面堂が見える。江...
真光寺の大仏。宝暦10年 (1760) 9月に建立された、青銅の毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)。寺の門前に東向きに座し、高さは1丈6尺(4.8mあまり) 、大阪の長谷川久左衛門作。大仏の後ろに鐘楼(明和...
1864年頃、ベアトが撮った興福寺開山堂と麹屋町の通りである。道路は人力車用に舗装されているが、後方には、後年スロープに改善された石段が見える。幕末の長崎市内の街路の写真として最古のものの一枚である。...
黒谷金戒光明寺の石段を蓮池院(熊谷堂)北側の参道より東に望む。石段両側の斜面には数多くの墓石が建ち並び、親子連れが石段を登っていく。石段上には樹林でさえぎられた文珠塔がそびえる。石段中腹左に見える阿弥...
黒谷金戒光明寺三門を三門北東側から西に望む。三門は万延1年(1860)に創建された。本瓦葺きの入母屋の重厚な大屋根を構える。裏側の正面には後小松天皇の宸翰「浄土真宗最初門」の勅額が掲げられ、右前には石...
日光滝の尾神社には女蜂山の神、田乃姫命が祀られている。写真は白糸の滝と滝の尾神社へ続く石段である。白糸の滝の傍らにあった不動堂は今はない。Tanohimemiko, the Goddess of Ny...
日光東照宮本殿東回廊にある有名な彫刻「眠り猫」の下をくぐり、坂下門を抜けるとこの長く勾配の急な石段の参道に出る。石段を上ると杉木立に囲まれて徳川家康の墓所である奥社がある。石段の個々の踏み石は重い1枚...
根岸不動坂下の白滝不動尊への登り口。石段上に本堂の屋根が見える。白滝不動尊は、根岸村の村民によって祀られていたが、明治維新時の神仏分離を経て白滝山不動院となり、現在も宝積寺の境外仏堂として存続。The...
光明寺は鎌倉市材木座にある浄土宗鎮西六義派の本山。仁治元年(1240)北条経時が創建した蓮華寺を寛元元年(1243)材木座に移し光明寺と改めた。写真は明応4年(1495)創建の総門を正面から写したもの...
妙義神社は妙義山の中腹にある神社で、江戸時代の神仏習合時代の18世紀に整備された寺院・神社両方の建築がよく保存されている。この石段165段は寺域と神域を隔てるものである。Myogi Shinto Sh...
山梨県南巨摩郡身延町に所在する日蓮宗総本山身延山久遠寺の三門(三解脱門)を抜けて祖師堂棲神閣へ一直線に向かう287段の階段である「菩提梯」とその両側の杉並木を写した写真である。明治8年(1875)の境...
鳥居の下を少し登ったところで傘をかざした女性がひとりこちらを向いてポーズを取っている。整理番号38-56とほぼ同一の地点から撮影されたものだが、撮影日時は違うようである。写真右下に「200steps」...
慈照寺銀閣を錦鏡池西側より西に望む。写真の銀閣は観音堂とも呼ばれ、足利義政の命により長享3年(1489)に上棟、元和元年(1615)、寛永16年(1639)に修復されている。二層、宝形造、柿(こけら)...
六孫王神社唐門を神竜池北東側から東に望む。六孫王神社は元禄15年(1702)遍照心院の南谷上人が徳川家の援助で再興したもので、宝永4年(1707)に竣工した。祭神は源氏の嫡流である六孫王源経基。池を取...
五代将軍綱吉が生母桂昌院のために天和元年(1681)に建てた寺。神齢門と護国寺門の二つの山門があるが、写真は音羽通り側の神齢門付近から本堂に向かって境内を撮したもの。石段の向こうに中門、そして本堂の屋...
天保3年(1832)に竣工した本堂。間口12間奥行15間の木造大建築である。正式名称は寂光山龍口寺(じゃっこうざんりゅうこうじ)。階段下の灯籠、右手の水屋ともに現存する。左手階段上に七面堂が見える。江...
真光寺の大仏。宝暦10年 (1760) 9月に建立された、青銅の毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)。寺の門前に東向きに座し、高さは1丈6尺(4.8mあまり) 、大阪の長谷川久左衛門作。大仏の後ろに鐘楼(明和...
1864年頃、ベアトが撮った興福寺開山堂と麹屋町の通りである。道路は人力車用に舗装されているが、後方には、後年スロープに改善された石段が見える。幕末の長崎市内の街路の写真として最古のものの一枚である。...
黒谷金戒光明寺の石段を蓮池院(熊谷堂)北側の参道より東に望む。石段両側の斜面には数多くの墓石が建ち並び、親子連れが石段を登っていく。石段上には樹林でさえぎられた文珠塔がそびえる。石段中腹左に見える阿弥...
黒谷金戒光明寺三門を三門北東側から西に望む。三門は万延1年(1860)に創建された。本瓦葺きの入母屋の重厚な大屋根を構える。裏側の正面には後小松天皇の宸翰「浄土真宗最初門」の勅額が掲げられ、右前には石...
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日光東照宮本殿東回廊にある有名な彫刻「眠り猫」の下をくぐり、坂下門を抜けるとこの長く勾配の急な石段の参道に出る。石段を上ると杉木立に囲まれて徳川家康の墓所である奥社がある。石段の個々の踏み石は重い1枚...
根岸不動坂下の白滝不動尊への登り口。石段上に本堂の屋根が見える。白滝不動尊は、根岸村の村民によって祀られていたが、明治維新時の神仏分離を経て白滝山不動院となり、現在も宝積寺の境外仏堂として存続。The...
光明寺は鎌倉市材木座にある浄土宗鎮西六義派の本山。仁治元年(1240)北条経時が創建した蓮華寺を寛元元年(1243)材木座に移し光明寺と改めた。写真は明応4年(1495)創建の総門を正面から写したもの...
妙義神社は妙義山の中腹にある神社で、江戸時代の神仏習合時代の18世紀に整備された寺院・神社両方の建築がよく保存されている。この石段165段は寺域と神域を隔てるものである。Myogi Shinto Sh...
山梨県南巨摩郡身延町に所在する日蓮宗総本山身延山久遠寺の三門(三解脱門)を抜けて祖師堂棲神閣へ一直線に向かう287段の階段である「菩提梯」とその両側の杉並木を写した写真である。明治8年(1875)の境...
鳥居の下を少し登ったところで傘をかざした女性がひとりこちらを向いてポーズを取っている。整理番号38-56とほぼ同一の地点から撮影されたものだが、撮影日時は違うようである。写真右下に「200steps」...
慈照寺銀閣を錦鏡池西側より西に望む。写真の銀閣は観音堂とも呼ばれ、足利義政の命により長享3年(1489)に上棟、元和元年(1615)、寛永16年(1639)に修復されている。二層、宝形造、柿(こけら)...
六孫王神社唐門を神竜池北東側から東に望む。六孫王神社は元禄15年(1702)遍照心院の南谷上人が徳川家の援助で再興したもので、宝永4年(1707)に竣工した。祭神は源氏の嫡流である六孫王源経基。池を取...
五代将軍綱吉が生母桂昌院のために天和元年(1681)に建てた寺。神齢門と護国寺門の二つの山門があるが、写真は音羽通り側の神齢門付近から本堂に向かって境内を撮したもの。石段の向こうに中門、そして本堂の屋...
天保3年(1832)に竣工した本堂。間口12間奥行15間の木造大建築である。正式名称は寂光山龍口寺(じゃっこうざんりゅうこうじ)。階段下の灯籠、右手の水屋ともに現存する。左手階段上に七面堂が見える。江...
真光寺の大仏。宝暦10年 (1760) 9月に建立された、青銅の毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)。寺の門前に東向きに座し、高さは1丈6尺(4.8mあまり) 、大阪の長谷川久左衛門作。大仏の後ろに鐘楼(明和...
1864年頃、ベアトが撮った興福寺開山堂と麹屋町の通りである。道路は人力車用に舗装されているが、後方には、後年スロープに改善された石段が見える。幕末の長崎市内の街路の写真として最古のものの一枚である。...