石山寺(いしやまでら)参道の旅館街。中央の突き出した山が石山寺にあたり、多くの参詣客がこの道を通った。この旅館街は、道の片側にしか建物がないことから、片原町と呼ばれていた。現在の京阪電鉄石山寺駅付近から南に向かって写されている。Inns on the approach to Ishiyamadera. Visitors passed along this road in large numbers to the temple, which is located at the hill protruding in the centre. The neighbourhood was called "Katahara-machi" (One Side Field Town) because buildings were erected on only one side of the road. This is the view looking south from the area of present-day Ishiyamadera Station on the Keihan Dentetsu Line
九覧亭(きゅうらんてい)からの平潟湾の風景。中央が琵琶島弁天、その付け根にあるのが瀬戸神社。神社右手に見える茶屋は左から千代本楼(ちよもとろう)、扇屋(おうぎや)、その背後に東屋(あずまや)。扇屋から...
諏訪町通りを南東方向に撮影した写真。石段の上方は日蓮宗光栄山長照寺(長崎市寺町18)。背後は風頭山。道路脇左右に石組みの側溝、右側には水道栓、その先にガス灯が立っている。明治20年代前半。This p...
向山(むこうやま)から見た宮ノ下と堂ヶ島。宮ノ下には富士屋ホテルと奈良屋ホテルが見え、明治16年(1883)の宮ノ下大火以後、富士屋ホテル本館竣工後の明治24年(1891)以降の撮影と分かる。堂ヶ島へ...
石山寺(いしやまでら)境内で撮影したもの。平安時代後期には貴族の女性らに信仰され、後には西国三十三所観音霊場の第13番札所として庶民の信仰をあつめた。奥に見える建物は、本堂と蓮如堂。画面には、寺名の由...
石山寺(いしやまでら)の月見亭あたりから眺める瀬田川の流れ。平安時代後期には貴族の女性らに信仰され、後には西国三十三所観音霊場の第13番札所として庶民の信仰をあつめた。特にこの場所は近江八景(おうみは...
石山寺(いしやまでら)境内の月見亭から眺める瀬田川の流れ。琵琶湖・比良山系(写真奥)に向けて撮影されている。写真中央に架かる橋は瀬田唐橋(せたのからはし)。唐橋は、古くから瀬田川に架かる唯一の橋として...
遊郭入口にあった大門(おおもん)を背にして、メインストリートの仲之町(なかのちょう)を見る。春になると桜を主に安行(あんぎょう)から運んで植えたという。通りの左右に引手茶屋が並ぶ。右側奥に写る塔は、明...
八坂神社の方から東山を望む道の両側が低い杭で垣せられ、前方両側に新しい建物が立ち並んでいる。前方に長楽寺の塔、そのやや右手前に大谷本廊の大棟が見える。Both sides of the road ap...
嵐山を保津川北岸より南に望む。川面には遊覧舟の小舟や屋形船が数艘浮かんでいる。川の長れは穏やかで、水量は比較的少ない。対岸には遊歩道が設けられ、植生されてまもない小さな並木が見える。右端には鳥居が姿を...
小山町須走(すばしり)から富士山を遠望したもの。須走は古くから富士山須走登山道の登山口として栄え、御殿場から山梨へ向かう甲州道の籠坂峠(かごさかとうげ)越えの麓集落でもあった。道路には民家や石塔が並び...
英語で「大山の景色」と記入されているが、丹沢山系の雨降山大山寺の近くの登山口のひとつ。この寺は修験の道場で、参拝者が多く、山麓には門前町が発達し、宿坊が立ち並んでいた。The caption read...
金剛寺(紅葉寺)あたりの音無川(石神井川)であろう。川が曲がった所で、橋が架かっていて風情があったそうである。橋の傍らの窟(いわや)の中には弁天が祀ってあった。丘の上には茶店もあったという。音無川はこ...
高島町遊郭の神風楼。「ネキタリン・ナンバー・ナイン」と呼ばれ、世界的に知られた。港崎郭にあった初代の伊勢楼から数えて三度の移転を経るが、写真は高島町2丁目にあった頃の三代目。明治4年(1871)から同...
伊勢佐木町から賑町にかけては、明治10年代から芝居小屋や茶屋・料理屋が集中する繁華街として発展した。写真は明治32(1899)年の大火で焼失する以前の賑わいを写したもの。左にみえる建物は松ヶ枝町(現伊...
京都大学0048新制・課程博士博士(理学)甲第9333号理博第2468号新制||理||1267(附属図書館)UT51-2002-G91京都大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻(主査)教授 増田 富士雄...
九覧亭(きゅうらんてい)からの平潟湾の風景。中央が琵琶島弁天、その付け根にあるのが瀬戸神社。神社右手に見える茶屋は左から千代本楼(ちよもとろう)、扇屋(おうぎや)、その背後に東屋(あずまや)。扇屋から...
諏訪町通りを南東方向に撮影した写真。石段の上方は日蓮宗光栄山長照寺(長崎市寺町18)。背後は風頭山。道路脇左右に石組みの側溝、右側には水道栓、その先にガス灯が立っている。明治20年代前半。This p...
向山(むこうやま)から見た宮ノ下と堂ヶ島。宮ノ下には富士屋ホテルと奈良屋ホテルが見え、明治16年(1883)の宮ノ下大火以後、富士屋ホテル本館竣工後の明治24年(1891)以降の撮影と分かる。堂ヶ島へ...
石山寺(いしやまでら)境内で撮影したもの。平安時代後期には貴族の女性らに信仰され、後には西国三十三所観音霊場の第13番札所として庶民の信仰をあつめた。奥に見える建物は、本堂と蓮如堂。画面には、寺名の由...
石山寺(いしやまでら)の月見亭あたりから眺める瀬田川の流れ。平安時代後期には貴族の女性らに信仰され、後には西国三十三所観音霊場の第13番札所として庶民の信仰をあつめた。特にこの場所は近江八景(おうみは...
石山寺(いしやまでら)境内の月見亭から眺める瀬田川の流れ。琵琶湖・比良山系(写真奥)に向けて撮影されている。写真中央に架かる橋は瀬田唐橋(せたのからはし)。唐橋は、古くから瀬田川に架かる唯一の橋として...
遊郭入口にあった大門(おおもん)を背にして、メインストリートの仲之町(なかのちょう)を見る。春になると桜を主に安行(あんぎょう)から運んで植えたという。通りの左右に引手茶屋が並ぶ。右側奥に写る塔は、明...
八坂神社の方から東山を望む道の両側が低い杭で垣せられ、前方両側に新しい建物が立ち並んでいる。前方に長楽寺の塔、そのやや右手前に大谷本廊の大棟が見える。Both sides of the road ap...
嵐山を保津川北岸より南に望む。川面には遊覧舟の小舟や屋形船が数艘浮かんでいる。川の長れは穏やかで、水量は比較的少ない。対岸には遊歩道が設けられ、植生されてまもない小さな並木が見える。右端には鳥居が姿を...
小山町須走(すばしり)から富士山を遠望したもの。須走は古くから富士山須走登山道の登山口として栄え、御殿場から山梨へ向かう甲州道の籠坂峠(かごさかとうげ)越えの麓集落でもあった。道路には民家や石塔が並び...
英語で「大山の景色」と記入されているが、丹沢山系の雨降山大山寺の近くの登山口のひとつ。この寺は修験の道場で、参拝者が多く、山麓には門前町が発達し、宿坊が立ち並んでいた。The caption read...
金剛寺(紅葉寺)あたりの音無川(石神井川)であろう。川が曲がった所で、橋が架かっていて風情があったそうである。橋の傍らの窟(いわや)の中には弁天が祀ってあった。丘の上には茶店もあったという。音無川はこ...
高島町遊郭の神風楼。「ネキタリン・ナンバー・ナイン」と呼ばれ、世界的に知られた。港崎郭にあった初代の伊勢楼から数えて三度の移転を経るが、写真は高島町2丁目にあった頃の三代目。明治4年(1871)から同...
伊勢佐木町から賑町にかけては、明治10年代から芝居小屋や茶屋・料理屋が集中する繁華街として発展した。写真は明治32(1899)年の大火で焼失する以前の賑わいを写したもの。左にみえる建物は松ヶ枝町(現伊...
京都大学0048新制・課程博士博士(理学)甲第9333号理博第2468号新制||理||1267(附属図書館)UT51-2002-G91京都大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻(主査)教授 増田 富士雄...
九覧亭(きゅうらんてい)からの平潟湾の風景。中央が琵琶島弁天、その付け根にあるのが瀬戸神社。神社右手に見える茶屋は左から千代本楼(ちよもとろう)、扇屋(おうぎや)、その背後に東屋(あずまや)。扇屋から...
諏訪町通りを南東方向に撮影した写真。石段の上方は日蓮宗光栄山長照寺(長崎市寺町18)。背後は風頭山。道路脇左右に石組みの側溝、右側には水道栓、その先にガス灯が立っている。明治20年代前半。This p...
向山(むこうやま)から見た宮ノ下と堂ヶ島。宮ノ下には富士屋ホテルと奈良屋ホテルが見え、明治16年(1883)の宮ノ下大火以後、富士屋ホテル本館竣工後の明治24年(1891)以降の撮影と分かる。堂ヶ島へ...