この写真は英語で「長崎、諏訪神社の石の門」と題されている。諏訪神社の拝殿側から宮下を鳥居ごしに見下ろしたものである。参道の中央には敷石がしかれている。遠方は若宮稲荷のある伊良林にあたる。Entitled "Nagasaki, Stone gate of Suwa Shrine" in English. A view of Miyanoshita over the torii, from the side of the hall of worship. In the center of the approach are inlaid stones. To the distance is the Irabayashi where the Wakamiya Inari is located
日光東照宮境内入口の大鳥居と正面奥の表門(仁王門)を写したもの。表参道を上り詰めるとこの広場に出る。大鳥居は黒田筑前守長政が元和4(1618)年に奉納した。高さは9メートルあり、江戸期に建てられた石造...
上宮楼門(じょうぐうろうもん)には扁額(へんがく)がない。また、神楽殿(かぐらでん)の正面には石段がのこるが、側面の「しとみ」と、屋根正面の唐破風(からはふ)上の棟(むね)がはずされている。排仏毀釈で...
入口の鳥居を入って直ぐの所にある太鼓橋の上から楼門を望む。手前には茶袴を穿いた女学生が5人並んでいる。合格祈願のお参りだろうか。心字池に架かる橋は太鼓橋・平橋・太鼓橋と3つ並ぶ。過去・現在・未来を表す...
大正期(1912-1926)の絵葉書。『長崎諏訪国幣中社青銅の大鳥居』と題されている。諏訪神社の入り口を写したもの。左に国幣諏訪神社と記された石碑、両側の献灯、青銅の大鳥居、参道が写されている。大鳥居...
明治中期(1887)頃の手彩色の写真。参道の大鳥居を過ぎた、二の鳥居の前から、諏訪神社方面を見た写真。右側にドンコ茶屋の建物が見える。神社の中腹に、洋風建築が建てられているのは、明治中期の洋風化の情勢...
明治中期(1887)頃の手彩色の写真。諏訪神社参道の入り口の大鳥居と諏訪神社を見た写真。鳥居の左側に、近代的な街灯が見え、近代化しつつある長崎が分かる。秋のくんちで有名な長崎の氏神である。This h...
明治後期から大正期(1890-1920)の手彩色の絵葉書。『長崎諏訪神社一ノ鳥居』と題されている。諏訪神社の入り口を撮影したもの。大鳥居は天保2年(1831)に青銅で造られ、額に「鎮西大社」と記されて...
日光東照宮境内入口の石鳥居と表参道を写したもの。表参道を上り詰めるとこの広場に出る。石鳥居は黒田筑前守長政が元和4(1618)年に奉納した。高さは9メートルあり、江戸期に建てられた石造りの鳥居では日本...
ベアト撮影。「長崎近くのマツガエの寺の入り口」と書かれているが、これは横浜の日本人町の西側にあった弁天社の松並木と鳥居である。この神社は横浜村の鎮守で、洲干弁財天社 とよばれた。Taken by Be...
撮影者未詳。江島神社の青銅鳥居?(現存)後方には看板があって、「ゑびすや茂八」と書かれている。「ゑびすや」は江戸時代から今に続く老舗(しにせ)の旅館で、鳥居左側の建物群は明治27年(1894)刊『日本...
伏見稲荷大社境内南東側の稲荷山参道に林立する朱塗の千本鳥居を望む。参道は同社境内東側の上御殿から南東方向に延び、稲荷山入口の命婦社に続く。写真は鳥居に記された年号から明治26年(1893)2月以降に撮...
茨城県旭村の玉沢稲荷神社前の石段下で、家族4人が並んで記念撮影をする。同社は、陸奥の安倍氏の反乱を平定した源頼義・義家の父子が、康平6年(1063)に鎌倉権太夫景道に命じ、父子が平定に向かう際に戦勝祈...
旧街道の権現坂から下って、箱根神社への参詣道のの入り口に立つ屏風鳥居である。明治初期には、鳥居の右側に小屋(甘酒小屋?)があったが、この写真には見られず、代わりに、左手に筵を掛けただけの仮小屋がある。...
現在、ガソリンスタンドの横に碑文が立っているのみで、この鳥居は現存しないが、明治期には有名だったらしく、写真が多い。山駕籠とこうもり傘の一行の行列で、兵士らしい人も見える。芦ノ湖の見える景勝の地である...
箱根神社の一の鳥居である。現在は、二の鳥居が立っている。国指定重要文化財の鉄湯釜二口が、この鳥居の近くにかつて存在し、明治13年まではあったことが小林清親の絵で知られるので、それ以降のものである。Th...
日光東照宮境内入口の大鳥居と正面奥の表門(仁王門)を写したもの。表参道を上り詰めるとこの広場に出る。大鳥居は黒田筑前守長政が元和4(1618)年に奉納した。高さは9メートルあり、江戸期に建てられた石造...
上宮楼門(じょうぐうろうもん)には扁額(へんがく)がない。また、神楽殿(かぐらでん)の正面には石段がのこるが、側面の「しとみ」と、屋根正面の唐破風(からはふ)上の棟(むね)がはずされている。排仏毀釈で...
入口の鳥居を入って直ぐの所にある太鼓橋の上から楼門を望む。手前には茶袴を穿いた女学生が5人並んでいる。合格祈願のお参りだろうか。心字池に架かる橋は太鼓橋・平橋・太鼓橋と3つ並ぶ。過去・現在・未来を表す...
大正期(1912-1926)の絵葉書。『長崎諏訪国幣中社青銅の大鳥居』と題されている。諏訪神社の入り口を写したもの。左に国幣諏訪神社と記された石碑、両側の献灯、青銅の大鳥居、参道が写されている。大鳥居...
明治中期(1887)頃の手彩色の写真。参道の大鳥居を過ぎた、二の鳥居の前から、諏訪神社方面を見た写真。右側にドンコ茶屋の建物が見える。神社の中腹に、洋風建築が建てられているのは、明治中期の洋風化の情勢...
明治中期(1887)頃の手彩色の写真。諏訪神社参道の入り口の大鳥居と諏訪神社を見た写真。鳥居の左側に、近代的な街灯が見え、近代化しつつある長崎が分かる。秋のくんちで有名な長崎の氏神である。This h...
明治後期から大正期(1890-1920)の手彩色の絵葉書。『長崎諏訪神社一ノ鳥居』と題されている。諏訪神社の入り口を撮影したもの。大鳥居は天保2年(1831)に青銅で造られ、額に「鎮西大社」と記されて...
日光東照宮境内入口の石鳥居と表参道を写したもの。表参道を上り詰めるとこの広場に出る。石鳥居は黒田筑前守長政が元和4(1618)年に奉納した。高さは9メートルあり、江戸期に建てられた石造りの鳥居では日本...
ベアト撮影。「長崎近くのマツガエの寺の入り口」と書かれているが、これは横浜の日本人町の西側にあった弁天社の松並木と鳥居である。この神社は横浜村の鎮守で、洲干弁財天社 とよばれた。Taken by Be...
撮影者未詳。江島神社の青銅鳥居?(現存)後方には看板があって、「ゑびすや茂八」と書かれている。「ゑびすや」は江戸時代から今に続く老舗(しにせ)の旅館で、鳥居左側の建物群は明治27年(1894)刊『日本...
伏見稲荷大社境内南東側の稲荷山参道に林立する朱塗の千本鳥居を望む。参道は同社境内東側の上御殿から南東方向に延び、稲荷山入口の命婦社に続く。写真は鳥居に記された年号から明治26年(1893)2月以降に撮...
茨城県旭村の玉沢稲荷神社前の石段下で、家族4人が並んで記念撮影をする。同社は、陸奥の安倍氏の反乱を平定した源頼義・義家の父子が、康平6年(1063)に鎌倉権太夫景道に命じ、父子が平定に向かう際に戦勝祈...
旧街道の権現坂から下って、箱根神社への参詣道のの入り口に立つ屏風鳥居である。明治初期には、鳥居の右側に小屋(甘酒小屋?)があったが、この写真には見られず、代わりに、左手に筵を掛けただけの仮小屋がある。...
現在、ガソリンスタンドの横に碑文が立っているのみで、この鳥居は現存しないが、明治期には有名だったらしく、写真が多い。山駕籠とこうもり傘の一行の行列で、兵士らしい人も見える。芦ノ湖の見える景勝の地である...
箱根神社の一の鳥居である。現在は、二の鳥居が立っている。国指定重要文化財の鉄湯釜二口が、この鳥居の近くにかつて存在し、明治13年まではあったことが小林清親の絵で知られるので、それ以降のものである。Th...
日光東照宮境内入口の大鳥居と正面奥の表門(仁王門)を写したもの。表参道を上り詰めるとこの広場に出る。大鳥居は黒田筑前守長政が元和4(1618)年に奉納した。高さは9メートルあり、江戸期に建てられた石造...
上宮楼門(じょうぐうろうもん)には扁額(へんがく)がない。また、神楽殿(かぐらでん)の正面には石段がのこるが、側面の「しとみ」と、屋根正面の唐破風(からはふ)上の棟(むね)がはずされている。排仏毀釈で...
入口の鳥居を入って直ぐの所にある太鼓橋の上から楼門を望む。手前には茶袴を穿いた女学生が5人並んでいる。合格祈願のお参りだろうか。心字池に架かる橋は太鼓橋・平橋・太鼓橋と3つ並ぶ。過去・現在・未来を表す...