天竜川は諏訪湖を水源とし、赤石・木曽両山脈を両翼に延々南下して遠州灘に注ぐ大河川である。洪水が夏期に集中するため洪水が起きやすく、古くから「暴れ天竜」とも呼ばれていた。The Tenryu River originates from Lake Suwa, and is a large river flowing into the Enshu nada coming down south from the Akashi and Kiso mountains. Flooding concentrates in the summer, so it was called "Abare Tenryu" (Fervent Tenryu) from the early days
両国の側から花街で知られる柳橋を見たところ。ここで神田川が隅田川に合流する。屋根のついた屋形船は単に重要な交通手段であったばかりではなく、広い意味でのさまざまなコミュニケーションの場でもあった。The...
順天堂医院の前から、共に明治24年(1891)に竣工した御茶の水橋とニコライ堂を望む。開削された人工の神田川を挟んで、左(北)側が湯島台で右(南)側が駿河台になる。江戸防衛のためこの台地には御茶の水橋...
神崎川は淀川下流の分流のひとつで、大阪府と兵庫県の境界をなす。写真は東海道本線(1874年5月に仮開業)武庫川鉄橋だと思われる。英国ダーリントン社による製作。The Kanzaki River is ...
大谷川(だいやがわ)に架かる2本の橋。左の朱塗りの橋が神橋(神橋)。その右隣は仮橋。日光山内の入口でもあるこれらの橋は明治35(1902)年の大水害で大谷川が氾濫したため流失した。地面には残雪が見られ...
芝川町長貫(ながぬき)と瀬戸島(せとじま)の間の富士川の難所釜口峡(かまぐちきょう)に架かる吊り橋を南から撮影したもの。ここは両岸が切り立った崖で川幅が最も狭く、江戸時代には富士川に架かる唯一の橋であ...
天満橋八軒家は、淀川を上下し、京・伏見と大阪を結ぶ三十石舟の船着き場であった。橋の南詰めに八軒の家があったことからこの名が残ったという。Hakkenya of Tenmanbashi was a pi...
鴨川四条大橋を同橋東詰より西に望む。この四条大橋は1874年に架けられた鉄橋で、高欄には球形の電灯が設けられる。西詰北側には料亭、矢尾政が建つ。橋の中央には「山紫水明」の銘を掲げた洋風アーチの門が仮設...
淀川・中之島付近にかかる写真手前の難波橋から、天神橋、さらに奥には天満橋もわずかに見えている。明治9年(1876)に難波橋が鉄橋化される以前の姿である。Bridges built over Yodo ...
天神橋は天満橋・難波橋とともに「浪華三大橋」と呼ばれたが、最長を誇ったのが天神橋である。明治18年(1885)の淀川大洪水で落橋し、明治21年(1888)に鉄橋となった。Tenjin Bridge i...
富士川の内房付近の吊り橋、釜口橋。富士川の水源から、約13里(51km)程の所にあり、南に下った地点に内房の竈口という地名がある。川の流れが屈折し、深く左右の岸壁が落ち込んでいるためこの地名があるとい...
山口県南東部、岩国市の錦川に架けられた橋。石造りの4基の橋台の上に、5個の木造反り橋が連ねられている。建築は岩国藩三代藩主吉川広嘉による。The bridge built over Nishiki R...
現在の宮城野橋から100メートルほど下流(蕎麦屋みやび〔雅美〕付近)より見た、早川の流れと宮城野。今でも同様な大きな岩と樹群れが存在する。左端の白い大岩は現在は壊され、その位置に建物が建ち、その左横を...
両国の側から花街で知られる柳橋を見たところ。ここで神田川が隅田川に合流する。屋根のついた屋形船は単に重要な交通手段であったばかりではなく、広い意味でのさまざまなコミュニケーションの場でもあった。The...
順天堂医院の前から、共に明治24年(1891)に竣工した御茶の水橋とニコライ堂を望む。開削された人工の神田川を挟んで、左(北)側が湯島台で右(南)側が駿河台になる。江戸防衛のためこの台地には御茶の水橋...
神崎川は淀川下流の分流のひとつで、大阪府と兵庫県の境界をなす。写真は東海道本線(1874年5月に仮開業)武庫川鉄橋だと思われる。英国ダーリントン社による製作。The Kanzaki River is ...
大谷川(だいやがわ)に架かる2本の橋。左の朱塗りの橋が神橋(神橋)。その右隣は仮橋。日光山内の入口でもあるこれらの橋は明治35(1902)年の大水害で大谷川が氾濫したため流失した。地面には残雪が見られ...
芝川町長貫(ながぬき)と瀬戸島(せとじま)の間の富士川の難所釜口峡(かまぐちきょう)に架かる吊り橋を南から撮影したもの。ここは両岸が切り立った崖で川幅が最も狭く、江戸時代には富士川に架かる唯一の橋であ...
天満橋八軒家は、淀川を上下し、京・伏見と大阪を結ぶ三十石舟の船着き場であった。橋の南詰めに八軒の家があったことからこの名が残ったという。Hakkenya of Tenmanbashi was a pi...
鴨川四条大橋を同橋東詰より西に望む。この四条大橋は1874年に架けられた鉄橋で、高欄には球形の電灯が設けられる。西詰北側には料亭、矢尾政が建つ。橋の中央には「山紫水明」の銘を掲げた洋風アーチの門が仮設...
淀川・中之島付近にかかる写真手前の難波橋から、天神橋、さらに奥には天満橋もわずかに見えている。明治9年(1876)に難波橋が鉄橋化される以前の姿である。Bridges built over Yodo ...
天神橋は天満橋・難波橋とともに「浪華三大橋」と呼ばれたが、最長を誇ったのが天神橋である。明治18年(1885)の淀川大洪水で落橋し、明治21年(1888)に鉄橋となった。Tenjin Bridge i...
富士川の内房付近の吊り橋、釜口橋。富士川の水源から、約13里(51km)程の所にあり、南に下った地点に内房の竈口という地名がある。川の流れが屈折し、深く左右の岸壁が落ち込んでいるためこの地名があるとい...
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現在の宮城野橋から100メートルほど下流(蕎麦屋みやび〔雅美〕付近)より見た、早川の流れと宮城野。今でも同様な大きな岩と樹群れが存在する。左端の白い大岩は現在は壊され、その位置に建物が建ち、その左横を...
両国の側から花街で知られる柳橋を見たところ。ここで神田川が隅田川に合流する。屋根のついた屋形船は単に重要な交通手段であったばかりではなく、広い意味でのさまざまなコミュニケーションの場でもあった。The...
順天堂医院の前から、共に明治24年(1891)に竣工した御茶の水橋とニコライ堂を望む。開削された人工の神田川を挟んで、左(北)側が湯島台で右(南)側が駿河台になる。江戸防衛のためこの台地には御茶の水橋...
神崎川は淀川下流の分流のひとつで、大阪府と兵庫県の境界をなす。写真は東海道本線(1874年5月に仮開業)武庫川鉄橋だと思われる。英国ダーリントン社による製作。The Kanzaki River is ...