平潟湾の風景で、九覧亭からの眺め。中央は琵琶島弁天、その先に瀬戸神社が見える。写真の説明には、「金沢の茶屋」とある。F.ベアトの撮影である。A view of Hiragata Bay, from Kurantei. The centre is the Benten of Biwajima, and further ahead is Seto Shrine. The caption says that it is a teahouse at Kanazawa. Photo by F. Beato
鶴間村。鶴間村は横浜から12マイル、田名、宮の下、及び大山への途上にあり、近来外国人のハイキング行程の第一休憩地として知られている。The Far East 明治4年(1871)10月4日号。「復刻版...
不忍池は寛永寺を建立したおり(寛永2年)、天海僧正が池を琵琶湖に見立て、竹生島に弁天堂を築いたもの。清水坂あたりからの俯瞰。参道に茶屋が建ち並んでいる。その先、中央に弁天堂、右手前に生地院、明治6年上...
茨城県旭村の玉沢稲荷神社前の石段下で、家族4人が並んで記念撮影をする。同社は、陸奥の安倍氏の反乱を平定した源頼義・義家の父子が、康平6年(1063)に鎌倉権太夫景道に命じ、父子が平定に向かう際に戦勝祈...
九覧亭(きゅうらんてい)からの平潟湾の風景。中央が琵琶島弁天、その付け根にあるのが瀬戸神社。神社右手に見える茶屋は左から千代本楼(ちよもとろう)、扇屋(おうぎや)、その背後に東屋(あずまや)。扇屋から...
瀬戸の料亭。平潟湾の眺望にすぐれ、明治以降、多くの文人や政治家たちが利用した。写真は瀬戸橋から撮影したもの。三棟のうち一番左が千代本楼(ちよもとろう)。正面に写る茶屋は扇屋(おうぎや)か村田屋か。Te...
平潟湾の風景で、九覧亭からの眺め。中央は琵琶島弁天、その先に瀬戸神社が見える。写真の説明には、「金沢の茶屋」とある。F.ベアトの撮影である。No.916(19-32)と同じ写真である。The view...
金沢八景の平潟湾の瀬戸橋。左側の建物が茶屋である。橋の向こうが干潟になった平潟湾である。The Seto bridge in Hirakata Bay of Kanazawa Hakkei. The ...
画面には‘№531 KAMAKURA.'の印字がある。向かって左手には三代将軍源実朝の暗殺にまつわる伝説で名高い大銀杏(いちょう)があり(現神奈川県指定天然記念物)、その反対側にはソテツが植わる。年代...
関門海峡と赤間神宮。上野彦馬の撮影による。赤間神宮は壇の浦で果てた幼帝安徳天皇を祀る。安徳天皇と平家一門への回向として5月3日には「先帝祭」が行われる。The Kanmon Straits and A...
長崎市の市街地を流れる中島川の中流域の中川。河岸が変化に富み、冷泉が湧いていたことから、カルルスと呼ばれ、長崎市の景勝地となった。下流から上流を撮影した手彩色の絵葉書。明治後期頃。5155、5156は...
目録番号4744から、若宮(わかみや)であることがわかる。鶴岡八幡宮は治承4年(1180)現若宮の所に勧請(かんじょう)されたという。写真の社殿は寛永元年(1624)の再建で、現重要文化財。屋根はこけ...
地蔵坂上からの眺望。キャプションに「根岸湾へ抜ける古道」とある。F.ベアトの撮影。The view from Jizozaka. Caption reads "An old road leading ...
写真裏面に「府下猪頭弁天大正二年秋九月之写」とある。江戸の水道の源である井の頭であろう。水源保護のため井の頭池の周囲には多くの樹木が植えられた。井之頭弁財天は井の頭池の西に浮かぶ小さな中之島にある。大...
箱根神社の一の鳥居の周辺の景色である。茶店があり、洋装の男女が見える。鳥居の傍らには鉄湯釜がなく、明治14年以降のことは明らかである。電線があるように見えるので明治45年まで下るかも知れない。The ...
風頭から旧市街南部を望んだ写真である。小島ごしに東山手と長崎港の入口にアングルが向けられている。写真左下に英語で「長崎港」という意味の説明。A photo of the view from Mt. K...
鶴間村。鶴間村は横浜から12マイル、田名、宮の下、及び大山への途上にあり、近来外国人のハイキング行程の第一休憩地として知られている。The Far East 明治4年(1871)10月4日号。「復刻版...
不忍池は寛永寺を建立したおり(寛永2年)、天海僧正が池を琵琶湖に見立て、竹生島に弁天堂を築いたもの。清水坂あたりからの俯瞰。参道に茶屋が建ち並んでいる。その先、中央に弁天堂、右手前に生地院、明治6年上...
茨城県旭村の玉沢稲荷神社前の石段下で、家族4人が並んで記念撮影をする。同社は、陸奥の安倍氏の反乱を平定した源頼義・義家の父子が、康平6年(1063)に鎌倉権太夫景道に命じ、父子が平定に向かう際に戦勝祈...
九覧亭(きゅうらんてい)からの平潟湾の風景。中央が琵琶島弁天、その付け根にあるのが瀬戸神社。神社右手に見える茶屋は左から千代本楼(ちよもとろう)、扇屋(おうぎや)、その背後に東屋(あずまや)。扇屋から...
瀬戸の料亭。平潟湾の眺望にすぐれ、明治以降、多くの文人や政治家たちが利用した。写真は瀬戸橋から撮影したもの。三棟のうち一番左が千代本楼(ちよもとろう)。正面に写る茶屋は扇屋(おうぎや)か村田屋か。Te...
平潟湾の風景で、九覧亭からの眺め。中央は琵琶島弁天、その先に瀬戸神社が見える。写真の説明には、「金沢の茶屋」とある。F.ベアトの撮影である。No.916(19-32)と同じ写真である。The view...
金沢八景の平潟湾の瀬戸橋。左側の建物が茶屋である。橋の向こうが干潟になった平潟湾である。The Seto bridge in Hirakata Bay of Kanazawa Hakkei. The ...
画面には‘№531 KAMAKURA.'の印字がある。向かって左手には三代将軍源実朝の暗殺にまつわる伝説で名高い大銀杏(いちょう)があり(現神奈川県指定天然記念物)、その反対側にはソテツが植わる。年代...
関門海峡と赤間神宮。上野彦馬の撮影による。赤間神宮は壇の浦で果てた幼帝安徳天皇を祀る。安徳天皇と平家一門への回向として5月3日には「先帝祭」が行われる。The Kanmon Straits and A...
長崎市の市街地を流れる中島川の中流域の中川。河岸が変化に富み、冷泉が湧いていたことから、カルルスと呼ばれ、長崎市の景勝地となった。下流から上流を撮影した手彩色の絵葉書。明治後期頃。5155、5156は...
目録番号4744から、若宮(わかみや)であることがわかる。鶴岡八幡宮は治承4年(1180)現若宮の所に勧請(かんじょう)されたという。写真の社殿は寛永元年(1624)の再建で、現重要文化財。屋根はこけ...
地蔵坂上からの眺望。キャプションに「根岸湾へ抜ける古道」とある。F.ベアトの撮影。The view from Jizozaka. Caption reads "An old road leading ...
写真裏面に「府下猪頭弁天大正二年秋九月之写」とある。江戸の水道の源である井の頭であろう。水源保護のため井の頭池の周囲には多くの樹木が植えられた。井之頭弁財天は井の頭池の西に浮かぶ小さな中之島にある。大...
箱根神社の一の鳥居の周辺の景色である。茶店があり、洋装の男女が見える。鳥居の傍らには鉄湯釜がなく、明治14年以降のことは明らかである。電線があるように見えるので明治45年まで下るかも知れない。The ...
風頭から旧市街南部を望んだ写真である。小島ごしに東山手と長崎港の入口にアングルが向けられている。写真左下に英語で「長崎港」という意味の説明。A photo of the view from Mt. K...
鶴間村。鶴間村は横浜から12マイル、田名、宮の下、及び大山への途上にあり、近来外国人のハイキング行程の第一休憩地として知られている。The Far East 明治4年(1871)10月4日号。「復刻版...
不忍池は寛永寺を建立したおり(寛永2年)、天海僧正が池を琵琶湖に見立て、竹生島に弁天堂を築いたもの。清水坂あたりからの俯瞰。参道に茶屋が建ち並んでいる。その先、中央に弁天堂、右手前に生地院、明治6年上...
茨城県旭村の玉沢稲荷神社前の石段下で、家族4人が並んで記念撮影をする。同社は、陸奥の安倍氏の反乱を平定した源頼義・義家の父子が、康平6年(1063)に鎌倉権太夫景道に命じ、父子が平定に向かう際に戦勝祈...