現在の強羅坂下付近から宮城野橋方面を眺めたもの。早川の渓流と釣り人が見える。今は石垣や堰堤で様子が変わっているが、大石は写真と同じものが現存する。両脇の木立や遠くの山(明神岳)の姿も変わらない。A view of Miyagino bridge from the bottom of the present Gorazaka. The water of the Haya River and people fishing can be seen. The present scenery is different due to the change in the stone walls and embankment, but the same big rocks in the photo still exist. The trees on both sides and the distant mountain (Myojindake) have not changed to the present day
大谷川右岸の稲荷町付近から撮影したと思われる。手前が大谷川(だいやがわ)。画面中央奥からの流れは稲荷川。稲荷川を挟んで左に恒霊山(こうれいざん)、右に外山(とやま)が見える。遠方の連山は女峰山(にょほ...
相模川のほとり。田名(たな)。大山を頂とする山脈を背景にした大きな川。雪解けや雨期には増水して4~500ヤードの川敷は全て水でおおわれる。The Far East 明治4年(1871)8月2日号。「復...
中島川は馬町近くで一の瀬川(本流)と堂門川(西山川)に分かれる。川の分岐点から上流に高麗橋、阿弥陀橋がある。写真は中島川に架かる阿弥陀橋で、明治20年代後半(1895頃)の撮影。向かって右岸の建物に「...
現在の宮城野橋から100メートルほど下流(蕎麦屋みやび〔雅美〕付近)より見た、早川の流れと宮城野。今でも同様な大きな岩と樹群れが存在する。左端の白い大岩は現在は壊され、その位置に建物が建ち、その左横を...
宮ノ下と木賀温泉の間の木賀の桟道辺りから見た早川の流れ。木の橋は、現在の早川遊歩道の東京電力川久保発電所近くの橋に相当するものと思われる。左の木陰に建物の屋根が見えるが、何に相当するか、よく分からない...
F.ベアトアルバムの写真である。相模川(馬入川)の支流中津川の中津川渓谷の宮ヶ瀬の風景である。宮の瀬は、大山(雨降山)の登山口でもある。A photo from the album of F. Bea...
明治13年(1880)の小林清親画「箱根底倉湯本萬年橋」に描かれた蛇骨川(じゃこつがわ)と同じ場所を写したもの。アングルから言って萬年橋の上から撮影したとすれば、橋が架設された明治6年(1873)から...
稲荷川は日光鉢石で大谷川に合する。 右端に外山がありその横を流れる稲荷川のはるか向うに日光の連山がある。 左端の大谷川のとうとうたる流れに稲荷川が注ぎこむ。Inari River meets Daiy...
大谷川(だいやがわ)に架かる2本の橋。左の朱塗りの橋が神橋(神橋)。その右隣は仮橋。日光山内の入口でもあるこれらの橋は明治35(1902)年の大水害で大谷川が氾濫したため流失した。地面には残雪が見られ...
富士山の西側を流れる川。甲府の釜無川(八ヶ岳駒ヶ岳に発する)と笛吹川の二つの河川を水源とする。この川ではろ艫の反り底が平らで、吃水も浅い舟を使うという。下る場合は竿を使い、登る場合は綱を引いて舟を上流...
岩淵は富士川左岸に位置する幕府領。手前は富士川の渡し船であろうか?慶長7年幕府から渡船役が課され、渡船役持ち10名によって運営されたという。遠く、橋にかかる木製の橋が見える。Iwabuchi was ...
天竜川は諏訪湖を水源とし、赤石・木曽両山脈を両翼に延々南下して遠州灘に注ぐ大河川である。洪水が夏期に集中するため洪水が起きやすく、古くから「暴れ天竜」とも呼ばれていた。The Tenryu River...
富士川の内房付近の吊り橋、釜口橋。富士川の水源から、約13里(51km)程の所にあり、南に下った地点に内房の竈口という地名がある。川の流れが屈折し、深く左右の岸壁が落ち込んでいるためこの地名があるとい...
写真は厳島神社の西側を流れる紅葉谷川の河口で大西町側から石燈籠やアカマツが茂る「西の松原」,遠くに水晶山を望む。川に突き出した基壇上に建つ石燈籠は寛政7年(1795)の建造で笠石に垂木表現を行った笠石...
大谷川右岸の稲荷町付近から撮影したと思われる。手前が大谷川(だいやがわ)。画面中央奥からの流れは稲荷川。稲荷川を挟んで左に恒霊山(こうれいざん)、右に外山(とやま)が見える。遠方の連山は女峰山(にょほ...
相模川のほとり。田名(たな)。大山を頂とする山脈を背景にした大きな川。雪解けや雨期には増水して4~500ヤードの川敷は全て水でおおわれる。The Far East 明治4年(1871)8月2日号。「復...
中島川は馬町近くで一の瀬川(本流)と堂門川(西山川)に分かれる。川の分岐点から上流に高麗橋、阿弥陀橋がある。写真は中島川に架かる阿弥陀橋で、明治20年代後半(1895頃)の撮影。向かって右岸の建物に「...
現在の宮城野橋から100メートルほど下流(蕎麦屋みやび〔雅美〕付近)より見た、早川の流れと宮城野。今でも同様な大きな岩と樹群れが存在する。左端の白い大岩は現在は壊され、その位置に建物が建ち、その左横を...
宮ノ下と木賀温泉の間の木賀の桟道辺りから見た早川の流れ。木の橋は、現在の早川遊歩道の東京電力川久保発電所近くの橋に相当するものと思われる。左の木陰に建物の屋根が見えるが、何に相当するか、よく分からない...
F.ベアトアルバムの写真である。相模川(馬入川)の支流中津川の中津川渓谷の宮ヶ瀬の風景である。宮の瀬は、大山(雨降山)の登山口でもある。A photo from the album of F. Bea...
明治13年(1880)の小林清親画「箱根底倉湯本萬年橋」に描かれた蛇骨川(じゃこつがわ)と同じ場所を写したもの。アングルから言って萬年橋の上から撮影したとすれば、橋が架設された明治6年(1873)から...
稲荷川は日光鉢石で大谷川に合する。 右端に外山がありその横を流れる稲荷川のはるか向うに日光の連山がある。 左端の大谷川のとうとうたる流れに稲荷川が注ぎこむ。Inari River meets Daiy...
大谷川(だいやがわ)に架かる2本の橋。左の朱塗りの橋が神橋(神橋)。その右隣は仮橋。日光山内の入口でもあるこれらの橋は明治35(1902)年の大水害で大谷川が氾濫したため流失した。地面には残雪が見られ...
富士山の西側を流れる川。甲府の釜無川(八ヶ岳駒ヶ岳に発する)と笛吹川の二つの河川を水源とする。この川ではろ艫の反り底が平らで、吃水も浅い舟を使うという。下る場合は竿を使い、登る場合は綱を引いて舟を上流...
岩淵は富士川左岸に位置する幕府領。手前は富士川の渡し船であろうか?慶長7年幕府から渡船役が課され、渡船役持ち10名によって運営されたという。遠く、橋にかかる木製の橋が見える。Iwabuchi was ...
天竜川は諏訪湖を水源とし、赤石・木曽両山脈を両翼に延々南下して遠州灘に注ぐ大河川である。洪水が夏期に集中するため洪水が起きやすく、古くから「暴れ天竜」とも呼ばれていた。The Tenryu River...
富士川の内房付近の吊り橋、釜口橋。富士川の水源から、約13里(51km)程の所にあり、南に下った地点に内房の竈口という地名がある。川の流れが屈折し、深く左右の岸壁が落ち込んでいるためこの地名があるとい...
写真は厳島神社の西側を流れる紅葉谷川の河口で大西町側から石燈籠やアカマツが茂る「西の松原」,遠くに水晶山を望む。川に突き出した基壇上に建つ石燈籠は寛政7年(1795)の建造で笠石に垂木表現を行った笠石...
大谷川右岸の稲荷町付近から撮影したと思われる。手前が大谷川(だいやがわ)。画面中央奥からの流れは稲荷川。稲荷川を挟んで左に恒霊山(こうれいざん)、右に外山(とやま)が見える。遠方の連山は女峰山(にょほ...
相模川のほとり。田名(たな)。大山を頂とする山脈を背景にした大きな川。雪解けや雨期には増水して4~500ヤードの川敷は全て水でおおわれる。The Far East 明治4年(1871)8月2日号。「復...
中島川は馬町近くで一の瀬川(本流)と堂門川(西山川)に分かれる。川の分岐点から上流に高麗橋、阿弥陀橋がある。写真は中島川に架かる阿弥陀橋で、明治20年代後半(1895頃)の撮影。向かって右岸の建物に「...