英語で「芝の寺の漆が塗られた墓」と解説されている。これは東京芝の増上寺境内にあった台徳院(徳川二代将軍秀忠)の墓所における宝塔である。この宝塔の中に家忠の遺体が安置されていた。The English caption reads "Lacquered tomb of a temple in Shiba." This is the tower of the tomb of the second Shogun Hidetada in Daitokuin within the premises of Zojoji in Shiba. In this tower was enshrined the body of Ietada
英文のタイトルには 「銅の門扉と家継の墓」 とある。 七代将軍家継は家宣の子で、 五歳で将軍就任し、 八歳で病没した。 霊廟は父の文昭院の隣に建てられた。The English caption rea...
有章院は徳川家継の法号。拝殿右側から勅額門?(写真右後方)に向かって鐘楼を撮したもの。Yushoin is the Buddhist name of Tokugawa Ietsugu. This is...
寺町の大音寺境内を正面から上がった左手にあった鐘楼を元治元年(1864)頃長崎を訪問したベアトが撮影したものである。僧侶と武士、従者がベアトを珍しそうに眺めている様子がうががえる。Beato took...
有章院霊廟奥院の最奥部に建てられた有章院(家継)の宝塔である。徳川将軍家の宝塔は、二代秀忠が木製であったが四代家綱の時に銅製となり六代家宣まで引き継がれた。しかし、七代家継からは石製に変更され、以後十...
タイトルに 「二代将軍霊廟」 とある。 秀忠の霊廟台徳院の門前である。The caption reads "tomb of second Shogun." It is the front gate o...
写真は本殿外陣で、 円柱より左側が内陣となる。 内陣柱の肘木には金箔がほどこされ、 欄間には花鳥の透彫が見える。 上部には極彩色の海老虹梁が人目をひく。The outer nave of the ma...
写真内に「東京、芝の寺の内部」と英文で書き込まれている。これは東京芝の増上寺境内にある有章院(徳川七代将軍家継)の墓所にあった拝殿内部の拝礼場所である。震災で消失する以前の内部の絢爛さがうかがえる。T...
英語で「東京芝の寺」と説明されているが、これは東京芝の増上寺境内にあった文昭院(徳川六代将軍家宣)の墓所の入り口にあった仕切門である。霊廟入り口の往時の雰囲気がうかがえる。門番と思われる男性には髷が残...
この宝塔は江戸時代のもので、基壇上に立てられた塔身は覆鉢形式と呼ばれるタイプ。屋根には相輪が付いている。相輪とは仏塔の最上部にある金属で作られた部分のことで、その基幹部分を九輪という。This Hot...
増上寺にあった歴代将軍の霊廟をつなぐ回廊。金箔をふんだんに用い、手の込んだ透かし彫りの技術を駆使した贅沢な作りは、東照宮などと同じ様式。The corridor connecting the tomb...
七代将軍家継(有章院)霊廟本殿の入口となる勅額門と鐘楼を南側から撮影したものである。勅額門の柱には龍の彫物があり、増上寺の徳川家霊廟の中では、最も華麗なものであった。将軍霊廟として最後の建築で、これ以...
九代将軍家重(諄信院)の宝塔前に設けられた門である。八代将軍吉宗から、新たな霊廟を建設しなくなったため、諄信院の奥院は、有章院奥院に付設された。増上寺将軍家霊廟の中では最も北側に位置していた。This...
六代将軍家宣(文昭院)霊廟本殿の前面部分を北東方向から撮影したものである。勅額門を入った本殿前のこの区画には左手に水屋・井戸屋形、右手に鐘楼が配され、正面に左右廊を付けた向唐破風造の中門があった。中門...
英語で「東京芝の金仏」と説明されている。東京芝増上寺の墓地にあったと思われる大仏である。側の卒塔婆の高さからみて2~3メートルのスケールか。The English caption reads "Gol...
家継の霊廟有章院は増上寺山内の北側に、父親の家宣の霊廟文昭院と並んで配置されていた。門を入って右手に見える建物は鐘楼。Yushoin, the tomb place of Shogun Ietsugu...
英文のタイトルには 「銅の門扉と家継の墓」 とある。 七代将軍家継は家宣の子で、 五歳で将軍就任し、 八歳で病没した。 霊廟は父の文昭院の隣に建てられた。The English caption rea...
有章院は徳川家継の法号。拝殿右側から勅額門?(写真右後方)に向かって鐘楼を撮したもの。Yushoin is the Buddhist name of Tokugawa Ietsugu. This is...
寺町の大音寺境内を正面から上がった左手にあった鐘楼を元治元年(1864)頃長崎を訪問したベアトが撮影したものである。僧侶と武士、従者がベアトを珍しそうに眺めている様子がうががえる。Beato took...
有章院霊廟奥院の最奥部に建てられた有章院(家継)の宝塔である。徳川将軍家の宝塔は、二代秀忠が木製であったが四代家綱の時に銅製となり六代家宣まで引き継がれた。しかし、七代家継からは石製に変更され、以後十...
タイトルに 「二代将軍霊廟」 とある。 秀忠の霊廟台徳院の門前である。The caption reads "tomb of second Shogun." It is the front gate o...
写真は本殿外陣で、 円柱より左側が内陣となる。 内陣柱の肘木には金箔がほどこされ、 欄間には花鳥の透彫が見える。 上部には極彩色の海老虹梁が人目をひく。The outer nave of the ma...
写真内に「東京、芝の寺の内部」と英文で書き込まれている。これは東京芝の増上寺境内にある有章院(徳川七代将軍家継)の墓所にあった拝殿内部の拝礼場所である。震災で消失する以前の内部の絢爛さがうかがえる。T...
英語で「東京芝の寺」と説明されているが、これは東京芝の増上寺境内にあった文昭院(徳川六代将軍家宣)の墓所の入り口にあった仕切門である。霊廟入り口の往時の雰囲気がうかがえる。門番と思われる男性には髷が残...
この宝塔は江戸時代のもので、基壇上に立てられた塔身は覆鉢形式と呼ばれるタイプ。屋根には相輪が付いている。相輪とは仏塔の最上部にある金属で作られた部分のことで、その基幹部分を九輪という。This Hot...
増上寺にあった歴代将軍の霊廟をつなぐ回廊。金箔をふんだんに用い、手の込んだ透かし彫りの技術を駆使した贅沢な作りは、東照宮などと同じ様式。The corridor connecting the tomb...
七代将軍家継(有章院)霊廟本殿の入口となる勅額門と鐘楼を南側から撮影したものである。勅額門の柱には龍の彫物があり、増上寺の徳川家霊廟の中では、最も華麗なものであった。将軍霊廟として最後の建築で、これ以...
九代将軍家重(諄信院)の宝塔前に設けられた門である。八代将軍吉宗から、新たな霊廟を建設しなくなったため、諄信院の奥院は、有章院奥院に付設された。増上寺将軍家霊廟の中では最も北側に位置していた。This...
六代将軍家宣(文昭院)霊廟本殿の前面部分を北東方向から撮影したものである。勅額門を入った本殿前のこの区画には左手に水屋・井戸屋形、右手に鐘楼が配され、正面に左右廊を付けた向唐破風造の中門があった。中門...
英語で「東京芝の金仏」と説明されている。東京芝増上寺の墓地にあったと思われる大仏である。側の卒塔婆の高さからみて2~3メートルのスケールか。The English caption reads "Gol...
家継の霊廟有章院は増上寺山内の北側に、父親の家宣の霊廟文昭院と並んで配置されていた。門を入って右手に見える建物は鐘楼。Yushoin, the tomb place of Shogun Ietsugu...
英文のタイトルには 「銅の門扉と家継の墓」 とある。 七代将軍家継は家宣の子で、 五歳で将軍就任し、 八歳で病没した。 霊廟は父の文昭院の隣に建てられた。The English caption rea...
有章院は徳川家継の法号。拝殿右側から勅額門?(写真右後方)に向かって鐘楼を撮したもの。Yushoin is the Buddhist name of Tokugawa Ietsugu. This is...
寺町の大音寺境内を正面から上がった左手にあった鐘楼を元治元年(1864)頃長崎を訪問したベアトが撮影したものである。僧侶と武士、従者がベアトを珍しそうに眺めている様子がうががえる。Beato took...