有章院霊廟奥院の最奥部に建てられた有章院(家継)の宝塔である。徳川将軍家の宝塔は、二代秀忠が木製であったが四代家綱の時に銅製となり六代家宣まで引き継がれた。しかし、七代家継からは石製に変更され、以後十四代家茂まで石製の宝塔が建てられた。This is the tomb of the 7th Shogun Tokugawa Ietsugu in the inner shrine at Yushoin Mausoleum. The Tokugawa tombs are made of various materials. The tomb of the 2nd Shogun Hidetada was made of wood, then bronze was used for that of the 4th Shogun Ietsuna. This was continued up to the 6th Shogun Ienobu, then changed to stone for the 7th Shogun Ietsugu and subsequent generations up to the 14th Shogun Iemochi
文昭院霊廟奥院拝殿に通じる石段と唐門を,仕切門をくぐった位置から撮影したものである。左手に並ぶ灯篭は銅製で、大名家から寄進されたものである。銅灯篭には「文昭院尊前正徳二年十月二十四日」の刻銘がある。こ...
文昭院霊廟の最も奥にあたる宝塔の前に設けられた青銅製の門である。両袖塀には昇り龍・下り龍が鋳抜かれている。北廟の5人の将軍墓前にはこうした門が建てられたが、青銅製はこの門だけである。現在、この門は焼失...
七代将軍家継の霊廟有章院の勅額門の内側。父親の家宣の霊廟と比べるといくぶん簡略化されているとはいえ、金箔をふんだんに用いた豪華な浮き彫りがふんだんに用いられている。The interior of th...
英語で「芝の寺の漆が塗られた墓」と解説されている。これは東京芝の増上寺境内にあった台徳院(徳川二代将軍秀忠)の墓所における宝塔である。この宝塔の中に家忠の遺体が安置されていた。The English ...
七代将軍家継(有章院)霊廟本殿の入口となる勅額門と鐘楼を南側から撮影したものである。勅額門の柱には龍の彫物があり、増上寺の徳川家霊廟の中では、最も華麗なものであった。将軍霊廟として最後の建築で、これ以...
七代将軍家継(有章院)霊廟本殿の入口となる勅額門と鐘楼を南側から撮影したものである。勅額門の柱には龍の彫物があり、増上寺の徳川家霊廟の中では、最も華麗なものであった。将軍霊廟として最後の建築で、これ以...
この宝塔は江戸時代のもので、基壇上に立てられた塔身は覆鉢形式と呼ばれるタイプ。屋根には相輪が付いている。相輪とは仏塔の最上部にある金属で作られた部分のことで、その基幹部分を九輪という。This Hot...
日光東照宮の奥社宝塔には徳川家康の神柩(しんきゅう)が納められている。木造から石造に替えられた宝塔は、天和3(1683)年の大地震で破損したため、五代将軍綱吉が唐銅(からがね)製に造り替えた。右手前に...
九代将軍家重(諄信院)の宝塔前に設けられた門である。八代将軍吉宗から、新たな霊廟を建設しなくなったため、諄信院の奥院は、有章院奥院に付設された。増上寺将軍家霊廟の中では最も北側に位置していた。This...
家継の霊廟有章院は増上寺山内の北側に、父親の家宣の霊廟文昭院と並んで配置されていた。門を入って右手に見える建物は鐘楼。Yushoin, the tomb place of Shogun Ietsugu...
六代将軍家宣(文昭院)霊廟本殿の前面部分を北東方向から撮影したものである。勅額門を入った本殿前のこの区画には左手に水屋・井戸屋形、右手に鐘楼が配され、正面に左右廊を付けた向唐破風造の中門があった。中門...
有章院は徳川家継の法号。拝殿右側から勅額門?(写真右後方)に向かって鐘楼を撮したもの。Yushoin is the Buddhist name of Tokugawa Ietsugu. This is...
写真は本殿外陣で、 円柱より左側が内陣となる。 内陣柱の肘木には金箔がほどこされ、 欄間には花鳥の透彫が見える。 上部には極彩色の海老虹梁が人目をひく。The outer nave of the ma...
御霊殿の外、南東側から写したものである。写真師の演出であろう、固く閉ざされた門前の石段に跪き礼拝する男性と龍の彫刻のある柱に手をかけて佇む僧侶を配している。各大名家から寄進された門前の石灯籠は、霊廟全...
増上寺にあった歴代将軍の霊廟をつなぐ回廊。金箔をふんだんに用い、手の込んだ透かし彫りの技術を駆使した贅沢な作りは、東照宮などと同じ様式。The corridor connecting the tomb...
文昭院霊廟奥院拝殿に通じる石段と唐門を,仕切門をくぐった位置から撮影したものである。左手に並ぶ灯篭は銅製で、大名家から寄進されたものである。銅灯篭には「文昭院尊前正徳二年十月二十四日」の刻銘がある。こ...
文昭院霊廟の最も奥にあたる宝塔の前に設けられた青銅製の門である。両袖塀には昇り龍・下り龍が鋳抜かれている。北廟の5人の将軍墓前にはこうした門が建てられたが、青銅製はこの門だけである。現在、この門は焼失...
七代将軍家継の霊廟有章院の勅額門の内側。父親の家宣の霊廟と比べるといくぶん簡略化されているとはいえ、金箔をふんだんに用いた豪華な浮き彫りがふんだんに用いられている。The interior of th...
英語で「芝の寺の漆が塗られた墓」と解説されている。これは東京芝の増上寺境内にあった台徳院(徳川二代将軍秀忠)の墓所における宝塔である。この宝塔の中に家忠の遺体が安置されていた。The English ...
七代将軍家継(有章院)霊廟本殿の入口となる勅額門と鐘楼を南側から撮影したものである。勅額門の柱には龍の彫物があり、増上寺の徳川家霊廟の中では、最も華麗なものであった。将軍霊廟として最後の建築で、これ以...
七代将軍家継(有章院)霊廟本殿の入口となる勅額門と鐘楼を南側から撮影したものである。勅額門の柱には龍の彫物があり、増上寺の徳川家霊廟の中では、最も華麗なものであった。将軍霊廟として最後の建築で、これ以...
この宝塔は江戸時代のもので、基壇上に立てられた塔身は覆鉢形式と呼ばれるタイプ。屋根には相輪が付いている。相輪とは仏塔の最上部にある金属で作られた部分のことで、その基幹部分を九輪という。This Hot...
日光東照宮の奥社宝塔には徳川家康の神柩(しんきゅう)が納められている。木造から石造に替えられた宝塔は、天和3(1683)年の大地震で破損したため、五代将軍綱吉が唐銅(からがね)製に造り替えた。右手前に...
九代将軍家重(諄信院)の宝塔前に設けられた門である。八代将軍吉宗から、新たな霊廟を建設しなくなったため、諄信院の奥院は、有章院奥院に付設された。増上寺将軍家霊廟の中では最も北側に位置していた。This...
家継の霊廟有章院は増上寺山内の北側に、父親の家宣の霊廟文昭院と並んで配置されていた。門を入って右手に見える建物は鐘楼。Yushoin, the tomb place of Shogun Ietsugu...
六代将軍家宣(文昭院)霊廟本殿の前面部分を北東方向から撮影したものである。勅額門を入った本殿前のこの区画には左手に水屋・井戸屋形、右手に鐘楼が配され、正面に左右廊を付けた向唐破風造の中門があった。中門...
有章院は徳川家継の法号。拝殿右側から勅額門?(写真右後方)に向かって鐘楼を撮したもの。Yushoin is the Buddhist name of Tokugawa Ietsugu. This is...
写真は本殿外陣で、 円柱より左側が内陣となる。 内陣柱の肘木には金箔がほどこされ、 欄間には花鳥の透彫が見える。 上部には極彩色の海老虹梁が人目をひく。The outer nave of the ma...
御霊殿の外、南東側から写したものである。写真師の演出であろう、固く閉ざされた門前の石段に跪き礼拝する男性と龍の彫刻のある柱に手をかけて佇む僧侶を配している。各大名家から寄進された門前の石灯籠は、霊廟全...
増上寺にあった歴代将軍の霊廟をつなぐ回廊。金箔をふんだんに用い、手の込んだ透かし彫りの技術を駆使した贅沢な作りは、東照宮などと同じ様式。The corridor connecting the tomb...
文昭院霊廟奥院拝殿に通じる石段と唐門を,仕切門をくぐった位置から撮影したものである。左手に並ぶ灯篭は銅製で、大名家から寄進されたものである。銅灯篭には「文昭院尊前正徳二年十月二十四日」の刻銘がある。こ...
文昭院霊廟の最も奥にあたる宝塔の前に設けられた青銅製の門である。両袖塀には昇り龍・下り龍が鋳抜かれている。北廟の5人の将軍墓前にはこうした門が建てられたが、青銅製はこの門だけである。現在、この門は焼失...
七代将軍家継の霊廟有章院の勅額門の内側。父親の家宣の霊廟と比べるといくぶん簡略化されているとはいえ、金箔をふんだんに用いた豪華な浮き彫りがふんだんに用いられている。The interior of th...