application/pdf都城盆地の古代の集落様相と動態に関する3つの課題を提示して,横市川流域の遺跡群の集落遺跡の類型化とその性格を推定した上で,同盆地内のその他の遺跡との比較も行ってその背景を考察した。①都城盆地内において,8世紀前半に明確ではなかった集落が8世紀後半に忽然と現れる現象については,8世紀後半以降の律令政府による対隼人政策の解消に伴って南九州各地にも律令諸原則が適用されるようになる中で,いわゆる開墾集落が形成されはじめた可能性を指摘した。②遺跡数が増大する9世紀中頃から10世紀前半には,複数の集落類型が併存しており,中にはいわゆる官衙関連遺跡や地方有力者の居宅跡も存在する。郡衙が置かれた場所ではないが,広大な諸県郡の中の中心域を占め,開発可能な沖積地を随所に擁する都城盆地において,国司・大宰府官人・院宮王臣家などとのつながりが想定される富豪層による開発が進展するとともに,物資の流通ルートを担う動きが活発化して,集落形成が顕著となり,各集落が出現と消滅,変転を繰り返しながらも見かけ上は継続的に集落形成が行われていたと推察される。貿易陶磁器や国産施釉陶器などの希少陶磁器類の存在から看取される都城盆地の特質としては,南九州内陸部における交通の結節点をなす場所として重要な位置を占めていたことに加え,一大消費地でもあったことも指摘できる。③10世紀前半まで継続した集落が10世紀後半になると衰退・廃絶し,全体的に遺跡数が減少するという現象については,10世紀から11世紀にかけて進行した乾燥化と温暖化,変動幅の大きい夏季降水量など不安定な気候の可能性に加え,当該期における集落形成の流動性と定着性の薄弱さを考慮すべきである。当時,開発の余地が大きい都城盆地に進出していた...
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