紀伊半島の南部の熊野地方は、東西海上交通の要衝である。しかしその沿岸にあった港津の姿は、史料不足から明らかにされて来なかった。またこの地域には中世城館が点在するが、その歴史も明らかではない。この稿では港津と城館の関係性を追究することで、両遺跡が地域社会にどのように関わったかを解明することを目的とした。 中世において、港津と城館が接近する事例には、その背景に戦乱があったことがわかった。熊野地域は戦国期の十五世紀中頃から十六世紀中頃に掛けて、畠山氏の家督争いに関わる内訌や将軍権力の分裂に伴う戦乱が継続的に起こった。また、十六世紀後半の天正期には、熊野地域東部(那智山周辺)では新宮の堀内氏・米良実報院の勢力拡大に伴う戦乱が起こった。それに伴い、港津が戦乱に巻き込まれるおそれがあり、城館を築いて守らなくてはならない状況が生じた。特に紀伊半島西部では、十五世紀末以降戦いの枠組みが変化し、戦いの広域化・大規模化に対応して、城館が「群」として成立する傾向がある。戦乱と言えるほど大規模ではなくても、港津や集落が、外部勢力によって襲われる事態も起こったことがわかる。城館は見張りなどの役割を果たしたのであろう。 豊臣期になると港津と城館が近接する事例が見られる。それは大坂を核とした、統一政権による流通網形成の影響によるものである。しかし、熊野地域では港津を押さえるように城館が営まれる事例と、そうでない事例がある。その差異は築城主体の地域社会の中での位置付けが、関わってくると考えられる
application/pdftext2007年、湖南大学嶽麓書院は、梱包された大量の簡牘を香港古玩市場で購入した。その数量はのち某収蔵家から寄贈されたものを含めて全体で2176個の編号になる。それら...
application/pdfドイツにおいて、宗教団体(特に、カトリック・プロテスタントというキリスト教系二大教会)は、社会福祉の領域を中心として雇用社会の中でも重要な役割を担っている。今日では、約一...
顕昭『袖中抄』二十巻は一種の歌語辞典というべき書で、成立は文治年間(一一八五~一一八九)ごろと推される。和漢にわたる博引旁証ぶりが知られるけれど、類書からの孫引きも多い。小論は顕昭が利用した類書を明ら...
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宮沢賢治の詩の解説や一つの詩の中の部分的解釈は、多数の専門家によって試みられている。しかし、一つの詩の全体を通した現代語解釈は今まで見つけることができなかった。今回、宮沢賢治の詩の代表作の一つ『春と修...
文革期に知青文学がどのような過程で創作され、発表されるにいたったのか。この点を王小鷹の文革期の創作活動を通して、分析・考察を行った。王小鷹の処女作である「小牛」の創作・発表の背景から浮かび上がってくる...
都市計画に対応する「まちづくり」という言葉は、下からの運動によって制度の欠陥を補う必要があった東アジア的事情から生まれ、少なくとも四つの源流を持つ。そのため定義が困難だが、本稿では一九七〇年代から継...
はじめに 『新撰万葉集』における和漢対応の姿を端的に表しているものとして、鳴く鹿・鹿鳴というモチーフのあらわれ方が注目されるべきであろう。本稿は上巻秋57の歌と詩の分析を通じて、その詩想の異同を明らか...
『日本書紀』は、現在に至るまで、ただテキストがそのままでたもたれ続けたのではなく、解釈をくわえ、かたちを変えて生きてきた。「テキストの運動」というのがふさわしい、そのダイナミズムの全体が『日本書紀』の...
筆者は、フランスの詩人ジャン・コクトーが世界一周旅行の途上で立ち寄った日本においてどのような足跡を残したのかという問題について、これまでに幾度か検証を行なってきた。すでに発表された論考の補足・第二部に...
本稿の検討の対象は、代表訴訟が提起されその対象となっている会社の権利を会社が処分することができるかという問題である。 本稿は、第一に、この問題について通説的地位を占める処分否定説を検討する。処分否定...
慶応三年十二月九日、「王政復古」の政変が起きた。これにより、「摂関幕府等廃絶」が宣言され、公家・武家双方の旧制度が廃止されたのである。この政変については、薩摩藩及び長州藩の主導によるとの印象が、一般的...
『源氏物語』の思想基盤について、研究者によって意見\nが異なっている。筆者は中国の伝統文化の一つである道学の視点から、『源氏物語』における道学的な発想を試みに考察してみた。本論文は三方面から展開する。...
長野県中信地方の方言で、タベリ・ミリ等の形は優しい命令を表し(優しい命令形とする)、タベリヤ・ミリヤ等は勧誘を表す(ヤによる勧誘形とする)。共通語形と共に用いられている。若年層に対する調査の結果による...
西洋鉱物学の移入によって始まった我が国の鉱物学において、最初の困難な課題の一つは和語、漢語、外来語、およびこれらの混種語が存在した鉱物名を一つに定めることであった。その最初の試みは小藤文次郎他編『鉱物...
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