application/pdf近年、日本で「歴史認識」という言葉を再三再四耳にする。なぜ、現在において歴史認識が盛んに議論され、問題にされているのだろうか。歴史認識とは非常に把握しにくいものだが、近年、戦争の記憶をめぐる議論において重要になってきたといえよう。とりわけ戦争の体験を記念碑・記念館・記念式などというかたちで如何に表象すべきかという議論の関連でよく浮上する概念である。戦争の記憶は日本でもドイツでも現在決定的な転換期に突入しているとされる。ドイツのヤン・アスマン氏が明らかにしたように、歴史のある一章を直接経験し、実際記憶している世代がこの世を去る時期に、共通記憶が文化的共有記憶(cultural memory)に変身する。歴史を実際経験している者の記憶に基づく共通記憶と相違して、文化的共有記憶は記念館、記念碑、記念式などに基づいているものである。そのような記念碑などを作る際、歴史認識をどのように表現するかという議論がもっとも激しくなる。第二次世界大戦の経験者がこの世を去りつつある今日、その共通記憶が文化的共有記憶に変わる時期が到来したと言えよう。その結果、とりわけ敗戦国である日本とドイツでは、この共通記憶が文化的共有記憶に変わるプロセスをめぐる議論が激しいものとなっている。 この論文でまず歴史認識という概念とその形成過程を明らかにし、主に現在の日本とドイツの戦争記憶との関連で議論されている歴史認識のあり方について言及してみたいと思う。同盟国として侵略戦争を起こし、同じく敗戦国になり、戦後著しい復帰を成し遂げた日本とドイツとの間には、多くの共通点があるはずだが、近年の日本における議論では、むしろドイツと日本が相違しているところが強調されるのが一般的であろう。しかし、日本...