application/pdf哀悼傷身の習俗の一つに抜歯がある。この抜歯は18~19世紀のハワイ諸島の例が有名である。抜く歯は上下の中・側切歯であって,首長や親族の死にさいして極度の哀悼の意をあらわすために1回に2本を抜く。文献記録では,16~18世紀の中国の四川省や貴州省に住んでいた佗佬の例がもっとも古い。しかし,考古資料では,徳島県内谷石棺墓の男性人骨に伴った女性の上顎中切歯1本が哀悼抜歯の存在をしめしており,4世紀までさかのぼる。 中国新石器時代の抜歯は,7000年前に上顎の側切歯を抜くことから始まる。抜歯の年齢・普及率からすると,成人式とかかわりをもつと考えてよい。中国では4500年前になると,この習俗はいったん衰退する。まもなく今度は上下の中・側切歯を抜くことが安徽・江蘇・山東付近で始まる。抜歯の年齢はあがり,その頻度は低くなる。新たに始まったこの抜歯は死者に対する哀悼のためであった,と私は推定する。 上下の中・側切歯を抜いた例は,モンゴル(~19世紀?),シベリア(新石器~19世紀?),アメリカ(15世紀以前~19世紀?),日本(縄文前期~6世紀=古墳時代),琉球(縄文~13世紀),ポリネシア(18~19世紀)で知られている。中国新石器時代に発祥した哀悼抜歯が数千年かけてアジア・アメリカ・太平洋にひろがっていったことを,これらの事実は示唆している。 ポリネシア・シベリア・モンゴルでは,髪を切り身体を刀で傷つける哀悼傷身は,首長や親族との特別に親密な関係を表現し更新する役割を果たしている。考古資料にのこされている哀悼抜歯の痕跡は,墓の内容,男女の別などを考慮することによって,抜歯された人物の社会的な位置を探り,さらにはその社会の構造を解明していく手がかりとなる可能性...
application/pdf本稿は,柳田國男が大正9年の暮れから大正10年の3月にかけておこなった南島紀行の成果である『海南小記』ならびに『炭焼小五郎が事』において,沖縄の職人文化の伝承をどのように...
14C年代測定というと,縄文時代・弥生時代の資料が対象という印象が強いが,加速器質量分析法(AMS)の登場と較正曲線の整備とにより,古文書や古経典など歴史時代の和紙資料についても,14C年代測定を行う...
application/pdf縄文・弥生土器の編年体系は,世界の先史土器の中でもっとも細密なものである。その基礎をつくった一人である山内清男は,層位学と型式学を駆使して縄文土器の編年に取り組み,193...
application/pdf哀悼傷身の習俗の一つに抜歯がある。この抜歯は18~19世紀のハワイ諸島の例が有名である。抜く歯は上下の中・側切歯であって,首長や親族の死にさいして極度の哀悼の意をあらわす...
application/pdf本論は,日本列島・古墳時代および韓半島・三国時代の古墳・集落出土土器資料を対象に,5世紀代における栄山江流域を中心とする全羅道地域と日本列島中央部に位置する近畿地域との相...
本稿では喜界島・奄美大島と薩摩・大隅地方の中世遺跡について両地域で出土した建物跡・土坑墓などの遺構と中国陶磁器などの遺物を比較し,11世紀後半から16世紀を5段階に分けて関連を検討した。11世紀後半~...
インドネシアのジャワ島西部に位置するバンテン遺跡は16世紀から18世紀にかけて栄えたイスラム教を奉ずるバンテン王国の都であった。1976年以来,インドネシア国立考古学センター(The National...
application/pdf八重山・宮古といった先島諸島には,沖縄本島では見られない石積みで囲われた集落遺跡がある。発掘調査によってそこから出土する中国産陶磁器は膨大で,それらの遺跡は13世紀後半か...
本稿は,縄紋後期の生業活動において,海洋資源がどの程度利用されていたのかを見積るため,炭素の安定同位体比(δ¹³C値)と炭素14年代をもとに,時期別・地域別の検討をおこなったものである。旧稿[小林20...
application/pdf1990年代の三角縁神獣鏡研究の飛躍により,箸墓古墳の年代が3世紀中頃に特定され,〈魏志倭人伝〉に見られる倭国と,倭王権とが直結し,連続的発展として理解できるようになった...
鋳鉄鋳物は,こわれると地金として再利用されるため,資料数は少ないが,古代・中世の鍋釜について消費遺跡出土品・生産遺跡出土鋳型・社寺所蔵伝世品の資料を集成した。これらは,羽釜・鍋A・鍋B・鍋C・鍋I・鉄...
application/pdf古墳時代後期の6世紀に日本列島の各地で造営された墳丘長60メートル以上の大型前方後円墳の数を比軟すると,他の諸地域に比べ関東地方にきわめて多いことが知られる。律令体制下の...
application/pdf日本列島に展開した各時代史において,村落や都市などを守る拠点,あるいは全体を囲む防備施設が存在した。弥生時代の環濠集落を嚆矢(こうし)として,各時代に各々特色ある防禦施設...
application/pdf群馬県内の終末期古墳では普遍的に存在する,横穴式石室の前面に広がる前庭構造について,従来は,古墳時代後期に群馬県地域で独自に土着した構造であると解釈されていた。しかし,近...
application/pdf本論は先島諸島と奄美地域で出土する貿易陶磁の数量分析データに基づき,各遺跡の出土量の消長や種別の変化に言及し,琉球列島の南北における貿易陶磁の動態を論じたものである。別稿...
application/pdf本稿は,柳田國男が大正9年の暮れから大正10年の3月にかけておこなった南島紀行の成果である『海南小記』ならびに『炭焼小五郎が事』において,沖縄の職人文化の伝承をどのように...
14C年代測定というと,縄文時代・弥生時代の資料が対象という印象が強いが,加速器質量分析法(AMS)の登場と較正曲線の整備とにより,古文書や古経典など歴史時代の和紙資料についても,14C年代測定を行う...
application/pdf縄文・弥生土器の編年体系は,世界の先史土器の中でもっとも細密なものである。その基礎をつくった一人である山内清男は,層位学と型式学を駆使して縄文土器の編年に取り組み,193...
application/pdf哀悼傷身の習俗の一つに抜歯がある。この抜歯は18~19世紀のハワイ諸島の例が有名である。抜く歯は上下の中・側切歯であって,首長や親族の死にさいして極度の哀悼の意をあらわす...
application/pdf本論は,日本列島・古墳時代および韓半島・三国時代の古墳・集落出土土器資料を対象に,5世紀代における栄山江流域を中心とする全羅道地域と日本列島中央部に位置する近畿地域との相...
本稿では喜界島・奄美大島と薩摩・大隅地方の中世遺跡について両地域で出土した建物跡・土坑墓などの遺構と中国陶磁器などの遺物を比較し,11世紀後半から16世紀を5段階に分けて関連を検討した。11世紀後半~...
インドネシアのジャワ島西部に位置するバンテン遺跡は16世紀から18世紀にかけて栄えたイスラム教を奉ずるバンテン王国の都であった。1976年以来,インドネシア国立考古学センター(The National...
application/pdf八重山・宮古といった先島諸島には,沖縄本島では見られない石積みで囲われた集落遺跡がある。発掘調査によってそこから出土する中国産陶磁器は膨大で,それらの遺跡は13世紀後半か...
本稿は,縄紋後期の生業活動において,海洋資源がどの程度利用されていたのかを見積るため,炭素の安定同位体比(δ¹³C値)と炭素14年代をもとに,時期別・地域別の検討をおこなったものである。旧稿[小林20...
application/pdf1990年代の三角縁神獣鏡研究の飛躍により,箸墓古墳の年代が3世紀中頃に特定され,〈魏志倭人伝〉に見られる倭国と,倭王権とが直結し,連続的発展として理解できるようになった...
鋳鉄鋳物は,こわれると地金として再利用されるため,資料数は少ないが,古代・中世の鍋釜について消費遺跡出土品・生産遺跡出土鋳型・社寺所蔵伝世品の資料を集成した。これらは,羽釜・鍋A・鍋B・鍋C・鍋I・鉄...
application/pdf古墳時代後期の6世紀に日本列島の各地で造営された墳丘長60メートル以上の大型前方後円墳の数を比軟すると,他の諸地域に比べ関東地方にきわめて多いことが知られる。律令体制下の...
application/pdf日本列島に展開した各時代史において,村落や都市などを守る拠点,あるいは全体を囲む防備施設が存在した。弥生時代の環濠集落を嚆矢(こうし)として,各時代に各々特色ある防禦施設...
application/pdf群馬県内の終末期古墳では普遍的に存在する,横穴式石室の前面に広がる前庭構造について,従来は,古墳時代後期に群馬県地域で独自に土着した構造であると解釈されていた。しかし,近...
application/pdf本論は先島諸島と奄美地域で出土する貿易陶磁の数量分析データに基づき,各遺跡の出土量の消長や種別の変化に言及し,琉球列島の南北における貿易陶磁の動態を論じたものである。別稿...
application/pdf本稿は,柳田國男が大正9年の暮れから大正10年の3月にかけておこなった南島紀行の成果である『海南小記』ならびに『炭焼小五郎が事』において,沖縄の職人文化の伝承をどのように...
14C年代測定というと,縄文時代・弥生時代の資料が対象という印象が強いが,加速器質量分析法(AMS)の登場と較正曲線の整備とにより,古文書や古経典など歴史時代の和紙資料についても,14C年代測定を行う...
application/pdf縄文・弥生土器の編年体系は,世界の先史土器の中でもっとも細密なものである。その基礎をつくった一人である山内清男は,層位学と型式学を駆使して縄文土器の編年に取り組み,193...