鎌倉期に暦道家賀茂家は分化し、中世的家を確立した。十世紀に活動した賀茂保憲を自らの家の始祖として、様々な口伝や、家伝を創りあげていった。その中でも、中世賀茂家の祭祀次第書である『文肝抄』に見られる保憲についての記述を取り上げた。結果、院政期末に活動した賀茂在憲と併記されることが見えた。在憲は中世賀茂家の祖ともいうべき人物であり、室町期に興る勘解由小路家につながる賀茂家嫡流の祖である。その在憲が、賀茂家の祖ともいうべき保憲と併記される意義について説いた。特に五帝祭・本命祭という、王権の守護、及び天文に関しての祭祀の次第に彼らの名を挙げることで、安倍晴明・泰親を立てる陰陽家安倍家に対して対抗し、独自の言説を創りあげていたことについて考察を試みた。賀茂在憲中世陰陽道『文肝抄』五帝祭本命
「光明摂取文」と称される「一一光明徧照十方世界念佛衆生攝取不捨」は、『観経』第九観に説示される一文である。善導は『観経疏』において、この文を殊に重視し、念仏の衆生は阿弥陀仏の「光明」によって「摂取」さ...
本稿では,伊豆諸島にある八丈島と青ヶ島の巫者が行う死者の口寄せの事例を報告している。八丈島と青ヶ島ではミコと呼ばれる女性の巫者が,死者の口寄せを行う。これが「ナカヒト」や「ナカシト」と呼ばれた。当該地...
安部公房「赤い繭」(一九五〇年一二月『人間』)は、初期作品群の中で例外的に多くの先行研究が存在するが、当時影響を受けた人物、また文学を創作する上での手法からのアプローチが大多数を占める。一方で、安部が...
鎌倉期に暦道家賀茂家は分化し、中世的家を確立した。十世紀に活動した賀茂保憲を自らの家の始祖として、様々な口伝や、家伝を創りあげていった。その中でも、中世賀茂家の祭祀次第書である『文肝抄』に見られる保憲...
宮沢賢治の保阪嘉内宛書簡の一つに「あなたはむかし」の書き出して始まる、大学ノート四頁に書かれたものがある。この書簡には日付の記入がなく、従来は大正十年七月下旬に書かれたものと推定され、宮沢賢治と保阪嘉...
古代日本語の語彙には、日本語一視点のみでは正確に理解できないものがある。現代日本語は前置修飾構造である。しかし、かつて日本社会には、後置修飾構造を持つ言語が存在し、その痕跡は『記』『紀』の固有名詞に残...
慶応三年(一八六七)十月十四日、将軍徳川慶喜は、土佐藩の建白に応じて、朝廷に「政権」奉還の上表を呈し、朝廷は翌十五日、これを許可した。上表提出に先立つ十三日、慶喜は在京四十藩の重臣、約五十名を二条城に...
近時、魏の曹操高陵(河南省安陽県安豊郷西高穴村)が発見されたことは、日中両国において大変な評判を呼んだが、二〇一六年に河南省文物考古研究院『曹操高陵』が刊行されるに及び、漸くその全貌が明らかとなった。...
「満州国の教育」は、本質的には「植民地教育」であったが、満州国のもつ重要な役割からして、只単に「奴化教育」、「愚民化教育」と批判しただけではその実態を十分に明らかにしたとは言えない。批判の一つの根拠と...
本稿では虚妄分別という複合語の構造を知り得る文献資料を紹介し、その資料の分析に基づいて、虚妄分別には二つの表現様式があるということと、その複合語の解釈においても二つの傾向があるということを述べる。まず...
本研究は景観復原の資料としての地籍図の不備を補うものとして土地台帳の資料的価値を検討した。地籍図の資料的問題点は情報の時間性を欠いていることである。そこで土地台帳の分筆・合筆情報を経年的に追い、明治・...
「見立絵本」と呼ばれてきた作品群には、近年、議論が進められてきた「見立て」の語義に即して、特定の主題に該当するものを別の事物で視覚的に仮構し、関連する語彙で説明をつけたものを集めた作だけでなく、既存の...
異熟(vipaka)は、有部経量部 瑜伽行派のいずれにおいても語られる概念である。有部においては六因の一つに異熟因(vipaka-hetu)があり、経量部においては因から果が生じる際の「相続の特殊な変...
漢代の「史書」は、一般的には書体(隷書や大篆)を意味すると考えられているが、一方で「吏書」=官文書とする異説があった。張家山漢簡・史律の釈文が公表されると、そこに見られる「史書」をめぐって、文献史料と...
本学では2007年9月に全学利用者に対するアンケート調査を行った。その結果を受けて利用者サービスの改善を進めてきたが,その後の利用者の満足度を図るべく2009年11月に2回目のアンケート調査を実施した...
「光明摂取文」と称される「一一光明徧照十方世界念佛衆生攝取不捨」は、『観経』第九観に説示される一文である。善導は『観経疏』において、この文を殊に重視し、念仏の衆生は阿弥陀仏の「光明」によって「摂取」さ...
本稿では,伊豆諸島にある八丈島と青ヶ島の巫者が行う死者の口寄せの事例を報告している。八丈島と青ヶ島ではミコと呼ばれる女性の巫者が,死者の口寄せを行う。これが「ナカヒト」や「ナカシト」と呼ばれた。当該地...
安部公房「赤い繭」(一九五〇年一二月『人間』)は、初期作品群の中で例外的に多くの先行研究が存在するが、当時影響を受けた人物、また文学を創作する上での手法からのアプローチが大多数を占める。一方で、安部が...
鎌倉期に暦道家賀茂家は分化し、中世的家を確立した。十世紀に活動した賀茂保憲を自らの家の始祖として、様々な口伝や、家伝を創りあげていった。その中でも、中世賀茂家の祭祀次第書である『文肝抄』に見られる保憲...
宮沢賢治の保阪嘉内宛書簡の一つに「あなたはむかし」の書き出して始まる、大学ノート四頁に書かれたものがある。この書簡には日付の記入がなく、従来は大正十年七月下旬に書かれたものと推定され、宮沢賢治と保阪嘉...
古代日本語の語彙には、日本語一視点のみでは正確に理解できないものがある。現代日本語は前置修飾構造である。しかし、かつて日本社会には、後置修飾構造を持つ言語が存在し、その痕跡は『記』『紀』の固有名詞に残...
慶応三年(一八六七)十月十四日、将軍徳川慶喜は、土佐藩の建白に応じて、朝廷に「政権」奉還の上表を呈し、朝廷は翌十五日、これを許可した。上表提出に先立つ十三日、慶喜は在京四十藩の重臣、約五十名を二条城に...
近時、魏の曹操高陵(河南省安陽県安豊郷西高穴村)が発見されたことは、日中両国において大変な評判を呼んだが、二〇一六年に河南省文物考古研究院『曹操高陵』が刊行されるに及び、漸くその全貌が明らかとなった。...
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本稿では虚妄分別という複合語の構造を知り得る文献資料を紹介し、その資料の分析に基づいて、虚妄分別には二つの表現様式があるということと、その複合語の解釈においても二つの傾向があるということを述べる。まず...
本研究は景観復原の資料としての地籍図の不備を補うものとして土地台帳の資料的価値を検討した。地籍図の資料的問題点は情報の時間性を欠いていることである。そこで土地台帳の分筆・合筆情報を経年的に追い、明治・...
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異熟(vipaka)は、有部経量部 瑜伽行派のいずれにおいても語られる概念である。有部においては六因の一つに異熟因(vipaka-hetu)があり、経量部においては因から果が生じる際の「相続の特殊な変...
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本稿では,伊豆諸島にある八丈島と青ヶ島の巫者が行う死者の口寄せの事例を報告している。八丈島と青ヶ島ではミコと呼ばれる女性の巫者が,死者の口寄せを行う。これが「ナカヒト」や「ナカシト」と呼ばれた。当該地...
安部公房「赤い繭」(一九五〇年一二月『人間』)は、初期作品群の中で例外的に多くの先行研究が存在するが、当時影響を受けた人物、また文学を創作する上での手法からのアプローチが大多数を占める。一方で、安部が...