都市をとりまく諸地域と都市のむすびつきの変化は、都市の発達と深い関係をもっている。地域中心としての都市の機能は、其様な変化によって影響される所が大きい。ここでは、近代以後の都市発達期をひかえた近世末における都市の成立塞盤として、此様な地域と都市の関係を中心に検討した。 種々の次元の市場における商品流通は、都市を廻る此様な地域を規定する役割をもっている。我国近世末期には、全国市場・領国市場・在郷町市場が、重層的な市場を構成しており、各々の市揚に於る役割が、都市成立基盤の重要な部分をしめていた。市場における商晶流通は、直接生産者における生産力の上に成立する。従って、封建社会の主要な生産的基礎である農業生産力は、商品流通を通して都市成立の背景をなす。しかし、根底にある生産力と、都市との関係を考える場合、媒介として、個々の都市の背域のあり方を充分検討しなければならない。封権社会における市場構造は、当時の都市の基礎である地域を規制する重要な力であった。A change in combination of cities with various demensions of region around them stands in close relation with the development of cities. The function of cities as a regional center depends largely on such a change. In this article, we specialize the relation between such a region and cities, as the foundations of cities i...
個人情報保護のため削除部分あり中世の地方政治中心である守護城下は、しばしば戦国城下町と比較され、その空間講造の未熟さが指摘されてきた。しかし資料的制限から、城下空間全体を対象として、その変遷過程を実証...
都市周辺部の都市化すなわちアーバニーゼーションは資本主義の発展に併行して必然的におこる地域現象である。ところが近時の日太の都市は都市化せられざる地域を市域に編入せしめる傾向が強い。従つて市域 (Cit...
ここで十世紀王朝国家土地制度というのは、延喜荘園整理令を含む十世紀初頭の土地制度の改編で出発し、大体十一世紀中ごろまで続いたもので、それは私領と対立する意味の公田を国司に維持させることを中心にして構成...
個人情報保護のため削除部分あり中世鎌倉の空間構造に関する研究は、都市計画の性格をめぐって意見の相違がある。京都を模した都市計画の存在を前提として、鎌倉に平安京的都市計画案や方眼状地割案を仮定する研究も...
本稿は、近世上方における幕府直轄都市と譜代藩の関係に注目しつつ、当該地域の支配構造の特質およびその歴史的展開を明らかにしようとするものである。一七世紀において上方は西国有事に備える軍事拠点として位置づ...
秦漢帝国の瓦解から隋唐の中間的統一に至るまでの中国の都市の有様について目につくことは、(1)長安・洛陽の如き旧都は何度もの破壊にも拘らず、新しい支配者 (多くは遊牧民族) により修復され、漠代には地方...
個人情報保護のため削除部分あり九〜十六世紀の都市大山崎を舞台に、都市の性格と寺院のあり方のかかわりを追究する。国家管理の諸施設が建ちならぶ十世紀までの大山崎の寺院は、国家鎮護の性格を強くもち、イデオロ...
これまでの中世都市研究は、多くの場合、中世史の他の分野の研究とあまり関連をもたずに、孤立的にすすめられる傾向があつた。本稿は、かかる欠点を克服するための一試論として、ヨーロッパ中世都市成立の前提となっ...
個人情報保護のため削除部分あり居留地は、外国人の居住から発生する問題を防止するため、既存の集落から離れた寒村に設置されるのが通例であった。しかし、居留地は外国人の貿易の中心となるため、日本人の商社や銀...
中国の大都市はその大部分が、古くからの州・県治の所在地であつて、どちらかと言えば本来は政治的色彩の方がより強いものであつた。五代をはさんで唐と宋の間には都市の上でも大変化が起つている。宋以後になると、...
「明」の時代から、蘇州を中心とする長江下流の三角洲平野においては、当時この地方の農村において圧倒的多数を占めていた零細農家を主体として棉業が広範囲に展開され、これを背景として多くの都市が発達するが、そ...
大化改新、律令制度を理解する一方途として、改新前地方支配組織の発展をとりあげる。中央機構で組織としての朝廷と伝統的首長としての皇室とが分立する結果、前者が後者を構成的に疎外する過程は、他方地方に対する...
平時における軍隊の立地と遊廓との関係性を解明するため、日露戦後期に愛知県豊橋市で起きた遊廓移転問題を研究対象とする。豊橋市では、大口喜六市長が師団の誘致に成功すると、市街地中心部にあった遊廓を、市費を...
従来の人口都市化に関連する近代的諸法則がいずれも巨視的法則であるのに対して、筆者は地域の結節点という都市の基本的性格との関連において、その人口増減の仕組を説明するより微視的な法則樹立の必要性を痛感した...
個別経営の分析による地主制の研究はすでに多く出されているが、本稿ではとくに農業経営の分析ばかりでなく、現実の地主経済にとつて多かれ少かれ比重をもつていた農業経営以外の面についても分析し、これら各方面が...
個人情報保護のため削除部分あり中世の地方政治中心である守護城下は、しばしば戦国城下町と比較され、その空間講造の未熟さが指摘されてきた。しかし資料的制限から、城下空間全体を対象として、その変遷過程を実証...
都市周辺部の都市化すなわちアーバニーゼーションは資本主義の発展に併行して必然的におこる地域現象である。ところが近時の日太の都市は都市化せられざる地域を市域に編入せしめる傾向が強い。従つて市域 (Cit...
ここで十世紀王朝国家土地制度というのは、延喜荘園整理令を含む十世紀初頭の土地制度の改編で出発し、大体十一世紀中ごろまで続いたもので、それは私領と対立する意味の公田を国司に維持させることを中心にして構成...
個人情報保護のため削除部分あり中世鎌倉の空間構造に関する研究は、都市計画の性格をめぐって意見の相違がある。京都を模した都市計画の存在を前提として、鎌倉に平安京的都市計画案や方眼状地割案を仮定する研究も...
本稿は、近世上方における幕府直轄都市と譜代藩の関係に注目しつつ、当該地域の支配構造の特質およびその歴史的展開を明らかにしようとするものである。一七世紀において上方は西国有事に備える軍事拠点として位置づ...
秦漢帝国の瓦解から隋唐の中間的統一に至るまでの中国の都市の有様について目につくことは、(1)長安・洛陽の如き旧都は何度もの破壊にも拘らず、新しい支配者 (多くは遊牧民族) により修復され、漠代には地方...
個人情報保護のため削除部分あり九〜十六世紀の都市大山崎を舞台に、都市の性格と寺院のあり方のかかわりを追究する。国家管理の諸施設が建ちならぶ十世紀までの大山崎の寺院は、国家鎮護の性格を強くもち、イデオロ...
これまでの中世都市研究は、多くの場合、中世史の他の分野の研究とあまり関連をもたずに、孤立的にすすめられる傾向があつた。本稿は、かかる欠点を克服するための一試論として、ヨーロッパ中世都市成立の前提となっ...
個人情報保護のため削除部分あり居留地は、外国人の居住から発生する問題を防止するため、既存の集落から離れた寒村に設置されるのが通例であった。しかし、居留地は外国人の貿易の中心となるため、日本人の商社や銀...
中国の大都市はその大部分が、古くからの州・県治の所在地であつて、どちらかと言えば本来は政治的色彩の方がより強いものであつた。五代をはさんで唐と宋の間には都市の上でも大変化が起つている。宋以後になると、...
「明」の時代から、蘇州を中心とする長江下流の三角洲平野においては、当時この地方の農村において圧倒的多数を占めていた零細農家を主体として棉業が広範囲に展開され、これを背景として多くの都市が発達するが、そ...
大化改新、律令制度を理解する一方途として、改新前地方支配組織の発展をとりあげる。中央機構で組織としての朝廷と伝統的首長としての皇室とが分立する結果、前者が後者を構成的に疎外する過程は、他方地方に対する...
平時における軍隊の立地と遊廓との関係性を解明するため、日露戦後期に愛知県豊橋市で起きた遊廓移転問題を研究対象とする。豊橋市では、大口喜六市長が師団の誘致に成功すると、市街地中心部にあった遊廓を、市費を...
従来の人口都市化に関連する近代的諸法則がいずれも巨視的法則であるのに対して、筆者は地域の結節点という都市の基本的性格との関連において、その人口増減の仕組を説明するより微視的な法則樹立の必要性を痛感した...
個別経営の分析による地主制の研究はすでに多く出されているが、本稿ではとくに農業経営の分析ばかりでなく、現実の地主経済にとつて多かれ少かれ比重をもつていた農業経営以外の面についても分析し、これら各方面が...
個人情報保護のため削除部分あり中世の地方政治中心である守護城下は、しばしば戦国城下町と比較され、その空間講造の未熟さが指摘されてきた。しかし資料的制限から、城下空間全体を対象として、その変遷過程を実証...
都市周辺部の都市化すなわちアーバニーゼーションは資本主義の発展に併行して必然的におこる地域現象である。ところが近時の日太の都市は都市化せられざる地域を市域に編入せしめる傾向が強い。従つて市域 (Cit...
ここで十世紀王朝国家土地制度というのは、延喜荘園整理令を含む十世紀初頭の土地制度の改編で出発し、大体十一世紀中ごろまで続いたもので、それは私領と対立する意味の公田を国司に維持させることを中心にして構成...