南北朝内乱期より応仁文明大乱期への時代は政治史の上において室町幕府=守護領国制の展開期として把握される。この時期における幕府権力と守護の領国支配との関係、および、守護領国における守護大名の領主権の実体、在地勢力の動向を究明することが本稿の目的である。素材として赤松氏の領国をとりあげたのは、赤松氏がこの時期に、殊に在地勢力の成長の著しい畿内周辺に守護領国を形成し、同時に幕府権力の有力なる一環をも構成した守護大名であり、かつ室町幕府=守護領国制が破綻を暴露する一契機ともなつた嘉吉の変の当事者でもあり、赤松氏が播磨の一土豪的存在から播備作三国にわたる守護領国を形成し、しかも嘉吉の変によつて没落して行く過程の究明は、如上の目的に添いうる好箇の素材たり得ると考えたからである。まず (一) 赤松氏の守護領国形成の様相をたずね、次に (二) 室町幕府専制下における赤松氏の領国支配の実体を考察し、(三) 嘉吉の変において室町幕府=守護領国制が如何なる破綻を暴露するかを、在地勢力との関係をその底辺に置きつつ考えてみた。The period from the Civil War between the north and the south dynasties to the wars between Ônin (応仁) and Bunmei (文明) was considered as the developing era of Shugoryokoku (守護領国) system or the Muromachi (室町) Shogunate in the political history. It is the subject of this article to study the rel...