個人情報保護のため削除部分あり所謂大化前代の地方組織については、国造の「クニ」、県主の「アガタ」を以て考えるのが古くからの極めて一般的な見解であるが、そのような中にあって、既に大化前代に「コホリ」と呼ばれた地方政治組織の一定の展開を認めようとする学説も存在する。本稿は、孝徳朝における全面的な建評を認めるべきことを主張した旧稿を踏まえ、そのような評制施行の歴史的前提を探る為に、改めてこの大化前代の「コホリ」についての再検討を試みたものである。まずこれまでの『続日本紀』諸本に対する研究の成果に立って、同書大宝元年七月壬辰条の「県犬養連大侶」が実は「郡犬養連大侶」であること、しかもそれは天武十年以前の古記録に基づく表記と見られることを明らかにした。とすれば、この氏の名称を「コホリノイヌカヒ」氏として理解しうる可能性が生まれ、それが同氏の大化前代の職掌に因むものである以上、改めて大化前代における「コホリ」の実在性が裏付けられることとなる。以下これを前提として、そのような「コホリ」の内容・性格、及び「コホリ」と「アガタ」との関係について考察を加え、その一つの具体例たりうるものとして難波郡の問題に言及した。It has been a widely held opinion that in the so-called pre-Taika period the local administrative system consisted of the two institutions : Kuni 国 dominated by Kuni-no-miyatsuko 国造 and Agata 県 by Agatanushi 県主. But there is another opinion insi...