これまでの『山の音』研究では、伝統的な分野においては『源氏物語』ばかりに焦点があてられ、能や謡曲について触れたものは少ない。『山の音』には、能面や謡曲「卒都婆小町」に関する記述が多くみられるにも関わらず、これまであまり研究が進んでこなかったのはなぜだろうか。管見のかぎり、それは『山の音』に研究者による注釈がないからだと考える。また、能に触れられているものでも、謡曲「卒都婆小町」からの引用がみられる、との指摘に留まるものが多く、菊慈童や面に関しても表面的に論じられているだけである。しかし、『山の音』と能の関わりを論じる際、表面をさらうだけでは見えてこないものがあるのではないか。『山の音』の深層に潜むものを読み解くには、能または謡曲が有効なカギとなってくるに違いない。なぜなら、言葉では描き切れない世界を表現するために、川端が能を用いたと考えられるからだ。そこで本論文では、「春の鐘」を中心に、『山の音』に表象された能に注目し、『山の音』は に願いを込めた信吾が、 を持たない菊子によって救われる物語であることを明らかにしたい。departmental bulletin pape
論説 / Article額田王の最初期の作として知られる『萬葉集』に収められた「宇治の都の借廬」詠(巻1・七番歌)の背景について考察し、ついで、この作の表現意図に迫ろうとするものである。従来、『古事記...
本文將就佛教修行五道中的見道進行討論。首先本文討論了有漏凡夫如何首次生起無漏法的問題:說一切有部傾向於主張無漏法可以由有漏法生起,而瑜伽行派則主張有漏法和無漏法異質,無漏法需要從無漏種生起。由於此種差...
我が国の音楽文化を理解するために,どのような授業が望ましいであろうか。山本は,2004 年から能笛演奏家の根岸啓子(博士・東京藝術大学,岡山大学非常勤講師)と教材開発の共同研究を行ってきた。根岸は,...
これまでの『山の音』研究では、伝統的な分野においては『源氏物語』ばかりに焦点があてられ、能や謡曲について触れたものは少ない。『山の音』には、能面や謡曲「卒都婆小町」に関する記述が多くみられるにも関わら...
publisher奈良近世初期、慶長から元和にかけて京都に篠屋宗礀という儒学者がいた。ほとんど無名の存在だが、断片的な資料からその交際圏を探ると、里村紹巴・惟杏永哲・剛外令柔・文英清韓・林羅山・松永尺...
小論は、明治期・清末の日本語教師・長谷川雄太郎の手になる二つの教科書『日語楷梯』と『日語入門』草稿を書誌学的に分析して考察し、その成立順序を明らかにすることを目的としたものである。劉(2005)は、こ...
publisher奈良筆者はこれまでにいくつかの拙稿に於て宝暦から寛政までの京都宗匠による月並発句合を取り上げ、主に入選句披露摺り物(以下「丁摺」と言う)を手がかりとしてそのありようを考察して来たので...
禅の悟道の精神を表した「名詩」として親しまれている七言絶句がある。第一句の「尋春不見春」と第四句の「已十分」の二か所を除いて、詩句が少しずつ異なる複数の本文が数多く存在するだけでなく、異なる複数の作者...
「審美的意識の性質を論ず」(一八九四・九-一二)で自己の美学的立場を明確にした島村抱月は、基本的にその立場に依拠して、「辞の美なる所以」を解明する作業に着手することになった。今日的視点からみれば、アリ...
歌枕「末の松山」について、それを「波が越す」という有名な措辞がある。古くは『古今和歌集』巻二十・第一〇九三番歌に、「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ」とあり、「仮名序」にも和歌表現の...
「境界」という概念は、近年人文諸科学において重要な概念の一つとなっており、周知のようなにさまざまな領域で活発に論じられている。しかし本書の鍵概念である「身体境界」は、文化人類学や社会学ではなく精神医学...
公共的市民文化の形成は現代日本における緊急の課題である。近代日本は公共的市民文化を形成できずそれを戦後の課題とした。そして現代日本は、いま、それを避けて通れない課題として自覚する。官学・私学ということ...
埼玉県越谷市本稿は埼玉県東部の越谷市に鎮座する越ケ谷久伊豆神社の御燎祭、大沢香取神社の御備社と県北東部の久喜市に鎮座する鷲宮神社の夏越大祓祭、加須市に鎮座する玉敷神社の初春祭の祭礼に伝えられる奉奏神学...
Publisher奈良葉山嘉樹は明治二十七年三月十二日、福岡県豊津村(現在豊津町)大字豊津六百九拾五番地に生まれω、大正二年三月二十二日福岡県立豊津中学校(現在福岡県立豊津高等学校)を卒業、三月二十九...
中谷孝雄「春の絵巻」(「行動」一九三四年四月)は、京都を舞台に行動する学生が主人公であることから、従来から作家の伝記事項に還元する読みが、研究の磁場を形成してきた。本論では、そうした作家論的解釈では見...
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