本稿では、江戸時代、鎖国期における日本国内への海外産陶磁器の流入について考える。長崎が中国陶磁の入り口として主要なものであったことと、長崎に入ってきた幅広い種類の商品から選択された特定のものが江戸まで運ばれたということを指摘したい。日本が中国・オランダとのみ貿易を行ったこの時期に海外から流入した陶磁器はほとんどが中国製品であり、流入の窓口としては長崎が主なものとして考えられる。長崎と大消費地である江戸の遺跡とで出土した中国陶磁を比較すると、共通するものが多くあることが確認される。江戸時代を通じ長崎と江戸は太いパイプでつながっていたことを実例として示すものである。また沖縄を通して入ってきた中国陶磁と比較すると、中国南部の製品を中心とした沖縄ルートでの流入に対し、景徳鎮窯系の製品を多く含むという長崎ルートの特徴が見て取れる。江戸では景徳鎮窯系の磁器が輸入陶磁器の大部分を占めることから、江戸へ運ばれた中国陶磁は主に長崎から入ってきたものであると推定することができる。江戸と共通する中国陶磁は唐人屋敷跡・オランダ商館跡でも確認されるため、貿易の担い手については中国船・オランダ船の両方が考えられる。長崎で出土するが江戸ではほとんど出土していないものがあることもわかった。江戸で出土した中国陶磁は、特に江戸時代後期には生産地や器種に偏りが見られる一方で、長崎では江戸で少ない福建・広東産の粗製の製品や、他の器種も多数確認された。江戸での偏りは陶磁器が長崎に入った後になされた選別によるものだと判断できる。中国陶磁が江戸へ至る間に働いた選択の背景としては、中国陶磁に付与されたブランド性や、中国陶磁とそれを用いた行為との関係があったことが推察される。江戸での需要に応えたもの以外の中国陶磁が長崎で見ら...
看護教育における形態機能学は看護活動の基盤をなす科目の一つであるが、実際の臨床の場面での看護ケアの展開につながっていかないことが指摘されている。そこで、看護学的視点から形態機能学教育を再構築することを...
宮崎駿のアニメ・フィルムは、『千と千尋の神隠し』(2002)で金熊賞(2002)やアカデミー賞(2003)を受賞して以来、グローバルに観客の心を捉えてきた。批評家大塚英二は、『もののけ姫』(1997)...
日本上古の遺跡より発見される中国の古鏡は、前漢時代では主として北九州に限られているが、西暦紀元前後の鏡からはその数量が多くなると共に、同地域のみならず、中国・四国の瀬戸内側より畿内地方に広く分布して後...
縄文時代には土器や石器をはじめ様々な道具が用いられたが、その一つに植物を編んで成型した製品がある。それらは先史時代から現在まで生活の中で重要な役割を占め続けてきた稀な道具である。本論文ではそれらのうち...
倭に須恵器が伝わったのはいつで,どこからか,またその須恵器はなぜ導入されたのか,土器生産を通して倭と朝鮮半島の交流を探ることを目的とした。構造窯を使った土器生産が伝わったのを,時期あるいは地域を考慮し...
本稿は摂津・河内・大和など近畿中央部において弥生甕が成立する過程を明らかにしたものである。弥生甕とは弥生Ⅰ期の西日本各地に新たに出現する甕を指し,これまで主に板付式,遠賀川式,遠賀川系の甕とよばれてき...
中世後期において宇佐宮と大内氏は、相互利益と相互補完という蜜月の関係を築いてきた。それは、大内義弘が豊前支配に乗り出した応永期から大友氏に豊前支配を許す天文期までの約百数十年間と長きに渡るものであった...
多面的な機能を有する森林に対する国民のニーズは多様化,高度化してきており,こうした国民のニーズの変化に応えうる多面的な機能を有する森林を育成していくことが重要になってきた。そのためには多様化したニーズ...
application/pdf本稿はスペイン・バルセロナにおける公的な博物館群の社会的な位置付けやその表象機能を紹介するとともに,これらの博物館群のひとつを構成するバルセロナ民族学博物館の特徴を示し,...
application/pdf広島県福山市の草戸千軒町遺跡は、芦田川が瀬戸内海に注ぎ出る河口付近に成立した中世の港町である。出土資料の中に、物品名・数量・金額・商行為などを記した木簡があり、地方都市に...
日本列島において,ブタは大陸からもたらされた可能性が高い。しかしブタを農耕に取り込むといった特異な循環システムをもつ中国的集約農耕は,弥生時代およびそれ以降の日本の歴史においても,琉球列島を除いた日本...
本論は、絵画史料をもとに、平安時代末から江戸時代初頭にかけての店舗の建築とその変遷について検討したものである。中世前半までの初期の店舗は、通りを意識した建築として、おもに既存の町家を改造する形で生まれ...
本稿では、まず長屋王家木簡を素材にして、長屋王家で消費された物資や労働力の入手形態について分析した。直轄地の経営、邸内での生産、運輸活動などのそれぞれについて検討した結果、これらすべての局面を通じてみ...
日本近現代における売買春について論じた。近世より継続していた売春は、マリア・ルース号事件を契機に、1872年に「芸娼妓解放令」へと結実する。これは、文明開化の一つとして実施されたもので、前近代的な身売...
長保二(一〇〇〇)年二月二十五日、藤原彰子(九八八~一〇七四)は、新たな中宮となり、元の中宮定子(九七七~一〇〇一)は、皇后に代わった。同年十二月十六日、皇后定子は三番目の皇女を出産の後、まもなく崩御...
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