本論文では、「海を舞台とした人間活動と深い関連をもつ脈絡により、海の近くに築造された古墳」である「海の古墳」を研究することの意義と限界、そして展望を示す。まず、研究の意義として、首長墳の立地論や、海浜部の複合生産型臨海集落との関連、北方・南方の海蝕洞穴塞や海岸墓にも視点が広がることを挙げる。続いて、「規模」「立地」「海岸線と前方部の向きとの関係」という三項目での分類案を提示する。これにより、集団構成員から支配者層に至るまで、地域や時期の傾向を持って築造されたことが明らかとなる。一方、研究の限界も存在している。「海の近く」が曖昧であり、「海を舞台とした人間活動」も切り分けが難しい。それぞれ打開案を示したが、多くの分析検討の余地がある。しかし、古墳時代の生業や生産のあり方や、王権の統治原理や一般の生活論理を知る重要な糸口が、「海の古墳」から見えてくる。古代世界全体へと、研究の展望がひろがる。Within the tumuli and graves of the Kofun period in Japan, there are some situated near the sea. In this article, I define the tumuli and graves constructed near the sea by those whose livelihood was deeply connected with and centered on the sea as "tumuli and graves by the sea, " and I argue the benefit and limitations of the concept of tumuli and ...
本稿は、江戸時代において近江八景という一つの知識が、刊本や写本という書物を介して社会に伝播し、さまざまな地域・階層の人々に教養として受容されていく過程を、近江八景を詠んだ漢詩と和歌を素材に検討したもの...
個人情報保護のため削除部分あり人の生活に欠くことができないものの一つに水がある。特に定住生活を営み、都市を形成するようになると、水の重要性が増し、井戸を掘削して地下水を利用することが盛んになる。本稿で...
「民族」を科学的に定義しようとする試みにおいて近代以降に考古学が果たしてきた役割は大きい。しかし近年では言語学・考古学・形質人類学などの連携による学際的な研究が重要になっている。本論ではそうした研究の...
江戸時代、東北北部太平洋側の地域は、度重なる「やませ」の影響を受け、飢饉に苦しめられた地域であった。ここから出土した人骨を調べたところ、古病理学的ストレスマーカーであるエナメル質減形成を認めた。その出...
本稿では漁業史からの環境史研究へのアプローチを試み、近世琵琶湖における蜆漁と採藻業という二つの漁業史料の新たな読み解きによって、山地までを含む琵琶湖南部の集水域における近世の人間活動と生態系の変化を解...
本稿は山陵(王陵)に関する研究の素材として、文献史料としての「陵号」に注目する。古代日本が大陸から取り入れた陵号による天皇陵呼称は中世にも引き継がれた。しかし、中世公家社会においては陵号の誤認も広がっ...
古代日本の地域社会において、神・社がどのような存在であったのか、天平五(七三三) 年に完成した『出雲国風土記』をもとに分析した。水源と観念された山に対する基層的な信仰があり、山の峯にある岩石など自然物...
前六世紀中葉以降、アカイメネス朝の支配下に入ると、小アジアは多様な文化的背景を有する人々が混在する地域となった。本稿では、かかる小アジアの南西端に位置したカリアを取り上げ、そこでいかなる文化が実践され...
一九五〇年代において日本政府は、海外における日本人戦没者処理のための措置として、アジア太平洋戦争で玉砕地となった南方諸地域へ遺骨収集団を派遣した。本稿では、最初の派遣先である米国管理下の太平洋諸島に引...
日本近世の海と幕藩領主層との関係を考える素材として鯨・捕鯨をとりあげる。大規模捕鯨業地域では、領主にとっての捕鯨業の経済的、軍事的意義が解明されているが、全国的にみると鯨をめぐる漁村や幕藩領主の動向に...
大名を対象とした武家諸法度と同様の発布方法により、三代将軍徳川家光・四代将軍徳川家綱は、旗本対象の諸士法度を発布した。これまで大名対象の政策として理解されてきた末期養子の禁は、諸士法度にのみ規定され、...
専修念仏教団の教団としての発展要因について、これまでの鎌倉新仏教論でも、顕密体制論においても、専修念仏側の思想的妥協によるものと位置づけており、その僧侶集団としての形成過程については詳しく考察されてこ...
貞観一一年(八六九) 陸奥国巨大地震は、多賀城の変遷における第III期と第IV期の画期となっている。多賀城は大被害を受けたが、城内では政庁、外郭区画施設、実務官衙、城外では方格地割を形成する道路、内部...
本稿では実地調査に基づく、西暦一二―一五世紀のアナトリアに残された各種の「モニュメント」に付された碑板や刻文の実例十五点をテクストと共に提示して内容を紹介した。一二―一三世紀のセルジュク朝時代、支配者...
考古学上では古墳をもつて一つの時代を代表させているが、わが国の墓制の沿革上からみれば、古墳はその一時期に一般の墓制とは別に出現した、特殊な葬法にすぎない。それは古墳が貴族のための墓制であるからである。...
本稿は、江戸時代において近江八景という一つの知識が、刊本や写本という書物を介して社会に伝播し、さまざまな地域・階層の人々に教養として受容されていく過程を、近江八景を詠んだ漢詩と和歌を素材に検討したもの...
個人情報保護のため削除部分あり人の生活に欠くことができないものの一つに水がある。特に定住生活を営み、都市を形成するようになると、水の重要性が増し、井戸を掘削して地下水を利用することが盛んになる。本稿で...
「民族」を科学的に定義しようとする試みにおいて近代以降に考古学が果たしてきた役割は大きい。しかし近年では言語学・考古学・形質人類学などの連携による学際的な研究が重要になっている。本論ではそうした研究の...
江戸時代、東北北部太平洋側の地域は、度重なる「やませ」の影響を受け、飢饉に苦しめられた地域であった。ここから出土した人骨を調べたところ、古病理学的ストレスマーカーであるエナメル質減形成を認めた。その出...
本稿では漁業史からの環境史研究へのアプローチを試み、近世琵琶湖における蜆漁と採藻業という二つの漁業史料の新たな読み解きによって、山地までを含む琵琶湖南部の集水域における近世の人間活動と生態系の変化を解...
本稿は山陵(王陵)に関する研究の素材として、文献史料としての「陵号」に注目する。古代日本が大陸から取り入れた陵号による天皇陵呼称は中世にも引き継がれた。しかし、中世公家社会においては陵号の誤認も広がっ...
古代日本の地域社会において、神・社がどのような存在であったのか、天平五(七三三) 年に完成した『出雲国風土記』をもとに分析した。水源と観念された山に対する基層的な信仰があり、山の峯にある岩石など自然物...
前六世紀中葉以降、アカイメネス朝の支配下に入ると、小アジアは多様な文化的背景を有する人々が混在する地域となった。本稿では、かかる小アジアの南西端に位置したカリアを取り上げ、そこでいかなる文化が実践され...
一九五〇年代において日本政府は、海外における日本人戦没者処理のための措置として、アジア太平洋戦争で玉砕地となった南方諸地域へ遺骨収集団を派遣した。本稿では、最初の派遣先である米国管理下の太平洋諸島に引...
日本近世の海と幕藩領主層との関係を考える素材として鯨・捕鯨をとりあげる。大規模捕鯨業地域では、領主にとっての捕鯨業の経済的、軍事的意義が解明されているが、全国的にみると鯨をめぐる漁村や幕藩領主の動向に...
大名を対象とした武家諸法度と同様の発布方法により、三代将軍徳川家光・四代将軍徳川家綱は、旗本対象の諸士法度を発布した。これまで大名対象の政策として理解されてきた末期養子の禁は、諸士法度にのみ規定され、...
専修念仏教団の教団としての発展要因について、これまでの鎌倉新仏教論でも、顕密体制論においても、専修念仏側の思想的妥協によるものと位置づけており、その僧侶集団としての形成過程については詳しく考察されてこ...
貞観一一年(八六九) 陸奥国巨大地震は、多賀城の変遷における第III期と第IV期の画期となっている。多賀城は大被害を受けたが、城内では政庁、外郭区画施設、実務官衙、城外では方格地割を形成する道路、内部...
本稿では実地調査に基づく、西暦一二―一五世紀のアナトリアに残された各種の「モニュメント」に付された碑板や刻文の実例十五点をテクストと共に提示して内容を紹介した。一二―一三世紀のセルジュク朝時代、支配者...
考古学上では古墳をもつて一つの時代を代表させているが、わが国の墓制の沿革上からみれば、古墳はその一時期に一般の墓制とは別に出現した、特殊な葬法にすぎない。それは古墳が貴族のための墓制であるからである。...
本稿は、江戸時代において近江八景という一つの知識が、刊本や写本という書物を介して社会に伝播し、さまざまな地域・階層の人々に教養として受容されていく過程を、近江八景を詠んだ漢詩と和歌を素材に検討したもの...
個人情報保護のため削除部分あり人の生活に欠くことができないものの一つに水がある。特に定住生活を営み、都市を形成するようになると、水の重要性が増し、井戸を掘削して地下水を利用することが盛んになる。本稿で...
「民族」を科学的に定義しようとする試みにおいて近代以降に考古学が果たしてきた役割は大きい。しかし近年では言語学・考古学・形質人類学などの連携による学際的な研究が重要になっている。本論ではそうした研究の...