シュメール都市国家ラガシュ最末期の三代の支配者の真中に位置するルガルアンダ治世において、支配者妃を首長とする組織 e_2-mi_2 が、労働=生産・再配分組織として治世初年から再編・拡大された。この組織、特にその大麦支給体系は治世六年にはほぼ整い、続く簒奪王ウルイニムギナ治世のバウ女神の名を冠した組織へと大筋において継承された。しかしルガルアンダ治世初年には、エ・ミ組織の中核を担うべき割当地保有者 lu_2-KUR_6-dab_5-ba たちの伝統的処遇に背く問題現象が二つの大型支給記録の中に起こっていた。本稿は独立した歴史的時代としてこれ迄殆んど取扱われなかったこの支配者の治世にエ・ミが確立・整備されていくなかで、中堅的社会範疇である彼らの処遇にどの様な異変が起こっていたかを精細に明らかにする。また治世後半においても彼らに対するヤギの貢租の追加負担が課せられた実態を「補論」において簡略に考察する。This study clarifies the following four points. The first point is that the 'e_2-mi_2' organization headed by Barnamtarra, the wife of Lugalanda, grew and was reorganized as a production-redistribution system from the first year of the reign of Lugalanda. The 'e_2-m_2' continued to expand until the sixth year of the reign, developing into a so...