デモクラシーの時代に登場した皇室の新カップル、裕仁と良子はを志向していた。しかし、の理念とは逆行する乳人制度を存続させざるを得なかった。そのために、皇室と国民を結ぶ回路にするという乳人の新しい理念を導入し、東京近郊の府県を対象に、職業と身分を問わずに女性を求めた。「平準化」された国民を前提にして、健康な母なら誰もが候補となれることをうたっていた。ところが、選定過程では、地域における政争や成功者への嫉妬感情から、選ばれた乳人を非難する動きが連続し、そのたびに選考は厳格化していった。乳人はしだいに軍人を中心とした公務員の妻、広くみると新中間層の主婦および地方の名望家層に収斂していく。乳人制度は、皇族に授乳できる女性の確保という当初の目的を離れていく。とくに戦争が本格化してくると、家庭を犠牲にして国家に奉仕する「母」を顕彰し、「母」を通じた国民統合を図るという別の目的の制度に変質していく。The Japanese imperial family maintained a long-standing custom of employing menoto, or wet-nurses, who provided their breast milk to royal princes and princesses. The new Taishō-era royal couple, Crown Prince Hirohito and his wife Nagako, later to be the Emperor Shōwa and Empress Kōjun, seeking to modernize their family, tried to raise their children ...