個人情報保護のため削除部分あり中世の地方政治中心である守護城下は、しばしば戦国城下町と比較され、その空間講造の未熟さが指摘されてきた。しかし資料的制限から、城下空間全体を対象として、その変遷過程を実証的に論じた事例研究は乏しく、戦国城下町との比較も容易に行うことができないと思われる。本稿では、守護城下諸施設の立地の傾向を示した上で、町空間の発達過程と武士邸の存在形態を検討し、中世山口の空間構造の変遷を論じた。山口の空間構造は、町空間の発達と密接に関連しつつ変遷し、都市領主である大内氏の統制力は限定された空心にしか及んでいなかったことが分かった。大内氏は、既存の町空間の実態を追認しており、武士邸の立地も町空間の発達に追随した場合もある。これは、大内氏の支配の限界とも評価できるが、町空間との共存、追認、利用という視点から大内氏の支配の特性をとらえなおすことも可能である。In comparison with castle towns of the Sengoku period, the immaturity of the towns surrounding provincial constable's residences is often emphasized. Few case studies on the transitions of these towns are carried out because of the shortage of historical materials, making it difficult to compare them with later castle towns. This paper will 1) show the distrib...
本稿は、九州における百姓名体制、ことに均等名体制の構造と性格を、たんに在家の進化の問題としてではなく、それぞれの政治的条件のなかで総合的に理解しようとしたものである。したがってその素材には断片的史料を...
寛永期 (一六二四-四四) の畿内幕領における農民支配は、二つの面からおこなわれた。その一は、夫役の徴収であつて、家と労働力を有する農民の殆ど全部が、幕府のもとに役家として編成された。その二は、貢租収...
わが国において資本主義が確立した時期は一般に明治後期 (一八九〇~一九一〇) であると考えられている。それではその前段階たる幕末・明治前期において資本主義の形成はどのように進行していたであろうか。また...
庄園制解体の原因に関しては、庄園領主権力の支柱となつていた室町幕府権力の衰退、それに伴つて武家・国人衆の外部よりする庄園侵略、また内部的には農民層の政治的経済的成長と、それによる年貢の未進抑留等が、従...
個人情報保護のため削除部分あり中世鎌倉の空間構造に関する研究は、都市計画の性格をめぐって意見の相違がある。京都を模した都市計画の存在を前提として、鎌倉に平安京的都市計画案や方眼状地割案を仮定する研究も...
個人情報保護のため削除部分あり永原慶二氏の中世「小村=散居型村落」論に関する歴史地理学的再検討を行なった。薩摩国入来院の場合、中世前期の在家は広い薗畠と結合して概ね台地上に集落を営み、畠作農業を基盤と...
個人情報保護のため削除部分あり九〜十六世紀の都市大山崎を舞台に、都市の性格と寺院のあり方のかかわりを追究する。国家管理の諸施設が建ちならぶ十世紀までの大山崎の寺院は、国家鎮護の性格を強くもち、イデオロ...
京都府雲ノ宮遺跡は、山城で最古の弥生式遺跡である。私はこの遺跡の土器にせっして以来、畿内の前期弥生式土器を古・中・新の三段階に大別する考えをもつようになった。本稿では、雲ノ宮遺跡とその土器についてのべ...
個人情報保護のため削除部分あり村落を農村・山村・漁村に分類する視点は近代の所産であるが、これに似た村落類型観が近世にも存在していた。それは「里方」・「山方」・「貴方(浜方) 」・「野方」その他の村落類...
大化改新、律令制度を理解する一方途として、改新前地方支配組織の発展をとりあげる。中央機構で組織としての朝廷と伝統的首長としての皇室とが分立する結果、前者が後者を構成的に疎外する過程は、他方地方に対する...
個人情報保護のため削除部分あり廃都後の平城京域は貞観六年の「都城道路変為田畝」という記事により、大部分が早期に水田化したとされ、興福寺膝下に成立した中世都市奈良のみが存続したと概説される。しかしながら...
個人情報保護のため削除部分あり本稿は畿内南縁の中世庄園の開発状況と集落を扱かったものである。事例に取りあげたのは和泉国日根野庄、紀伊国井上本庄、同桛田庄である。絵図に描かれた農耕地の分布する地域の水利...
個人情報保護のため削除部分あり畿内とは何かということを、従来の説にとらわれないような形で考察することをめざした。まず、賦役令の検討から、従来別個の労役であるといわれていた歳役と雇役が、実は同一のもので...
領主権力が在地に経済基盤を求め、成り立っていることは自明のことである。したがって、在地の状況を知ることは、そのまま領主権力の一端を知る素材となる。しかし、在地に関する史料は概して乏しく、そのことは但馬...
領主権力が在地に経済基盤を求め、成り立っていることは自明のことである。したがって、在地の状況を知ることは、そのまま領主権力の一端を知る素材となる。しかし、在地に関する史料は概して乏しく、そのことは但馬...
本稿は、九州における百姓名体制、ことに均等名体制の構造と性格を、たんに在家の進化の問題としてではなく、それぞれの政治的条件のなかで総合的に理解しようとしたものである。したがってその素材には断片的史料を...
寛永期 (一六二四-四四) の畿内幕領における農民支配は、二つの面からおこなわれた。その一は、夫役の徴収であつて、家と労働力を有する農民の殆ど全部が、幕府のもとに役家として編成された。その二は、貢租収...
わが国において資本主義が確立した時期は一般に明治後期 (一八九〇~一九一〇) であると考えられている。それではその前段階たる幕末・明治前期において資本主義の形成はどのように進行していたであろうか。また...
庄園制解体の原因に関しては、庄園領主権力の支柱となつていた室町幕府権力の衰退、それに伴つて武家・国人衆の外部よりする庄園侵略、また内部的には農民層の政治的経済的成長と、それによる年貢の未進抑留等が、従...
個人情報保護のため削除部分あり中世鎌倉の空間構造に関する研究は、都市計画の性格をめぐって意見の相違がある。京都を模した都市計画の存在を前提として、鎌倉に平安京的都市計画案や方眼状地割案を仮定する研究も...
個人情報保護のため削除部分あり永原慶二氏の中世「小村=散居型村落」論に関する歴史地理学的再検討を行なった。薩摩国入来院の場合、中世前期の在家は広い薗畠と結合して概ね台地上に集落を営み、畠作農業を基盤と...
個人情報保護のため削除部分あり九〜十六世紀の都市大山崎を舞台に、都市の性格と寺院のあり方のかかわりを追究する。国家管理の諸施設が建ちならぶ十世紀までの大山崎の寺院は、国家鎮護の性格を強くもち、イデオロ...
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個人情報保護のため削除部分あり村落を農村・山村・漁村に分類する視点は近代の所産であるが、これに似た村落類型観が近世にも存在していた。それは「里方」・「山方」・「貴方(浜方) 」・「野方」その他の村落類...
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個人情報保護のため削除部分あり廃都後の平城京域は貞観六年の「都城道路変為田畝」という記事により、大部分が早期に水田化したとされ、興福寺膝下に成立した中世都市奈良のみが存続したと概説される。しかしながら...
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寛永期 (一六二四-四四) の畿内幕領における農民支配は、二つの面からおこなわれた。その一は、夫役の徴収であつて、家と労働力を有する農民の殆ど全部が、幕府のもとに役家として編成された。その二は、貢租収...
わが国において資本主義が確立した時期は一般に明治後期 (一八九〇~一九一〇) であると考えられている。それではその前段階たる幕末・明治前期において資本主義の形成はどのように進行していたであろうか。また...