寛永期 (一六二四-四四) の畿内幕領における農民支配は、二つの面からおこなわれた。その一は、夫役の徴収であつて、家と労働力を有する農民の殆ど全部が、幕府のもとに役家として編成された。その二は、貢租収取の確保のために、血縁分家により新しく分立した小農民のうちから年寄を多数任命し、貢納にかんする権限を彼らに与えたことである。これらはいずれも、当時在地において小領主的所有を発展させつつあつた庄屋層の社会経済的勢力を殺ぐことを目的としていた。幕府は、これら小領主的所有の基盤となつていた用水・林野の支配権に干渉し、これを自己の手に掌握するとともに、灌漑工事を推進することによつて、自己の権力基盤としての幕藩封建的家族自営農成立の条件を積極的に創出したのである。Government of the peasantry in Kinai (畿内) of the Shogunal territory in the Kan-ei (寛永) period (1624-44) had two aspects; one is by enforcement of the statute labor by organizing as Yakuya (役家) almost all the peasants who had their house and labor power, and the other by authorizing many Toshiyoris (年寄) elected out of small peasants creating new consanguineous family to levy rent, intending to weaken the social economi...
個人情報保護のため削除部分あり廃都後の平城京域は貞観六年の「都城道路変為田畝」という記事により、大部分が早期に水田化したとされ、興福寺膝下に成立した中世都市奈良のみが存続したと概説される。しかしながら...
個人情報保護のため削除部分あり中世の地方政治中心である守護城下は、しばしば戦国城下町と比較され、その空間講造の未熟さが指摘されてきた。しかし資料的制限から、城下空間全体を対象として、その変遷過程を実証...
本稿の主目的は、文久期前半における「皇政回復」という概念の実態を解明することにあり、島津久光の率兵上京に至る薩摩藩の動向を明らかにしつつ、封建諸侯、朝廷および西国志士の具体的な建白等の政見を検証するこ...
近世以来日本西南部は長床犁使用の牛耕地帯としてよく知られているが、中国山系の牛生産地帯と畿内需要地帯との流通については必ずしも十分究明されていない。本稿は、牡牛取引によつて特徴づけられる河内古市郡駒ヶ...
石高制を基礎とし、米殻を主要な商品とする近世封建社会において、量制の問題が重要な位置を占めたことはいうまでもない。すでに宝月圭吾氏が、この問題についてのすぐれた研究を発表されているのであるが、本稿はた...
個人情報保護のため削除部分あり村落を農村・山村・漁村に分類する視点は近代の所産であるが、これに似た村落類型観が近世にも存在していた。それは「里方」・「山方」・「貴方(浜方) 」・「野方」その他の村落類...
従来の討幕派についての見解は、いわゆる長州藩『正義派』についての奈良本辰也氏の規定である郷士=中農層論を中心に論議が進められている。この奈良本理論には多くの批判がよせられているが、その基本点は必ずしも...
本稿は、足利尊氏・直義・義詮の文書発給以外の活動を「平時」と「非常時」「重大事」で対比して分析することで、初期室町幕府の政治体制を解明した。その結果、「尊氏は平時においては政務を三条殿直義次いで鎌倉殿...
個人情報保護のため削除部分あり畿内とは何かということを、従来の説にとらわれないような形で考察することをめざした。まず、賦役令の検討から、従来別個の労役であるといわれていた歳役と雇役が、実は同一のもので...
南北朝時代の研究は、社会の構造研究の深化によって急速の進展をみせたが、この時代の研究は史料の制約によって必ずしも満足しうべき成果を期待できない憾があった。本稿は筆者が太平記の綜合的研究の過程において、...
本稿では、近世初期における徳川将軍家の親族政策について考察した。これまで対象が譜代や外様に集中してきた近世武家編成の研究において、ほとんど扱われなかった将軍家親族の配置や役割の実態に迫るため、ことに「...
京都府雲ノ宮遺跡は、山城で最古の弥生式遺跡である。私はこの遺跡の土器にせっして以来、畿内の前期弥生式土器を古・中・新の三段階に大別する考えをもつようになった。本稿では、雲ノ宮遺跡とその土器についてのべ...
本稿の主目的は、文久期前半における「皇政回復」という概念の実態を解明することにあり、島津久光の率兵上京に至る薩摩藩の動向を明らかにしつつ、封建諸侯、朝廷および西国志士の具体的な建白等の政見を検証するこ...
恩賞充行政策は、将軍の主従制的支配権の根幹で、かつ、南北朝初期室町幕府の最も重要な政策課題であり、恩賞充行の将軍下文には、執事施行状が付されて恩賞の実現に大いに貢献した。本稿では、執事施行状の発給機関...
大化改新、律令制度を理解する一方途として、改新前地方支配組織の発展をとりあげる。中央機構で組織としての朝廷と伝統的首長としての皇室とが分立する結果、前者が後者を構成的に疎外する過程は、他方地方に対する...
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本稿の主目的は、文久期前半における「皇政回復」という概念の実態を解明することにあり、島津久光の率兵上京に至る薩摩藩の動向を明らかにしつつ、封建諸侯、朝廷および西国志士の具体的な建白等の政見を検証するこ...