ジョン・ヒックが主張した宗教多元主義は、世界の多様な宗教現象をともに正当化する基盤を構築している。諸々の宗教現象の根源にある唯一の「神的本体」というヒックの考えは、プロティノスの一者の思想に通底するもので、神についての認識という問題については、プロティノス哲学からも、ヒックの宗教多元主義に極めて近い結論が出てくる。カントの認識論をモデルにしたヒックの理論では、「神的本体」は理論上要請されたものにすぎず、われわれはそれを認識することも経験することもできないとされるが、一者との合一という、認識を超えた(認識を伴わない)経験を認めるプロティノスの立場では、「神的本体」を経験した結果生じる認識が、現象レベルにおける神認識だということになる。認識されたものは、多様化、分節化を免れないのだから、認識された一者はもはや一者そのものではないということを、プロティノスの哲学は示している。Religious pluralism advocated by John Hick is a theory of religion that can justify each of the great religious traditions in the world. There is an affinity between Hick’s thought on “the one divine noumenon” of different divine phenomena and Plotinus’ philosophy of “the One”. Furthermore on the problem of the recognition of the ultimate divine reality, we ...
論文(Article)本小論は、ロマ7:7-25の「わたし」はキリスト信仰者であり、今なお律法遵守に関して苦悩していることを論じる。従来、この苦悩は「律法の要求に対する意志による同意」と「行為によるそ...
Обосновывается эффективность исследования религиозного экстремизма как формы негативного девиантного...
イエスの発言(マルコ7:27)の真意は難解である。ある研究者は、この発言は救いに関するユダヤ人の優越性と異邦人蔑視を示していると解釈する。他方、この発言はイエス自身に由来せず、初期キリスト教の創作であ...
ヒックの宗教多元主義は、西洋キリスト教に対する問題提起となった。しかし、宗教多元主義は非西洋的な社会においても、批判的な役割をもちうるのか。本稿では、滝沢克己を宗教多元主義者として位置づけ、この疑問に...
現今大多數神學家都接受宗教多元化不只是一種事實(de facto),而且是一種原則(de iure) ,因此教會必須努力促進自身與其他信仰的和諧關係。榮休教宗本篤十六世、即天主教信理部前部長約瑟夫.拉...
ドイツにおける宗教生活は、グローバル化の中で、激しい変動にさらされている。国民の三分の一は、伝統的キリスト教世界とは異なる、種々の宗教的、非宗教的世界像や生活様式の中に生きている。このように多様な価値...
論文(Article)本小論ではパウロが性的不品行を忌避する理由について二つの論点から考察する。一つは性的不品行が強い汚染力を持っているということ。この理解は旧約聖書(特に祭司文書や神聖法集)や第二神...
本論文はJ・D・サリンジャーがその習作期からずっと悩まされ続けた二元論的対立の問題を取り上げ、その対立の問題がその後どのように展開していったのかを明らかにしている。精神と物質、芸術主義と商業主義といっ...
The article covers different aspects of pluralism, the most perspective parameters of this problem’s...
本稿では、宗教と倫理が緊張関係にある事例としてカルト問題を取り上げ、教勢拡大中のキリスト教教会や宗教団体にはカルトにも共通する特徴があることを指摘した。宣教体制に機能特化した教団は、教化力・組織力・指...
宗教の神学あるいは宗教間対話において広く用いられてきた類型に、排他主義、包括主義、多元主義がある。宗教多元主義の立場からは、しばしば、排他主義や包括主義は克服されるべき前時代的なモデルとして批判されて...
論文(Article)「アウシュヴィッツ以後」、ユダヤ教とキリスト教の関係を考えた神学者や研究者たちは、キリスト論とキリスト教的反ユダヤ主義の共犯関係を批判してきた。しかし、これらの批判は、キリスト教...
19世紀における科学と宗教の衝突は,もはや取って代わられたように私には思われる。「無批判的な」合理主義は矛盾しているので,科学と宗教の衝突の問題は,知識(knowledge)と信仰(faith)との間...
南方熊楠(1867-1941)は長年に亘るアメリカとイギリスにおける海外遊学の経験を持つ民俗学者・生物学者である。本論は南方の宗教観を取り上げるが、このテーマについてはすでに多くの人が論じてきた。これ...
高踏派の詩人であり古代ギリシャを専門とした歴史家として知られるルイ・メナールの著作は、これまでの研究ではテーマ批評の対象として文学作品との関係において論じられてきた。それに対し本研究は、彼の神話学と宗...
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