publisher奈良興福寺は、藤原氏の氏寺であったが、その全盛期(安和の変~後三条天皇即位以前)に於いては、必ずしも同氏の信仰(或いは処遇、貴種の入寺等)の第一位にあったとは考えがたい。同氏は、この時期は、皇室や他の諸貴族との関係のためか、むしろ、天台・真言両宗を第一としていたようである。また、藤原鎌足の墓所の多武峯寺は天台宗延暦寺の末寺となっていた関係もあり、藤原氏内では、その怪異への対応は高く位置付けられていたと考えられる。しかし、藤原氏没落期(後三条天皇即位以後)になると、同氏(師実)は興福寺に大きく接近し、息男(貴種)を同寺にも相次いで入寺させたうえ、同寺を大和国司に推挙したものと考えられる。こうした状況のもとで、かねて、末寺になるよう要求していた多武峯寺に対する矛先は一層鋭くなってゆく
古筆切として伝残された仏教歌謡資料の伝称筆者としてもっとも著名な人物は法守法親王である。法守法親王は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて仁和寺に住した門跡で、能筆で有名な伏見天皇の孫、同じく後伏見天皇の...
荘園制は、我国中世の基本的土地制度であることは今更いうまでもないが、土地制度としての荘園の研究は、案外なおざりにされている観があり、中世社会経済史研究の一つの弱点となつている。ところで荘園制度は各領主...
興福寺西金堂に旧安置されていたと考えられる天燈鬼・竜燈鬼像について、これまで明らかでなかった図像的背景及び慶派彫刻としての位置付け、釈迦集会群像を形成する西金堂に安置された経緯などの問題について検討し...
近江国甲賀郡森尻村に所在する矢川大明神は、中世段階の当該地域に存在した池原杣庄の荘鎮守であったと推測される神社であり、神宮寺である矢川寺は神仏習合形態で祭祀を執行していた。戦国末期における荘園制の解体...
清浄華院の僧であった向阿によって著わされた 『帰命本願抄』、『西脇要抄』、『父子相迎』 のいわゆる三部仮名抄は日本の浄土教を代表する仮名法語である。その三部仮名抄には、必ずしも古写本が多くは残されてい...
publisher奈良小稿の趣旨は前稿(「日吉社をめぐる断章二、三1『太平記』注解補考(一)ー」、本誌二八号、二〇〇〇年三月)に同じく注解の補訂で、巻十五「賀茂神主改補の事」をめぐる二、三の問題につい...
Publisher奈良 室生山寺の創建及びそれに至る「前身寺院」の事情を明らかにして、その宗教環境につき考察した。室生山寺は山部親王の病気平癒を祈る「延寿法」(宝亀九年)成就後の創建で、前身寺院は宝亀...
鞆の浦(広島県福山市鞆町)は,古くから繁栄してきた港町として著名であり,現在でも歴史的な町並みや港湾施設を多数残している。ところで,鞆の浦は山と海に囲まれた狭隘な土地柄にも拘わらず,多くの社寺が存して...
publisher奈良『太平記』注解の補訂・追考として、日吉神社に関連する、以下の四件について述べた。まず建武三年正月、足利尊氏との京合戦に敗れた後醍醐天皇が、叡山に臨幸した際に応対した権禰宜行親、お...
publisher奈良小稿は、近世京都における寺院について、名所案内記を分析対象として、「場」という視角から名所と寺院との関係を考察したものである。京都における寺院は、同時期において名所とされた場所が...
Publisher奈良" 鰐口は寺院の軒先に掛けられ、鼓面を打って使用される梵音具であるが、大小さまざまな法量のものが見られる。小型の作例は、鉦鼓や打楽器のように使用された可能性があり、大型のものは一...
本稿は、高山寺に蔵される『荘子』古写本7巻(甲巻5巻、乙巻2巻)に記入された字音点を対象として、国語学的見地から考察したものである。先行研究ですでに気づかれているとおり、本資料に散見される反切・同音字...
publisher奈良本絵巻は京都島原の角屋に伝来したもので、十二巻からなる。題箋には「行状記」と記されているが、その内容は弘法大師空海の誕生から入定に至るまでの伝記に、その後の事蹟数件を加えたもので...
publisher奈良明和から寛政にかけて蕪村・嘯山ら京の宗匠が月並発句合を催していたことは以前に述べたが、それと並行してこの時期に上方一円で盛んに行なわれたものに不定期の発句合がある。この不定期の発...
島根県浜田市の古刹石見安国寺に伝来したとみられる「国苑掌鑑」は、江戸時代の同寺住持澧州源麗が編輯した石見安国寺誌で、安永四年(一七七五)にまとめられている。同書の存在は早くから知られていたが、断片的...
古筆切として伝残された仏教歌謡資料の伝称筆者としてもっとも著名な人物は法守法親王である。法守法親王は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて仁和寺に住した門跡で、能筆で有名な伏見天皇の孫、同じく後伏見天皇の...
荘園制は、我国中世の基本的土地制度であることは今更いうまでもないが、土地制度としての荘園の研究は、案外なおざりにされている観があり、中世社会経済史研究の一つの弱点となつている。ところで荘園制度は各領主...
興福寺西金堂に旧安置されていたと考えられる天燈鬼・竜燈鬼像について、これまで明らかでなかった図像的背景及び慶派彫刻としての位置付け、釈迦集会群像を形成する西金堂に安置された経緯などの問題について検討し...
近江国甲賀郡森尻村に所在する矢川大明神は、中世段階の当該地域に存在した池原杣庄の荘鎮守であったと推測される神社であり、神宮寺である矢川寺は神仏習合形態で祭祀を執行していた。戦国末期における荘園制の解体...
清浄華院の僧であった向阿によって著わされた 『帰命本願抄』、『西脇要抄』、『父子相迎』 のいわゆる三部仮名抄は日本の浄土教を代表する仮名法語である。その三部仮名抄には、必ずしも古写本が多くは残されてい...
publisher奈良小稿の趣旨は前稿(「日吉社をめぐる断章二、三1『太平記』注解補考(一)ー」、本誌二八号、二〇〇〇年三月)に同じく注解の補訂で、巻十五「賀茂神主改補の事」をめぐる二、三の問題につい...
Publisher奈良 室生山寺の創建及びそれに至る「前身寺院」の事情を明らかにして、その宗教環境につき考察した。室生山寺は山部親王の病気平癒を祈る「延寿法」(宝亀九年)成就後の創建で、前身寺院は宝亀...
鞆の浦(広島県福山市鞆町)は,古くから繁栄してきた港町として著名であり,現在でも歴史的な町並みや港湾施設を多数残している。ところで,鞆の浦は山と海に囲まれた狭隘な土地柄にも拘わらず,多くの社寺が存して...
publisher奈良『太平記』注解の補訂・追考として、日吉神社に関連する、以下の四件について述べた。まず建武三年正月、足利尊氏との京合戦に敗れた後醍醐天皇が、叡山に臨幸した際に応対した権禰宜行親、お...
publisher奈良小稿は、近世京都における寺院について、名所案内記を分析対象として、「場」という視角から名所と寺院との関係を考察したものである。京都における寺院は、同時期において名所とされた場所が...
Publisher奈良" 鰐口は寺院の軒先に掛けられ、鼓面を打って使用される梵音具であるが、大小さまざまな法量のものが見られる。小型の作例は、鉦鼓や打楽器のように使用された可能性があり、大型のものは一...
本稿は、高山寺に蔵される『荘子』古写本7巻(甲巻5巻、乙巻2巻)に記入された字音点を対象として、国語学的見地から考察したものである。先行研究ですでに気づかれているとおり、本資料に散見される反切・同音字...
publisher奈良本絵巻は京都島原の角屋に伝来したもので、十二巻からなる。題箋には「行状記」と記されているが、その内容は弘法大師空海の誕生から入定に至るまでの伝記に、その後の事蹟数件を加えたもので...
publisher奈良明和から寛政にかけて蕪村・嘯山ら京の宗匠が月並発句合を催していたことは以前に述べたが、それと並行してこの時期に上方一円で盛んに行なわれたものに不定期の発句合がある。この不定期の発...
島根県浜田市の古刹石見安国寺に伝来したとみられる「国苑掌鑑」は、江戸時代の同寺住持澧州源麗が編輯した石見安国寺誌で、安永四年(一七七五)にまとめられている。同書の存在は早くから知られていたが、断片的...
古筆切として伝残された仏教歌謡資料の伝称筆者としてもっとも著名な人物は法守法親王である。法守法親王は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて仁和寺に住した門跡で、能筆で有名な伏見天皇の孫、同じく後伏見天皇の...
荘園制は、我国中世の基本的土地制度であることは今更いうまでもないが、土地制度としての荘園の研究は、案外なおざりにされている観があり、中世社会経済史研究の一つの弱点となつている。ところで荘園制度は各領主...
興福寺西金堂に旧安置されていたと考えられる天燈鬼・竜燈鬼像について、これまで明らかでなかった図像的背景及び慶派彫刻としての位置付け、釈迦集会群像を形成する西金堂に安置された経緯などの問題について検討し...