埼玉県越谷市国分一太郎は1930年代において生活綴方教育実践と生活綴方教育運動に関わりをもった人物である.1935年までは生活綴方教育の実践家の一人であり,綴方による生活勉強の実践を展開していた.ところが,1936年以降は生活綴方教育批判の立場に転じ,綴方教育を文字表現指導に限定するとともに,生活綴方教師たちには地域における啓蒙者として活動することを呼びかけることとなった.国分は,生活綴方教育とは別に,教育労働組合運動への参加を理由に検挙された前歴があったため,その教育活動に対して視学等の監視や干渉があった.生活綴方教育に対する国分の姿勢の変化は,戦時体制の進行にともなって監視や干渉が強化されたことに起因している可能性がある
「随自顕宗・随他扶宗」の語は,浄土宗第七祖聖冏(一三四一-一四二〇)の教学を特徴づける概念として広く用いられている。すなわち「随自顕宗」とは,自宗の経論や論理を用いてその立場を明らかにすることであり,...
松本亀次郎は約80年の生涯のうち35年余りを中国人留学生教育に捧げた。日本の公立小学校の平凡な教師であった松本が、なぜ37歳で中国人留学生の日本語教育と深くかかわりを持つようになったのか。その転機は嘉...
小学校三年生の国語科教材として採録されている、あまんきみこの「おにたのぼうし」は、おにたという黒鬼の子どもと人間の女の子の交流を通して、他者を理解することの困難を主題化した作品として評価されている。本...
清浄華院の僧であった向阿によって著わされた 『帰命本願抄』、『西脇要抄』、『父子相迎』 のいわゆる三部仮名抄は日本の浄土教を代表する仮名法語である。その三部仮名抄には、必ずしも古写本が多くは残されてい...
本研究は,西田幾多郎門下の哲学者で近代の可能性を追求した文明批評家といわれる土田 杏村(1891 ~ 1934)の教育観と教育の目的に関する議論を考察し,それとの関連において, 晩年の著作である『道...
橫井小楠と橋本左内は、時期は異なるが、越前福井藩の藩校明道館の改革に關わった點においては共通の經歷を有している。しかし、共に開國主義を唱えた開明的な思想家でありながら、その開明性の意味するところは、そ...
本研究は,西田幾多郎門下の哲学者で近代の可能性を追求した文明批評家,土田杏村の教 育観と教育目的論を考察し,それとの関連において主著の一つである『道徳改造論』を対象 に,昭和初期の修身教科書批判の内...
原著論文 / Original現在、地域教育が、日本だけでなく、ある意味では、世界的な動向としても重視され注目されてきている。その背景には、地域社会は住民にとり生活の場であり同時に人々の結びつきの場で...
1962年に設置された「日本事情」教育は、歴史的に見ると、「実体視型」から90年代後半に至って「流動視型」へと展開した。「日本事情」教育の方法論は、文化現象のジャンル意識に乏しく、管見によれば、いずれ...
近世(江戸時代)民謡の最大の特徴は、その教訓的内容にあると言ってよい。それらのうちの多くは、児童向けに親への孝を説いた歌謡で占められる。このような内容の歌は一般的には儒教的道徳によるものと受け取られる...
個人情報保護のため削除部分あり明治初年、教部省は神官・僧侶を総動員しての壮大な民衆教化政策を企図した。本稿はその展開と挫折の過程を、当時の重要な論点でありながら先行研究が看過してきた、学校教育とのかか...
神奈川県茅ヶ崎市 敗戦下日本において数多くの教育関係雑誌が創刊された。本稿は、それらの雑誌の中から、戦後、いち早く創刊された『教育技術』を取り上げ、同誌が果たした役割について考察したい。 『教育技術...
わが国の国語教育は、「言語生活論」が主唱されながらも、「言語能力主義」の主張に押され、長らく教科書教材に依存した詳細な読解中心の実践が展開されてきた。その結果、国語学習は生活から離れたものになり、学習...
「折り重ね切り問題」の中学校および小学校における関数教材としての有効性を考察した。最初に,「折り重ね切り問題」にどのような関数的な関係が内在しているかを考察した。次に,それらの関数的な関係児童生徒がい...
裁判員制度の2009年施行後、裁判員経験者が年々増加する一方、主に精神的負担を理由として裁判員就任をためらう国民も少なくない。本稿では、裁判員制度の評価は措いて、その中身に関する認識を深めるとともに、...
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