ホーフマンスタールは、古今東西の著作から得た膨大な教養や示唆を咀嚼し、自らの思考のなかに自在に取り込んでいくことに長けた知性の持ち主であった。本稿では、彼のラフカディオ・ハーンの著作(とりわけ『心』)との出会い、共感、再読、深化と読替えの過程に着目することにより、ホーフマンスタールがハーンの何に惹かれ、どのように影響を受けたのかを考察する。ホーフマンスタールは、越境者ハーンが日本文化を見つめる愛にみちたまなざしから、境界を越えて異質なものへと身を投じること、心の目で捉えることで異質なものを身近なものへと変容させること、また、外からの視線で自文化を見つめ直すことを教えられる。さらに彼は、ハーンから学んだ異文化との交わりの姿勢や示唆を、自身の問題意識や創作原理に沿って読み替える。ハーンにおける地理的・文化的な越境の問題は、ホーフマンスタールにおいては、認識言語の限界や自我の境界線をいかにして踏み越えるかという、彼自身の課題とも結びつけられる。それがひるがえって仏教的な概念への関心にもつながっていったのである。Hofmannsthal ist für seine kreative Belesenheit bekannt. Er setzt im Prozess der Lektüre Aneignung, Verarbeitung und Re-lektüre dialogisch fort. Das können wir auch an seiner Begegnung mit Lafcadio Hearns Kokoro feststellen. Die Daseins form Hearns als Grenzgänger und seine Wahrnehmungsweis...