『三菱長崎造船所立神工場ガントリクレーン』と題された大正期の絵葉書。明治17年(1884)、立神地区は本格的な造船工場として発足した。大正5年(1916)までには6基の船台が並びその各船台に、ガントリクレーンが完備されたのは昭和14年(1929)であった。Published in the Taisho Period (1912-1926), this picture postcard shows the gantry crane at the Tategami Factory, Mitsubishi Nagasaki Shipyard. A full-fledged shipyard was built at Tategami in 1884. By 1916, six additional building berths had been made, and in 1929 each berth was equipped with a gantry crane
大桟橋築造前のイギリス波止場である。大桟橋築造までは、艀による沖懸かり荷役が行われた。その艀溜まりの状況がよくわかる。The "English wharf" before the great pier...
立山から長崎市外越しに長崎港を望む絵葉書写真。大正初期の写真である。右下には明治29(1896)年に完成した中町カトリック教会(旧大村屋敷)がみえ、中奥には明治44(1911)年に3階建てとなった県庁...
明治末から大正初年にかけての大波止海岸の絵葉書。長崎要塞司令部による長崎地帯の写真、測量、写生の検閲は明治32(1899)年に長崎要塞地帯法ができてから始まった。大波止海岸は明治37(1904)年に埋...
三菱造船の第一ドックとガントリークレーン。明治後期から大正期(1890~1920)の手彩色の絵葉書。第一ドックは、立神地区に最初に建設されたドックである。明治12年(1879)完成。3835と同じもの...
三菱造船の第一ドックとガンとリークレーン。明治後期から大正期(1890~1920)の手彩色の絵葉書。第一ドックは、立神地区に最初に建設されたクレーンである。明治12年(1819)完成。5234と同じも...
『長崎市三菱造船所起重機』と題された、明治後期から大正期(1890~1920)の手彩色の絵葉書。150トン電動ハンマーヘッド起重機は、明治42年(1909)12月、英国マザーウェル・ブリッジ社から輸入...
150トン電動ハンマーヘッド起重機は、明治42年(1909)12月、英国マザーウェル・ブリッジ社から輸入し、三菱造船所(現三菱重工業(株)長崎造船所)飽ノ浦の艤装岸壁に設置されたものである。現在国指定...
明治11年(1878)川崎正蔵が西洋型船の建造を目的として東京に川崎築地造船所を創設、19年(1886)には事業規模を拡大して神戸に川崎造船所を設立した。『川崎造船所四十年史』の巻頭口絵に収録された「...
慶応元年(1865)に幕府が建設した横浜製鉄所は、明治維新によって明治政府に接収され、第一ドックが完成した明治4年(1871)に横須賀造船所と改称された。造船所の建物群。The Yokohama Ir...
文久元年(1861)に落成した長崎製鉄所を譲り受け、明治17年(1884)に三菱会社長崎造船所飽の浦機械工場になった。工場の建物、50トン起重機等の工場施設を見ることができる。対岸は西坂、大黒町付近。...
5227の撮影地点からひいている。明治30年代の三菱長崎造船所第二ドック。長さ371尺、幅、66尺8寸、深さ31尺。入水口にはDOCKNo2の表示が見える。左には明治30年(1897)に建設され、32...
慶応2年(1866)の大火後に拡張されたイギリス波止場の第一突堤。通称象の鼻。明治27年(1894)この先に鉄製桟橋が完成するまでは、大型船が着岸することはできず、突堤左手の水面が艀(はしけ)の船溜り...
三菱長崎造船所の立神の第一ドックで建造中の軍艦の絵葉書。立神のドックはもともと明治12年(1878)フランス人ワンサン・フロランの指揮で完成した。明治30年代には現図展開工事が発達し、日清・日露戦争も...
大正初期の茂木桟橋の絵葉書写真。明治18(1885)年に長崎から茂木に旧県道が開通し、明治39(1906)年茂木ホテルが開業していたが、大正3(1914)年長崎商船茂木~小浜航路が開設され、長崎から雲...
明治23(1890)年9月、梅香崎に完成した旧長崎税関の新庁舎。明治32(1899)年に管轄区域に周防・長門が加わった。大正12(1923)年に日華連絡線として長崎丸と上海丸が就航し、大陸との交通が増...
大桟橋築造前のイギリス波止場である。大桟橋築造までは、艀による沖懸かり荷役が行われた。その艀溜まりの状況がよくわかる。The "English wharf" before the great pier...
立山から長崎市外越しに長崎港を望む絵葉書写真。大正初期の写真である。右下には明治29(1896)年に完成した中町カトリック教会(旧大村屋敷)がみえ、中奥には明治44(1911)年に3階建てとなった県庁...
明治末から大正初年にかけての大波止海岸の絵葉書。長崎要塞司令部による長崎地帯の写真、測量、写生の検閲は明治32(1899)年に長崎要塞地帯法ができてから始まった。大波止海岸は明治37(1904)年に埋...
三菱造船の第一ドックとガントリークレーン。明治後期から大正期(1890~1920)の手彩色の絵葉書。第一ドックは、立神地区に最初に建設されたドックである。明治12年(1879)完成。3835と同じもの...
三菱造船の第一ドックとガンとリークレーン。明治後期から大正期(1890~1920)の手彩色の絵葉書。第一ドックは、立神地区に最初に建設されたクレーンである。明治12年(1819)完成。5234と同じも...
『長崎市三菱造船所起重機』と題された、明治後期から大正期(1890~1920)の手彩色の絵葉書。150トン電動ハンマーヘッド起重機は、明治42年(1909)12月、英国マザーウェル・ブリッジ社から輸入...
150トン電動ハンマーヘッド起重機は、明治42年(1909)12月、英国マザーウェル・ブリッジ社から輸入し、三菱造船所(現三菱重工業(株)長崎造船所)飽ノ浦の艤装岸壁に設置されたものである。現在国指定...
明治11年(1878)川崎正蔵が西洋型船の建造を目的として東京に川崎築地造船所を創設、19年(1886)には事業規模を拡大して神戸に川崎造船所を設立した。『川崎造船所四十年史』の巻頭口絵に収録された「...
慶応元年(1865)に幕府が建設した横浜製鉄所は、明治維新によって明治政府に接収され、第一ドックが完成した明治4年(1871)に横須賀造船所と改称された。造船所の建物群。The Yokohama Ir...
文久元年(1861)に落成した長崎製鉄所を譲り受け、明治17年(1884)に三菱会社長崎造船所飽の浦機械工場になった。工場の建物、50トン起重機等の工場施設を見ることができる。対岸は西坂、大黒町付近。...
5227の撮影地点からひいている。明治30年代の三菱長崎造船所第二ドック。長さ371尺、幅、66尺8寸、深さ31尺。入水口にはDOCKNo2の表示が見える。左には明治30年(1897)に建設され、32...
慶応2年(1866)の大火後に拡張されたイギリス波止場の第一突堤。通称象の鼻。明治27年(1894)この先に鉄製桟橋が完成するまでは、大型船が着岸することはできず、突堤左手の水面が艀(はしけ)の船溜り...
三菱長崎造船所の立神の第一ドックで建造中の軍艦の絵葉書。立神のドックはもともと明治12年(1878)フランス人ワンサン・フロランの指揮で完成した。明治30年代には現図展開工事が発達し、日清・日露戦争も...
大正初期の茂木桟橋の絵葉書写真。明治18(1885)年に長崎から茂木に旧県道が開通し、明治39(1906)年茂木ホテルが開業していたが、大正3(1914)年長崎商船茂木~小浜航路が開設され、長崎から雲...
明治23(1890)年9月、梅香崎に完成した旧長崎税関の新庁舎。明治32(1899)年に管轄区域に周防・長門が加わった。大正12(1923)年に日華連絡線として長崎丸と上海丸が就航し、大陸との交通が増...
大桟橋築造前のイギリス波止場である。大桟橋築造までは、艀による沖懸かり荷役が行われた。その艀溜まりの状況がよくわかる。The "English wharf" before the great pier...
立山から長崎市外越しに長崎港を望む絵葉書写真。大正初期の写真である。右下には明治29(1896)年に完成した中町カトリック教会(旧大村屋敷)がみえ、中奥には明治44(1911)年に3階建てとなった県庁...
明治末から大正初年にかけての大波止海岸の絵葉書。長崎要塞司令部による長崎地帯の写真、測量、写生の検閲は明治32(1899)年に長崎要塞地帯法ができてから始まった。大波止海岸は明治37(1904)年に埋...