富士宮市上井出にある白糸の滝を遠くから全容がわかるように撮影したもの。高さ20m、幅200mの湾曲した絶壁の新旧の溶岩層の間から湧き出した数百条の細い滝となって滝壺に落ちる。滝の水は芝川(しばかわ)となって富士川に注ぐ。昭和11年(1936)に国の名勝天然記念物に指定された。Distant view of Shiraito Falls. Water wells up from the 20 meter-high lava bed which stretches for two hundred meters, and spills over as hundreds of "white threads" into the basin below. The water creates Shiba River and flows into Fuji River. These falls were designated as a National Scenic Spot in 1936
富士市田子ノ浦港(吉原湊)奥の沼川(ぬまがわ)河口から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。富士山と宝永山の位置関係から乾板を裏焼した写真と思われる。左手の石積みは石水門の一部か。土手には丸太...
明治13年(1880)の小林清親画「箱根底倉湯本萬年橋」に描かれた蛇骨川(じゃこつがわ)と同じ場所を写したもの。アングルから言って萬年橋の上から撮影したとすれば、橋が架設された明治6年(1873)から...
木曽八景の一つ、小野の滝。花崗岩の岩盤にかかるこの滝は、中山道・須原付近(現長野県木曽郡上松町)に位置しており、広重・英泉の『中山道六十九次』にも描かれている。The Ono Falls, one o...
富士宮市上井出にある白糸の滝をやや近くから撮影したもの。富士山の雪解け水が絶壁で断ち切られ、新旧の溶岩層の間から湧き出して数百条の細い滝となって滝壺に落ちる。雌滝は写っていない。滝の水は芝川(しばかわ...
堂が島温泉の調べの滝と、滝の前の橋に立ち並ぶ嶋周吉氏一族の写真である。橋の中央の子供が、嶋周吉の兄元吉氏の孫の一寸木仙太郎氏。嶋写真館の前身は堂が島温泉の江戸屋であった。調べの滝は今、対星館にある。S...
江戸時代からの行楽地で、熊野大神を紀州から移した熊野神社(現新宿区中央公園内)を中心に、熊野の滝、十二社の池があった。温泉もあり、市中から日帰りできるので明治時代にも賑っていた。夏には水浴する人も多か...
湯ノ湖を水源とする湯川が戦場ヶ原を縦断し、中禅寺湖に流れ込む途中で、210メートルの岩盤を滑るように下る滝が龍頭滝。写真はその滝壺近辺を写したもの。奥日光三大名瀑のひとつであり、四季をとおして美しい姿...
布引雌滝。明治初期から中期にかけての撮影。彩色が異なるが、目録番号2807・4481・4682と同じ写真。雄滝から雌滝に続いたこの流れは、新生田川となって海に注ぐが、このあたりから下流にかけて、精米の...
那智には「四十八滝」という名称があり、多くの滝がある。その中で最も雄大かつ有名なのが「一の滝」とか「大滝」と呼ばれている写真の滝。ここは熊野三山の一つ、熊野那智大社が鎮座するが、これは大滝を神聖視する...
大谷川支流の荒沢川にある裏見滝は、華巌滝、裏見滝と並ぶ日光三大名瀑。元禄2(1689)年、この滝を訪れた芭蕉は、「暫時は滝に籠るや夏の初」の句を残した。不動明王が祀られている滝の裏側まで行けたが、写真...
樹木の様子から、明治24年(1891)滝ノ前遊園として整備される以前の玉簾(たまだれ)の滝と思われる。若い女性は、近くの旅館の従業員であろう。滝の水量は豊かで、関東大震災で半分が崩壊する以前の勢いのあ...
湯ノ湖から湯川に流れ落ちる湯滝。画面の上部に見える落ち口の後ろに湯ノ湖が横たわっている。岩盤を末広がりに滑るように落ちる湯滝は、湯川となって戦場ケ原を縦断し、途中で竜頭滝となって落ち、やがて中禅寺湖に...
奥湯本にある玉簾の滝である。かなり幅の広い滝であるが、現在は、震災で崩壊した後掘り起こしたので、流水は半分に減り、右側は水を電気で汲み上げて流している。明治22年公園として整備された以降の撮影である。...
富士市田子ノ浦港(吉原湊)奥の沼川(ぬまがわ)河口から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。富士山と宝永山の位置関係から乾板を裏焼した写真と思われる。左手の石積みは石水門の一部か。土手には丸太...
明治13年(1880)の小林清親画「箱根底倉湯本萬年橋」に描かれた蛇骨川(じゃこつがわ)と同じ場所を写したもの。アングルから言って萬年橋の上から撮影したとすれば、橋が架設された明治6年(1873)から...
木曽八景の一つ、小野の滝。花崗岩の岩盤にかかるこの滝は、中山道・須原付近(現長野県木曽郡上松町)に位置しており、広重・英泉の『中山道六十九次』にも描かれている。The Ono Falls, one o...
富士宮市上井出にある白糸の滝をやや近くから撮影したもの。富士山の雪解け水が絶壁で断ち切られ、新旧の溶岩層の間から湧き出して数百条の細い滝となって滝壺に落ちる。雌滝は写っていない。滝の水は芝川(しばかわ...
堂が島温泉の調べの滝と、滝の前の橋に立ち並ぶ嶋周吉氏一族の写真である。橋の中央の子供が、嶋周吉の兄元吉氏の孫の一寸木仙太郎氏。嶋写真館の前身は堂が島温泉の江戸屋であった。調べの滝は今、対星館にある。S...
江戸時代からの行楽地で、熊野大神を紀州から移した熊野神社(現新宿区中央公園内)を中心に、熊野の滝、十二社の池があった。温泉もあり、市中から日帰りできるので明治時代にも賑っていた。夏には水浴する人も多か...
湯ノ湖を水源とする湯川が戦場ヶ原を縦断し、中禅寺湖に流れ込む途中で、210メートルの岩盤を滑るように下る滝が龍頭滝。写真はその滝壺近辺を写したもの。奥日光三大名瀑のひとつであり、四季をとおして美しい姿...
布引雌滝。明治初期から中期にかけての撮影。彩色が異なるが、目録番号2807・4481・4682と同じ写真。雄滝から雌滝に続いたこの流れは、新生田川となって海に注ぐが、このあたりから下流にかけて、精米の...
那智には「四十八滝」という名称があり、多くの滝がある。その中で最も雄大かつ有名なのが「一の滝」とか「大滝」と呼ばれている写真の滝。ここは熊野三山の一つ、熊野那智大社が鎮座するが、これは大滝を神聖視する...
大谷川支流の荒沢川にある裏見滝は、華巌滝、裏見滝と並ぶ日光三大名瀑。元禄2(1689)年、この滝を訪れた芭蕉は、「暫時は滝に籠るや夏の初」の句を残した。不動明王が祀られている滝の裏側まで行けたが、写真...
樹木の様子から、明治24年(1891)滝ノ前遊園として整備される以前の玉簾(たまだれ)の滝と思われる。若い女性は、近くの旅館の従業員であろう。滝の水量は豊かで、関東大震災で半分が崩壊する以前の勢いのあ...
湯ノ湖から湯川に流れ落ちる湯滝。画面の上部に見える落ち口の後ろに湯ノ湖が横たわっている。岩盤を末広がりに滑るように落ちる湯滝は、湯川となって戦場ケ原を縦断し、途中で竜頭滝となって落ち、やがて中禅寺湖に...
奥湯本にある玉簾の滝である。かなり幅の広い滝であるが、現在は、震災で崩壊した後掘り起こしたので、流水は半分に減り、右側は水を電気で汲み上げて流している。明治22年公園として整備された以降の撮影である。...
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明治13年(1880)の小林清親画「箱根底倉湯本萬年橋」に描かれた蛇骨川(じゃこつがわ)と同じ場所を写したもの。アングルから言って萬年橋の上から撮影したとすれば、橋が架設された明治6年(1873)から...
木曽八景の一つ、小野の滝。花崗岩の岩盤にかかるこの滝は、中山道・須原付近(現長野県木曽郡上松町)に位置しており、広重・英泉の『中山道六十九次』にも描かれている。The Ono Falls, one o...