伊勢町の長崎聖堂の前辺りからのアングル。上流に向けて撮影している。近くには上野彦馬の邸宅があった。変わった形のこの石灯籠は現存しない。中島川と西山川との合流地点に同じような石灯籠が置いてある。An angle from the front of the Nagasaki Confucian Shrine in Ise-machi. The picture is taken facing upstream. Ueno Hikoma's residence was located nearby. This peculiar stone lantern does not exist today, but a similar lantern stands at the meeting point of Nakashima River and Nishiyama River
1864年頃、ベアトが撮影した高麗橋と八幡橋の写真。この上流左手が上野彦馬の邸宅になる。右手の白い蔵は画家木下逸雲の屋敷。逸雲は彦馬が日田の広瀬淡窓の門に入る時の保証人でもあった。整理番号28-29と...
写真は厳島神社の西側を流れる紅葉谷川の河口で大西町側から石燈籠やアカマツが茂る「西の松原」,遠くに水晶山を望む。川に突き出した基壇上に建つ石燈籠は寛政7年(1795)の建造で笠石に垂木表現を行った笠石...
整理番号38-11、38-12と同様、名勝「木曽の桟」の風景。整理番号38-12よりもさらに後方に引いて撮られたものか。左端には住居らしき家屋が、また中央川面には数人の人を乗せた小舟が見える。The ...
伊勢の宮の前に架かっている橋。現在は、コンクリート橋面の下に隠れている。橋の左手が伊勢の宮、右側が八幡町。背後の山は健山である。A bridge in front of Isenomiya Shrin...
1864年頃ベアトが撮影した中島川上流の風景。上野彦馬邸の前あたりから対岸を撮影したものである。このときベアトは彦馬宅に滞在したものと推測される。右側に写っている男性は魚釣りをしている。整理番号28-...
写真上部の建物は現在の富貴楼にあたる。現在は西山川と称されているこの川の周辺はこの写真の景観とは非常に異なっている。背後に写っている山は金比羅山である。The building in the uppe...
上流に向けて上野彦馬邸周辺の中島川を写している。ベアトが同じアングルで撮影した写真がある。(整理番号28-33)。左手奥の白壁の家が彦馬邸である。The Nakashima River near th...
中島川に架かる石橋の一つ。現在は形が変わっている。橋の袂に阿弥陀堂があるのでこの名がある。八幡町と伊勢町をつないでいる。この写真は高麗橋からのアングルと思われる。A stone bridge over...
手前に阿弥陀橋、奥に高麗橋が写っている。上流から下流に向かって撮影されている。近くには上野彦馬邸があった。Amida Bridge and behind it Korai Bridge. The pi...
中島川上流の蛍茶屋に架かる石橋、一の瀬橋をベアトが撮影したものである。左手の建物は茶屋。旅人はこの茶屋で休憩したのち後、日見峠に向けて左折して長崎街道へと向かった。この橋の写真としては最古のものである...
中島川に架かる一覧橋(手前)と古町橋(奥)。橋の上に街灯が見え、人力車、シルクハットの男等が写っている。左手の寺は光永寺。中島川に架かる石橋群の二つが写されている。The Ichiran Bridge...
石山寺(いしやまでら)の月見亭あたりから眺める瀬田川の流れ。平安時代後期には貴族の女性らに信仰され、後には西国三十三所観音霊場の第13番札所として庶民の信仰をあつめた。特にこの場所は近江八景(おうみは...
長崎市の市街地を流れる中島川の中流域の中川。河岸が変化に富み、冷泉が湧いていたことから、カルルスと呼ばれ、長崎市の景勝地となった。下流から上流を撮影した手彩色の絵葉書。明治後期頃。5155、5156は...
F.ベアトアルバムの写真である。相模川(馬入川)の支流中津川の中津川渓谷の宮ヶ瀬の風景である。当時、横浜から馬に乗って一日で行ける景勝の地であった。A photo from the album of ...
旧中山道は桜沢の風景(現長野県塩尻市)。右下に木曽川の流れが見える。当地では水田の多くが延徳沖の低湿地にあったため、開田が限界に達した江戸中期以降、度々水害に苦しめられた。A scene from S...
1864年頃、ベアトが撮影した高麗橋と八幡橋の写真。この上流左手が上野彦馬の邸宅になる。右手の白い蔵は画家木下逸雲の屋敷。逸雲は彦馬が日田の広瀬淡窓の門に入る時の保証人でもあった。整理番号28-29と...
写真は厳島神社の西側を流れる紅葉谷川の河口で大西町側から石燈籠やアカマツが茂る「西の松原」,遠くに水晶山を望む。川に突き出した基壇上に建つ石燈籠は寛政7年(1795)の建造で笠石に垂木表現を行った笠石...
整理番号38-11、38-12と同様、名勝「木曽の桟」の風景。整理番号38-12よりもさらに後方に引いて撮られたものか。左端には住居らしき家屋が、また中央川面には数人の人を乗せた小舟が見える。The ...
伊勢の宮の前に架かっている橋。現在は、コンクリート橋面の下に隠れている。橋の左手が伊勢の宮、右側が八幡町。背後の山は健山である。A bridge in front of Isenomiya Shrin...
1864年頃ベアトが撮影した中島川上流の風景。上野彦馬邸の前あたりから対岸を撮影したものである。このときベアトは彦馬宅に滞在したものと推測される。右側に写っている男性は魚釣りをしている。整理番号28-...
写真上部の建物は現在の富貴楼にあたる。現在は西山川と称されているこの川の周辺はこの写真の景観とは非常に異なっている。背後に写っている山は金比羅山である。The building in the uppe...
上流に向けて上野彦馬邸周辺の中島川を写している。ベアトが同じアングルで撮影した写真がある。(整理番号28-33)。左手奥の白壁の家が彦馬邸である。The Nakashima River near th...
中島川に架かる石橋の一つ。現在は形が変わっている。橋の袂に阿弥陀堂があるのでこの名がある。八幡町と伊勢町をつないでいる。この写真は高麗橋からのアングルと思われる。A stone bridge over...
手前に阿弥陀橋、奥に高麗橋が写っている。上流から下流に向かって撮影されている。近くには上野彦馬邸があった。Amida Bridge and behind it Korai Bridge. The pi...
中島川上流の蛍茶屋に架かる石橋、一の瀬橋をベアトが撮影したものである。左手の建物は茶屋。旅人はこの茶屋で休憩したのち後、日見峠に向けて左折して長崎街道へと向かった。この橋の写真としては最古のものである...
中島川に架かる一覧橋(手前)と古町橋(奥)。橋の上に街灯が見え、人力車、シルクハットの男等が写っている。左手の寺は光永寺。中島川に架かる石橋群の二つが写されている。The Ichiran Bridge...
石山寺(いしやまでら)の月見亭あたりから眺める瀬田川の流れ。平安時代後期には貴族の女性らに信仰され、後には西国三十三所観音霊場の第13番札所として庶民の信仰をあつめた。特にこの場所は近江八景(おうみは...
長崎市の市街地を流れる中島川の中流域の中川。河岸が変化に富み、冷泉が湧いていたことから、カルルスと呼ばれ、長崎市の景勝地となった。下流から上流を撮影した手彩色の絵葉書。明治後期頃。5155、5156は...
F.ベアトアルバムの写真である。相模川(馬入川)の支流中津川の中津川渓谷の宮ヶ瀬の風景である。当時、横浜から馬に乗って一日で行ける景勝の地であった。A photo from the album of ...
旧中山道は桜沢の風景(現長野県塩尻市)。右下に木曽川の流れが見える。当地では水田の多くが延徳沖の低湿地にあったため、開田が限界に達した江戸中期以降、度々水害に苦しめられた。A scene from S...
1864年頃、ベアトが撮影した高麗橋と八幡橋の写真。この上流左手が上野彦馬の邸宅になる。右手の白い蔵は画家木下逸雲の屋敷。逸雲は彦馬が日田の広瀬淡窓の門に入る時の保証人でもあった。整理番号28-29と...
写真は厳島神社の西側を流れる紅葉谷川の河口で大西町側から石燈籠やアカマツが茂る「西の松原」,遠くに水晶山を望む。川に突き出した基壇上に建つ石燈籠は寛政7年(1795)の建造で笠石に垂木表現を行った笠石...
整理番号38-11、38-12と同様、名勝「木曽の桟」の風景。整理番号38-12よりもさらに後方に引いて撮られたものか。左端には住居らしき家屋が、また中央川面には数人の人を乗せた小舟が見える。The ...