西の丸の戌亥(いぬい)、すなわち北西の隅を守る櫓。矩折れ(かねおれ=L字型)総二階造りという、珍しい構造をもっている。千貫櫓とともに、大坂城の現存古建造物のなかでは最も古いものに属する(1620年着工)。The turret protecting the northwest corner of Nishino Maru at Osaka Castle. It is shaped in the form of the letter L, and has two stories, a rare structure. It is one of the oldest buildings within Osaka Castle together with the Sennuki Turret (construction began in 1620)
江戸城の坂下門が壕の向こう側の左手に見え、右手には本丸辰巳三重櫓が見える。この写真が撮られた翌年の明治3年に火薬庫の爆発によって正面に見える多門壕と三重櫓は消失した。The Sakashita Gat...
整理番号40-20と同一写真だが、こちらの方がやや暗めである。築城後、宝永7年(1710)、宝暦2年(1752)に大改修が行われた。後者の際には、天守閣の土瓦が同瓦に葺き替えられている。The sam...
1 photograph, MS 196 Mac Suzuki Photograph Collection, MS196-0523.https://digitalcommons.library.tmc...
大坂城外堀に面する内側城壁と六番櫓を、現在の上町筋方面(外堀南西角)より望む。この高石垣に見られる勾配は、石材を規格化することによる新しい技法で、元和・寛永年間に登場した築城技術の特徴を示している。T...
追手門付近から大阪城外堀を撮影したもの。手前が六番櫓、奥が三番櫓(後戦災により焼失)である。整理番号2-9(目録第一集)の写真を参照。A picture of the outer moat of Os...
大坂城外堀に面する内側城壁と六番櫓を、現在の上町筋方面(外堀南西角)から撮影したもの。六番櫓は、高石垣との美しいコントラストで名高い。六番櫓奥には、修道館と豊国神社が位置している。A photo of...
名古屋城西北隅櫓を正面後方にのぞむ。西北隅櫓は、名古屋城の前に家康が築いた清洲城の小天守の古材を使用しており、名古屋城の中で最古の建築物である。外部三重、内部三階。左やや手前に、大棟に鯱を載せた天守閣...
小田原城の南曲輪西隅櫓で、明治3年(1870)末に取り壊される直前の写真であろう。"The Far East"明治4年(1871)12月1日に掲載。堀が畑に変わっているのは大政奉還で禄を失った藩士救済...
熊本城の東端千葉城から高石垣を廻らした本丸方向を見上げる。中央に大天守の上部、その右に裏五階櫓が写る。左上の北十八間櫓と右端の平櫓は、往時のままで残り重要文化財に指定されている。右下には県の出張所(郡...
仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区 第14地点 第2分冊 Samurai Residences around Sendai Castle (BK14) No.2- Excavation reports o...
左手に見えるのが本丸にただひとつ残された三重櫓、 富士見櫓である。 1657年の明暦の大火で天守閣が類焼した後、 この櫓が天守閣の代用とされた。To the left is seen the t...
日比谷御門の辺りから北の馬場先門方面を望む。右の長屋は因幡鳥取藩池田家上屋敷跡で、明治2年(1869)7月に兵部省、明治5年(1872)に陸軍省になった所。現在は丸の内3丁目で、帝国劇場や東京会館など...
江戸城の坂下門が壕の向こう側の左手に見え、右手には本丸辰巳三重櫓が見える。この写真が撮られた翌年の明治3年に火薬庫の爆発によって正面に見える多門壕と三重櫓は消失した。The Sakashita Gat...
整理番号40-20と同一写真だが、こちらの方がやや暗めである。築城後、宝永7年(1710)、宝暦2年(1752)に大改修が行われた。後者の際には、天守閣の土瓦が同瓦に葺き替えられている。The sam...
1 photograph, MS 196 Mac Suzuki Photograph Collection, MS196-0523.https://digitalcommons.library.tmc...
大坂城外堀に面する内側城壁と六番櫓を、現在の上町筋方面(外堀南西角)より望む。この高石垣に見られる勾配は、石材を規格化することによる新しい技法で、元和・寛永年間に登場した築城技術の特徴を示している。T...
追手門付近から大阪城外堀を撮影したもの。手前が六番櫓、奥が三番櫓(後戦災により焼失)である。整理番号2-9(目録第一集)の写真を参照。A picture of the outer moat of Os...
大坂城外堀に面する内側城壁と六番櫓を、現在の上町筋方面(外堀南西角)から撮影したもの。六番櫓は、高石垣との美しいコントラストで名高い。六番櫓奥には、修道館と豊国神社が位置している。A photo of...
名古屋城西北隅櫓を正面後方にのぞむ。西北隅櫓は、名古屋城の前に家康が築いた清洲城の小天守の古材を使用しており、名古屋城の中で最古の建築物である。外部三重、内部三階。左やや手前に、大棟に鯱を載せた天守閣...
小田原城の南曲輪西隅櫓で、明治3年(1870)末に取り壊される直前の写真であろう。"The Far East"明治4年(1871)12月1日に掲載。堀が畑に変わっているのは大政奉還で禄を失った藩士救済...
熊本城の東端千葉城から高石垣を廻らした本丸方向を見上げる。中央に大天守の上部、その右に裏五階櫓が写る。左上の北十八間櫓と右端の平櫓は、往時のままで残り重要文化財に指定されている。右下には県の出張所(郡...
仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区 第14地点 第2分冊 Samurai Residences around Sendai Castle (BK14) No.2- Excavation reports o...
左手に見えるのが本丸にただひとつ残された三重櫓、 富士見櫓である。 1657年の明暦の大火で天守閣が類焼した後、 この櫓が天守閣の代用とされた。To the left is seen the t...
日比谷御門の辺りから北の馬場先門方面を望む。右の長屋は因幡鳥取藩池田家上屋敷跡で、明治2年(1869)7月に兵部省、明治5年(1872)に陸軍省になった所。現在は丸の内3丁目で、帝国劇場や東京会館など...
江戸城の坂下門が壕の向こう側の左手に見え、右手には本丸辰巳三重櫓が見える。この写真が撮られた翌年の明治3年に火薬庫の爆発によって正面に見える多門壕と三重櫓は消失した。The Sakashita Gat...
整理番号40-20と同一写真だが、こちらの方がやや暗めである。築城後、宝永7年(1710)、宝暦2年(1752)に大改修が行われた。後者の際には、天守閣の土瓦が同瓦に葺き替えられている。The sam...
1 photograph, MS 196 Mac Suzuki Photograph Collection, MS196-0523.https://digitalcommons.library.tmc...