一八世紀末のポーランド=リトアニア共和国の分割は、現在も大きな関心を呼ぶ反面、しばしば後世の価値基準で議論されてきた。本稿は、一八・一九世紀転換期のエリート層の分割の衝撃に対する反応を、遡及的な視点を排して同時代の文脈で考察する。まず、三度に及ぶ分割への反応と分割国への態度を検討し、多くの貴族による分割国への忠誠や新たな環境への適応を指摘した。次に、一八世紀後半の国家とネイションの関係をふまえつつ、分割後のエリート層による公的な行動を取り上げ、ポーランドの滅亡という悲観的な立場とネイションとしての存続を主張する楽観的な立場が併存していることを指摘した。最後に、連合国家を構成したリトアニアの政治的独自性がいつまで存続したのか、当時の考えを検討し、第三次分割以前にはリトアニアの主体性が認識されていたにもかかわらず、その後は政治的独自性に言及される機会が格段に減ったことが明らかとなった。The partitions of the Polish-Lithuanian Commonwealth at the end of the eighteenth century are a theme that still elicits great interest among historians today, but it is often argued in terms of support for Polish resistance to the partitions on the basis of later patriotic value judgements. In this paper, I consider the shock of the partitions on elit...