東北地方太平洋沖地震と大津波により引き起こされた東京電力福島第一原子力発電所の事故は,福島県の太平洋側に広く住民が帰ることを許されない地域を生んだ。そこには土地の歴史を物語る多くの文化財が取り残され,人の姿が消えて静まり返った町には暮らしに関わる全てのモノが置き去りにされた。このような状況を受けて,福島県では被災した文化財と震災そのものを物語る震災資料(震災遺産)という,ふたつの資料保全活動が進められてきた。原発事故の影響により多くの困難をともなった被災文化財の保全だが,個別的な活動から組織的な事業へと展開し,現在では各自治体を主体に大学や県との連携による活動へとシフトしている。さらに震災発生から3年が過ぎた頃からは震災資料の保全も行われるようになり,震災や原発事故をどう後世へ伝えていくべきかという議論も同時に進められてきた。被災地の博物館としては,これらの活動により保全した資料から地域をどう描き,未来へ伝えるかが問われている。今後,地域の歴史を語る際に震災や原発事故は欠かせないが,災害や被害のみを切り取ることでそれらを地域の歩みと断絶させてしまうのではなく,長い暮らしの営みのうえに位置づけることはひとつの大きな使命であろう。その一方で,保全した資料がもつ価値の醸成を,博物館や研究者に閉じ込めることなく地域へと開いていくことも求められる。博物館が資料収集や調査研究の成果を一方的に公表する場としてだけではなく,現物を介した双方向的なコミュニケーションの場という性格をもつことで,多様な震災像や地域像を守り伝えていくことができるであろう。The accident suffered by Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant of the Tok...