本稿は,甲州における近世初期検地帳による屋敷形態の分析を通じて,甲州街道の宿,市立を伴う新宿,善光寺町,甲府城下町,御師町など,中近世移行期の町場の空間構成について検討を加える。その事によって,従来,近世村落構造の解析にのみ用いられることの多かった検地帳を,中世末期に成立した都市的な場の空間分析の基本史料として活用する方法の重要性を提示したい。本稿で明らかとなった中近世移行期の町場の空間構成の特徴は以下の通りである。1)中世末の武田氏領内では,市立を伴う新宿の場合でも明確な計画性をもつ短冊型地割が検出されない場合があり,計画的な町割・屋敷地割は甲州街道の台ヶ原宿や善光寺町など重要な町場に限定されていた。短冊型地割については,近世初期には間口6間を基準として奥行30間以下が一つの基本形となっているが,中世段階に成立していた短冊型地割は,台ヶ原宿・善光寺町など総じて奥行30間を超え,間口規模については中世段階ではそれよりも狭い傾向が認められる。2)甲府城下町に関しては,周辺村落の検地帳の分析から惣構堀や町割の整備状況,戦国期城下町としての古府中の近世的な改変や新府中住民の移住状況などが明らかとなる。また,周辺部の町で慶長期に採用された計画的な屋敷地割は,広く在方町場の整備にも導入されたと考えられる。3)御師町に関しては,前屋敷・門屋敷のような従属的な住民階層を内包した複数の住民で構成される大規模な短冊型地割の存在が指摘され,中世末の宿における有力住民階層の屋敷形態の一類型として捉えられる。また,前屋敷の自立・分解過程には近世初頭の伝馬役負担や市立方式などが影響を与えていたと推定される。This paper seeks to clarify the character of spa...