金剛福寺は、四国最南端の足摺岬に位置し、観音信仰の霊場として知られる。鎌倉期、三度の回禄にもかかわらず、南仏上人らの勧進活動により再建された。荘園領主・一条家の奉加官米は沙汰人により幡多荘の村々から徴収されていた。金剛福寺は足摺半島一円はもとより、四万十川下流域に多くの寺領を寄進され、また、幡多荘本郷にある末寺・香山寺や観音寺、大方郷の飯積寺は、いずれも太平洋を臨む、山頂付近にあり、十一面観音菩薩を本尊としている。金剛福寺と末寺は、祈.寺としての宗教的役割を果たしただけでなく、年貢の収取や、四万十川下流域の水運を掌握し、年貢の京上請負等、社会経済的にも一条家の荘園支配を支える重要な役割をはたしていた。知行国勧進活動観音信仰船所胎内造像銘
宮澤賢治の生前評価について、先行研究では草野心平の主宰する雑誌『銅鑼』との繫がりや、草野と白鳥省吾との間で繰り広げられた等の関連から、反詩壇的なイメージが先行していたことは早くから指摘されている。しか...
源氏物語に見られる、前後に連接形式を持たない和歌挿入という表現形式が、伊勢物語にも見られることに再度注目し、近年土方洋一氏によって画賛的和歌と名付けられたこれらの表現について、最近の陣野英則氏の論、早...
本稿は、社会福祉専門職の養成教育終了後の継続教育(以下、卒後教育とする)の現状を整理し、卒後教育の枠組みを自己教育力概念から考察することを目的とする。我が国の社会福祉専門職は社会福祉士および精神保健福...
異熟(vipaka)は、有部経量部 瑜伽行派のいずれにおいても語られる概念である。有部においては六因の一つに異熟因(vipaka-hetu)があり、経量部においては因から果が生じる際の「相続の特殊な変...
本論文は本居宣長と悉曇学との関連を考察する。宣長は『古事記』の基は稗田阿礼の誦習の声であるとして音声を重視する。言語は音声であるとする言語観を江戸期音韻論の議論から獲得した宣長は、音声の持つ特質に注目...
本稿では,伊豆諸島にある八丈島と青ヶ島の巫者が行う死者の口寄せの事例を報告している。八丈島と青ヶ島ではミコと呼ばれる女性の巫者が,死者の口寄せを行う。これが「ナカヒト」や「ナカシト」と呼ばれた。当該地...
慶応三年(一八六七)十月十四日、将軍徳川慶喜は、土佐藩の建白に応じて、朝廷に「政権」奉還の上表を呈し、朝廷は翌十五日、これを許可した。上表提出に先立つ十三日、慶喜は在京四十藩の重臣、約五十名を二条城に...
軽太子をめぐる物語は『古事記』中でも、特に悲劇の様相を呈した物語である。密通からの皇位争い、その敗北・流刑、最後に軽太子と軽大郎女の心中が描かれ、その抒情性について様々に論じられてきた。それらの多くは...
「光明摂取文」と称される「一一光明徧照十方世界念佛衆生攝取不捨」は、『観経』第九観に説示される一文である。善導は『観経疏』において、この文を殊に重視し、念仏の衆生は阿弥陀仏の「光明」によって「摂取」さ...
日本の英語教育では、話法(speech)に関しては、直接話法(directspeech)と間接話法(indirectspeech)が主に教えられ、物語(narrative)の地の文との区別が困難である...
『伊曾保物語』は十六世紀後半、キリスト教の宣教師によって伝えられたイソップ寓話集の和訳本であり、国字文語体で書かれ、古活字本、整版本で出版され、一般に広く普及した書物である。この書物はイソポの伝記と寓...
本学では2007年9月に全学利用者に対するアンケート調査を行った。その結果を受けて利用者サービスの改善を進めてきたが,その後の利用者の満足度を図るべく2009年11月に2回目のアンケート調査を実施した...
『雨月物語』「蛇性の婬」の歌枕による舞台設定(紀伊国三輪が崎・佐野の渡り)は、当時の中世歌学に従った通念とは異なった国学(契沖『万葉代匠記』(精選本))の成果による歌枕考証を基にしつつ、その通念と国学...
快適な生活のためには、身体を自由に動かせることが必要です。膝が痛い、腰が痛いだけでも、生活の自由は奪われます。市場では、膝や腰の痛みに良いと暗示している「いわゆる健康食品」がたくさんあふれています。こ...
夏目漱石『京に着ける夕』(明治四〇年四月)は、漱石が朝日新聞に入社し、職業作家として最初に書いた小品である。これまでの研究史では、「随筆」として漱石の実体験と連動するかたちでの論及が主であったが、本論...
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本稿は、社会福祉専門職の養成教育終了後の継続教育(以下、卒後教育とする)の現状を整理し、卒後教育の枠組みを自己教育力概念から考察することを目的とする。我が国の社会福祉専門職は社会福祉士および精神保健福...