『伊曾保物語』は十六世紀後半、キリスト教の宣教師によって伝えられたイソップ寓話集の和訳本であり、国字文語体で書かれ、古活字本、整版本で出版され、一般に広く普及した書物である。この書物はイソポの伝記と寓話から成るが、寓話における教訓を、寓話に添えられた寓意から見てみると、大部分が、身近で実際的な「処世術」「処世訓」であることがわかる。また、『伊曾保物語』の伝記部にある、中巻の第一話「イソポ、子息に異見の条々」は全てが教訓であり、寓話に添えられた寓意と共通の内容のものもあるが、その中には仏教思想、儒教思想、忠君思想、孝の思想の影響を見ることの出来る部分がいくつかある。これらは『伊曾保物語』における教訓の日本化的変容といってもよいだろう。「イソポ、子息に異見の条々」を中心に『伊曾保物語』における教訓について考察する。『伊曾保物語』教訓寓
本稿は、社会福祉専門職の養成教育終了後の継続教育(以下、卒後教育とする)の現状を整理し、卒後教育の枠組みを自己教育力概念から考察することを目的とする。我が国の社会福祉専門職は社会福祉士および精神保健福...
幕末期、日本の技術者たちは西洋技術製品の国産化を目指した。その内の一つが、当時の最先端技術である電信機である。安政四年(一八五七)には佐賀藩、薩摩藩が電信機の製作に成功している。幕末の技術者たちはどの...
宮澤賢治の生前評価について、先行研究では草野心平の主宰する雑誌『銅鑼』との繫がりや、草野と白鳥省吾との間で繰り広げられた等の関連から、反詩壇的なイメージが先行していたことは早くから指摘されている。しか...
『伊曾保物語』は十六世紀後半、キリスト教の宣教師によって伝えられたイソップ寓話集の和訳本であり、国字文語体で書かれ、古活字本、整版本で出版され、一般に広く普及した書物である。この書物はイソポの伝記と寓...
異熟(vipaka)は、有部経量部 瑜伽行派のいずれにおいても語られる概念である。有部においては六因の一つに異熟因(vipaka-hetu)があり、経量部においては因から果が生じる際の「相続の特殊な変...
本稿では,伊豆諸島にある八丈島と青ヶ島の巫者が行う死者の口寄せの事例を報告している。八丈島と青ヶ島ではミコと呼ばれる女性の巫者が,死者の口寄せを行う。これが「ナカヒト」や「ナカシト」と呼ばれた。当該地...
慶応三年(一八六七)十月十四日、将軍徳川慶喜は、土佐藩の建白に応じて、朝廷に「政権」奉還の上表を呈し、朝廷は翌十五日、これを許可した。上表提出に先立つ十三日、慶喜は在京四十藩の重臣、約五十名を二条城に...
本稿は新卒学生に対する企業の採用活動が,どのような手法で行われているのかを質的調査によって検討したものである。本研究では,企業の人事担当者19 名にインタビューを行い,大企業/中小企業,採用倍率の高い...
本稿は,川崎医療短期大学において2009年度に新入生に対して実施した「日本語プレースメントテスト」の実施結果を報告することを目的とする.前回の報告では,川崎医療短期大学で2007年度,2008年度に実...
「光明摂取文」と称される「一一光明徧照十方世界念佛衆生攝取不捨」は、『観経』第九観に説示される一文である。善導は『観経疏』において、この文を殊に重視し、念仏の衆生は阿弥陀仏の「光明」によって「摂取」さ...
本稿では讃岐の三十九歳から四十一歳までの実人生を検証した。治承四年(一一八〇)に父頼政と兄仲綱とを失い、治承五年(一一八一)には皇嘉門院の崩御により、讃岐の身辺は急に寂しくなった。兼実息の良通と良經は...
軽太子をめぐる物語は『古事記』中でも、特に悲劇の様相を呈した物語である。密通からの皇位争い、その敗北・流刑、最後に軽太子と軽大郎女の心中が描かれ、その抒情性について様々に論じられてきた。それらの多くは...
『古事記』には、後に「天下」となる葦原中国と異界との間に二種類の「坂」が存在している。それは「黄泉ひら坂」と「海坂」であるが、いずれの「坂」も異界に赴く際は問題にされず、属するに戻る段階においてようや...
『雨月物語』「蛇性の婬」の歌枕による舞台設定(紀伊国三輪が崎・佐野の渡り)は、当時の中世歌学に従った通念とは異なった国学(契沖『万葉代匠記』(精選本))の成果による歌枕考証を基にしつつ、その通念と国学...
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