文化元(一八〇四)年に牛久宿で起きた牛久助郷一揆については、小室信介編『東洋民権百家伝』の第三秩に掲載されたことで世に出るまで、その地域ですらほとんど知られることがなかった。また掲載された後も、顕彰活動が起こることもなく、研究もいまだ地域的なものにとどまっているのが現状である。本稿は牛久助郷一揆の紹介と、義民として近代以降も活用されていくのに必要な条件について考察する。牛久助郷一揆牛久助郷騒動佐倉宗五郎東洋民権百家
文化元(一八〇四)年に牛久宿で起きた牛久助郷一揆については、小室信介編『東洋民権百家伝』の第三秩に掲載されたことで世に出るまで、その地域ですらほとんど知られることがなかった。また掲載された後も、顕彰活...
慈雲遵式は、天台第十六祖、寶雲義通の高足として、山家派に属する代表的な学匠である。しかし、慈雲遵式は表面上は山家派の立場に立ちながら、実際にはかかる山家・山外の論争に全く介入することなく、天台浄土教の...
明代に現れた神怪小説の代表作に、『西遊記』と『封神演義』がある。この両作品はいろんな点で類似するが、中でも注目されるのは、作中に挿入された詩詞に共通するものが少なからず見られることである。このことは、...
良寛の詩歌の中で和歌を取り上げる。良寛が最晩年に島崎木村家の庵で出合った貞心尼編の『はちすの露』から唱和編に注目したい。良寛の和歌は書や漢詩に比し評価は低かった。ひたすら和歌を学び良寛を師と呼ぶ貞心尼...
ヨルダン川の東岸で、洗礼者ヨハネによって洗礼を受けたイエススは、天から声によって、神の御子として宣言される。そして、直ちにユダヤ地方の荒地に追いやられ、そこ四〇日間サタンから誘惑を受けた。ヨハネから洗...
法然の法語について、その文献の学問的な信頼性を確保しなければ、内容や教義解釈に問題が生じる。その作業の一環として、今回は「つねに仰せられける御詞」を取り上げた。法然の代表的な和語の教説として有名な法語...
2003年5月より「健康増進法」が施行され,各機関,施設では,受動喫煙防止に向けて様ざまな取り組みが始まった。そのような時期に,本学の構成員を対象に喫煙・禁煙問題に対する意識調査を行った。その回答を分...
『日本書紀』等の諸書に見えるわが国の「斎宮」は複数の訓義をもつ汎用語である。中国の「斎宮」は皇帝祭祀や民間の水神祭祀に登場するも一貫して施設名である。日本へ受容される以前の中国古代の民間信仰にみる「斎...
日常の生活世界で何げなく使っている「諺」「格言」には、意義深い「世俗的教育視座」が潜在している。本研究の「Ⅲ」では「Ⅰ」「Ⅱ」と同様に、『ことわざ』(大辞典)を基礎資料として、教育・保育の視座を可視化...
六国史の中にみえる一切経の書写記事の中で、宇佐八幡のために書写された一切経についての考察を行い、その契機となった宇佐八幡の託宣と和気清麻呂をはじめとする和気氏との関係について考察を行った。その結果、宇...
折口信夫が、「反省の文学源氏物語」で説いたように、光源氏は、ある時点から自己の人生を反省し、それとともに、阿部秋生氏が「六条院の述懐」(『光源氏論』)で検証したように、半生を回顧し、述懐するようになる...
『雲介子関通全集』が昭和十二年に完成されて以降、江戸中期の高僧である捨世派関通の研究は飛躍的に拡大、発展を遂げた。全集は多くの研究者たちに支持され、関通研究における原典の役割を担ってきた。しかし、本全...
拡大しつづける現代社会にとって、いま最も必要とされるのは「知足」の理念ではなかろうか。本稿では、「足るを知」らなくなってしまった現状とその現状に対する危惧を素描しようとした。また、鎮信流茶道理念「知足...
坪内逍遥による寓意文『底知らずの湖』は、没理想論の原形として知られているが、単独で論じたものが少なく、論じられた内容も、印象批評的で考察が十分になされているとは言えない。本稿では、文中の表現に即して注...
室町期に行なわれた近江国百済寺の再建復興活動および勧進活動に際して作成された勧進願文を題材にしながら、願文にみえる創建譚を検討する。特に創建の逸話には、創建譚創出時の同寺を取り巻く社会的な状況が反映し...
文化元(一八〇四)年に牛久宿で起きた牛久助郷一揆については、小室信介編『東洋民権百家伝』の第三秩に掲載されたことで世に出るまで、その地域ですらほとんど知られることがなかった。また掲載された後も、顕彰活...
慈雲遵式は、天台第十六祖、寶雲義通の高足として、山家派に属する代表的な学匠である。しかし、慈雲遵式は表面上は山家派の立場に立ちながら、実際にはかかる山家・山外の論争に全く介入することなく、天台浄土教の...
明代に現れた神怪小説の代表作に、『西遊記』と『封神演義』がある。この両作品はいろんな点で類似するが、中でも注目されるのは、作中に挿入された詩詞に共通するものが少なからず見られることである。このことは、...
良寛の詩歌の中で和歌を取り上げる。良寛が最晩年に島崎木村家の庵で出合った貞心尼編の『はちすの露』から唱和編に注目したい。良寛の和歌は書や漢詩に比し評価は低かった。ひたすら和歌を学び良寛を師と呼ぶ貞心尼...
ヨルダン川の東岸で、洗礼者ヨハネによって洗礼を受けたイエススは、天から声によって、神の御子として宣言される。そして、直ちにユダヤ地方の荒地に追いやられ、そこ四〇日間サタンから誘惑を受けた。ヨハネから洗...
法然の法語について、その文献の学問的な信頼性を確保しなければ、内容や教義解釈に問題が生じる。その作業の一環として、今回は「つねに仰せられける御詞」を取り上げた。法然の代表的な和語の教説として有名な法語...
2003年5月より「健康増進法」が施行され,各機関,施設では,受動喫煙防止に向けて様ざまな取り組みが始まった。そのような時期に,本学の構成員を対象に喫煙・禁煙問題に対する意識調査を行った。その回答を分...
『日本書紀』等の諸書に見えるわが国の「斎宮」は複数の訓義をもつ汎用語である。中国の「斎宮」は皇帝祭祀や民間の水神祭祀に登場するも一貫して施設名である。日本へ受容される以前の中国古代の民間信仰にみる「斎...
日常の生活世界で何げなく使っている「諺」「格言」には、意義深い「世俗的教育視座」が潜在している。本研究の「Ⅲ」では「Ⅰ」「Ⅱ」と同様に、『ことわざ』(大辞典)を基礎資料として、教育・保育の視座を可視化...
六国史の中にみえる一切経の書写記事の中で、宇佐八幡のために書写された一切経についての考察を行い、その契機となった宇佐八幡の託宣と和気清麻呂をはじめとする和気氏との関係について考察を行った。その結果、宇...
折口信夫が、「反省の文学源氏物語」で説いたように、光源氏は、ある時点から自己の人生を反省し、それとともに、阿部秋生氏が「六条院の述懐」(『光源氏論』)で検証したように、半生を回顧し、述懐するようになる...
『雲介子関通全集』が昭和十二年に完成されて以降、江戸中期の高僧である捨世派関通の研究は飛躍的に拡大、発展を遂げた。全集は多くの研究者たちに支持され、関通研究における原典の役割を担ってきた。しかし、本全...
拡大しつづける現代社会にとって、いま最も必要とされるのは「知足」の理念ではなかろうか。本稿では、「足るを知」らなくなってしまった現状とその現状に対する危惧を素描しようとした。また、鎮信流茶道理念「知足...
坪内逍遥による寓意文『底知らずの湖』は、没理想論の原形として知られているが、単独で論じたものが少なく、論じられた内容も、印象批評的で考察が十分になされているとは言えない。本稿では、文中の表現に即して注...
室町期に行なわれた近江国百済寺の再建復興活動および勧進活動に際して作成された勧進願文を題材にしながら、願文にみえる創建譚を検討する。特に創建の逸話には、創建譚創出時の同寺を取り巻く社会的な状況が反映し...
文化元(一八〇四)年に牛久宿で起きた牛久助郷一揆については、小室信介編『東洋民権百家伝』の第三秩に掲載されたことで世に出るまで、その地域ですらほとんど知られることがなかった。また掲載された後も、顕彰活...
慈雲遵式は、天台第十六祖、寶雲義通の高足として、山家派に属する代表的な学匠である。しかし、慈雲遵式は表面上は山家派の立場に立ちながら、実際にはかかる山家・山外の論争に全く介入することなく、天台浄土教の...
明代に現れた神怪小説の代表作に、『西遊記』と『封神演義』がある。この両作品はいろんな点で類似するが、中でも注目されるのは、作中に挿入された詩詞に共通するものが少なからず見られることである。このことは、...