幕藩制国家の中で朝鮮との関係を司っていた対馬藩は、貿易に藩財政を依存していた。そして対馬藩は、外交・貿易船である送使の増設を朝鮮側に求めていた。その一環として要請された「権現堂送使」は、朝鮮との国交回復を藩に任せ、両国に平和をもたらした存在とされる東照大権現への供養を名目としたものである。本稿は、この権現堂送使に着目し、その新設交渉の過程から日朝関係における対馬藩と朝鮮側双方の立場を照射する試みである。東照大権現への供養という送使の名分には、幕府の承認を要するが、藩が独自に活用して財政の拡充を目指したことがまず注目される。対馬藩は一旦、朝鮮側と合意に至ったものの、幕府の承諾を得ることはできなくなり、結局権現堂送使の新設を諦めざるを得なかった。しかし、その後も対馬藩は、朝鮮との交渉において権現堂送使を建前とし、藩の利益に関わるその他の外交案件を達成する手段として活用していった。During the Edo period, the economy of Tsushima domain relied heavily on trade with Joseon. To increase trade volume with Joseon, Tsushima planned to establish additional annual ships 送使 that would be dispatched from Tsushima to Joseon and responsible for foreign diplomacy and trade. This article focuses on one such effort, the Gongendō 権現堂 annual ship tha...
明治二二年から二三年にかけて、皇室の経済基盤を強化する目的で膨大な官有地が御料地として編入された。しかし、早くも明治二〇年代後半からその処分が進められる。その理由については従来、皇室経済の合理化であり...
一二五〇年代以降、「鎌倉禅」が鎌倉幕府の庇護下で形成されるが、その契機は二つの政変(宮騒動・宝治合戦) に求められる。政変後、幕府は、鎌倉顕密仏教界の再編とともに禅宗保護を開始する。一方、幕府に先行し...
個人情報保護のため削除部分あり日清戦争による台湾領有は、台湾関係費の予想外の膨張をまねき、第二次松方内閣が地租増徴を決意する最大の直接的要因となった。地租増徴反対を唱える政党勢力もそれを推進せんとする...
本稿の課題は、幕末期長州藩における民衆動員と真宗との関係について究明することである。まず、欧米勢力の来航に対する海防に当たり、人々を国家に服従させ、進んで死に赴かせることを重視した村田清風は、そのため...
一九六二年一一月、松村謙三ら自民党内親中国派の努力で、「日中総合貿易に関する覚書」(LT貿易) が調印された。この協定は「準政府間貿易協定」とも言われ、日中間の政治、経済関係の改善、人的交流に大きく寄...
日中国交正常化については、既に多くの研究が行なわれている。しかし、先行研究の殆どは、外交の表舞台に立った政府首脳の政策決定過程に重点を置いており、外交の表舞台には出ない古井喜実ら自民党内親中派の役割が...
本稿は、従来不分明であった琉球使節の成立過程を明らかにすることで、近世琉球の地位の確定を論じるものである。寛永一一(一六三四) 年に京都に上った琉球人は、再検討の結果、先行研究にいう「恩謝使」ではない...
個人情報保護のため削除部分あり訂正あり(64巻3号p.458)西原借款で有名な西原亀三は日記とぼう大な文書を残している。本稿はその研究の一部で、大隈内閣末期を論じた別稿に続くものである。期間は寺内内閣...
宋朝は乾徳三年(九六五)以降川峡地域の統制を開始し、咸平年間(九九八~一〇〇三)には南方諸路の安定化を図ったが、澶淵の盟(一〇〇四)及び夏州の李氏勢力との和平締結(一〇〇六)までは、南方に力を傾注する...
二次大戰末期,蘇聯匆促對日宣戰,蘇軍隨即依〈雅爾達協定〉,兵分三路,佔據中國全東北(1945/8~1946/4)。扶植中共勢力進入東北(偶有壓抑),阻撓國民政府軍隊迅速進入該地區;藉以逼使國民政府「親...
本稿では、瀬戸内塩業者による直輸出運動の帰趨をアジア主義団体との関係に留意し跡づけることで、一九世紀後半における文明観流通の社会経済的背景を検討する。一八七〇年代後半に始まる運動は、当初幕末維新期以来...
近世初期の寺院政策については辻善之助氏以来の幕府権力による統制を重視する研究史がある。それに対して杣田善雄氏は寺院側の働きかけを前提とした対応であるとして一方的な統制という理解を否定するとともに、寺院...
河内国狭山池を享保六年(一七二一) から預所とした狭山藩北条氏を取り上げ、治水の局面において、享保期の所領錯綜地域・上方における幕藩領主の支配形態を、大名預所と幕府広域支配との関係から検討した。一八世...
経済専門雑誌『東洋経済新報』に拠って日本の対外拡張主義や保護貿易主義を批判した石橋湛山(1884-1973)は、1910年代から1930年代にかけて経済的自由主義と国際協調主義に基づき、日本の針路につ...
米市は重慶においては営利事業と公益事業の両面を合わせ持つ存在である。米市が公共奉仕を事業目的に掲げていたことが、外部から干渉が繰り返される大きな要因となった。六宝公所米市は、米幇会首の石栄椿からは差務...
明治二二年から二三年にかけて、皇室の経済基盤を強化する目的で膨大な官有地が御料地として編入された。しかし、早くも明治二〇年代後半からその処分が進められる。その理由については従来、皇室経済の合理化であり...
一二五〇年代以降、「鎌倉禅」が鎌倉幕府の庇護下で形成されるが、その契機は二つの政変(宮騒動・宝治合戦) に求められる。政変後、幕府は、鎌倉顕密仏教界の再編とともに禅宗保護を開始する。一方、幕府に先行し...
個人情報保護のため削除部分あり日清戦争による台湾領有は、台湾関係費の予想外の膨張をまねき、第二次松方内閣が地租増徴を決意する最大の直接的要因となった。地租増徴反対を唱える政党勢力もそれを推進せんとする...
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一九六二年一一月、松村謙三ら自民党内親中国派の努力で、「日中総合貿易に関する覚書」(LT貿易) が調印された。この協定は「準政府間貿易協定」とも言われ、日中間の政治、経済関係の改善、人的交流に大きく寄...
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本稿は、従来不分明であった琉球使節の成立過程を明らかにすることで、近世琉球の地位の確定を論じるものである。寛永一一(一六三四) 年に京都に上った琉球人は、再検討の結果、先行研究にいう「恩謝使」ではない...
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宋朝は乾徳三年(九六五)以降川峡地域の統制を開始し、咸平年間(九九八~一〇〇三)には南方諸路の安定化を図ったが、澶淵の盟(一〇〇四)及び夏州の李氏勢力との和平締結(一〇〇六)までは、南方に力を傾注する...
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明治二二年から二三年にかけて、皇室の経済基盤を強化する目的で膨大な官有地が御料地として編入された。しかし、早くも明治二〇年代後半からその処分が進められる。その理由については従来、皇室経済の合理化であり...
一二五〇年代以降、「鎌倉禅」が鎌倉幕府の庇護下で形成されるが、その契機は二つの政変(宮騒動・宝治合戦) に求められる。政変後、幕府は、鎌倉顕密仏教界の再編とともに禅宗保護を開始する。一方、幕府に先行し...
個人情報保護のため削除部分あり日清戦争による台湾領有は、台湾関係費の予想外の膨張をまねき、第二次松方内閣が地租増徴を決意する最大の直接的要因となった。地租増徴反対を唱える政党勢力もそれを推進せんとする...