本稿の目的は、天正十年(一五八二) 六月から同十二年七月までの間の羽柴秀吉と徳川家康の関係に留意する形で、秀吉の東国政策の内容や、それを規定した背景を明らかにしようとすることにある。 検討の結果、(1)天正十年六月の本能寺の変後、北条氏の動向に対処すべく、秀吉と家康が提携し、対家康戦開始前の秀吉が徳川攻めを目論んではいなかったこと。(2)天正十年冬以降の秀吉が、家康の取り組む『惣無事』、すなわち織田信長在世時の停戦状態への回帰を掲げて北条方と反北条方の停戦を実現せんとする無事に関与し、北条氏の版図拡大の動きを封じようとしたこと。(3)秀吉の『惣無事』関与後も北条方と反北条方の抗争が続き、結果、関東で新たなる戦争が起こる可能性が浮上したこと。(4)こうした事情や織田信雄の勧誘を背景として、家康が対秀吉戦に踏み切ることなどを明らかにした。The aim of this article is to clarify the content of Hideyoshi's policy toward the eastern provinces, togoku seisaku, and the background that determined it by focusing on the relationship of Hashiba Hideyoshi and Tokugawa Ieyasu during the period from the sixth month of Tensho 10 (1582) to the seventh month of Tensho 12 (1584). As a result of this study, following four points...
明治維新の主体を改革派同盟から直ちに論じたとき、成立した維新政権の階級配置との相違に直面する。その矛盾は、従来の諸論稿が、討幕派のもつとも重要な時期=慶応期に焦点を合せた具体的分析を行わずに、文久・元...
個人情報保護のため削除部分あり本稿は、重要な近代思想の一つとして昨今注目されつつある優生学が、一九三〇年代から十五年戦争期にかけての日本でいかなる位相にあったかについて論ずるものである。この時代には、...
昨年十一月、ハワイ大学東西文化センター、高等研究部における琉球史研究の一として「歴代宝案の解説」を執筆した。そのころ頼永祥氏の歴代宝案の紹介文‘Li-tai-pao-an, A collection ...
義和団事件いご日露戦争まで満洲の門戸開放をもっとも強硬に主張し、これによって米英と協力する立場にあった日本は、第二次桂内閣のもとで、実質的にそれを蹂躪する政策をとるようになる。その最初のあらわれは、一...
個人情報保護のため削除部分あり本稿の目的は、ビッドル来航時の日本側の対応、およびその後の洋式軍艦導入問題を分析することにより、弘化・嘉永期の海防政策とビッドル来航の意味を問うことにある。そのビッドルは...
従来の討幕派についての見解は、いわゆる長州藩『正義派』についての奈良本辰也氏の規定である郷士=中農層論を中心に論議が進められている。この奈良本理論には多くの批判がよせられているが、その基本点は必ずしも...
天正十三年(一五八五) 冬、羽柴(豊臣) 秀吉は島津義久に対し、九州における戦闘停止を命じたが、この出来事は秀吉の全国統一過程、すなわち戦国争乱の最終過程を論じる際に注目され、「平和」の実現を狙った政...
文禄四年(一五九五)の秀次事件に際して作成された一連の霊社上巻起請文は、この時期の政治史を扱う研究においては必ずといっていいほど取り上げられてきた。その取り上げ方は、重視するものとそうでないもの様々で...
個人情報保護のため削除部分あり本稿は、近世から近代への転換期である幕末期における日本の対朝鮮外交を検討する試みで、幕府の朝鮮政策の展開過程とその性格、機構上の改編の変化に重点をおいた。まず、政策の面で...
本稿は、足利尊氏・直義・義詮の文書発給以外の活動を「平時」と「非常時」「重大事」で対比して分析することで、初期室町幕府の政治体制を解明した。その結果、「尊氏は平時においては政務を三条殿直義次いで鎌倉殿...
P(論文)第2次世界大戦終結直後の『朝日新聞』は,対日講和後における日本の安全保障方式として,米ソ両国により安全を保障された「非武装中立」案を理想として掲げた。しかし米ソ冷戦の顕在化に伴い,米国政府は...
恩賞充行政策は、将軍の主従制的支配権の根幹で、かつ、南北朝初期室町幕府の最も重要な政策課題であり、恩賞充行の将軍下文には、執事施行状が付されて恩賞の実現に大いに貢献した。本稿では、執事施行状の発給機関...
個人情報保護のため削除部分ありここ数年、日本古代における道教の在り方に、関心が集っている。日本に伝来した道教が、神仙思想と道術を二大要素とする民間道教であったことはほぼ確実である。しかし、その実態につ...
寛永期 (一六二四-四四) の畿内幕領における農民支配は、二つの面からおこなわれた。その一は、夫役の徴収であつて、家と労働力を有する農民の殆ど全部が、幕府のもとに役家として編成された。その二は、貢租収...
個人情報保護のため削除部分あり/ 正誤表あり(57巻3号p.489)周礼に定められている施舎制度は、特別な人には力役を免除するものであるが、この恩典にあずかるものに賢者がある。この賢者は何かと言えば、...
明治維新の主体を改革派同盟から直ちに論じたとき、成立した維新政権の階級配置との相違に直面する。その矛盾は、従来の諸論稿が、討幕派のもつとも重要な時期=慶応期に焦点を合せた具体的分析を行わずに、文久・元...
個人情報保護のため削除部分あり本稿は、重要な近代思想の一つとして昨今注目されつつある優生学が、一九三〇年代から十五年戦争期にかけての日本でいかなる位相にあったかについて論ずるものである。この時代には、...
昨年十一月、ハワイ大学東西文化センター、高等研究部における琉球史研究の一として「歴代宝案の解説」を執筆した。そのころ頼永祥氏の歴代宝案の紹介文‘Li-tai-pao-an, A collection ...
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個人情報保護のため削除部分あり本稿の目的は、ビッドル来航時の日本側の対応、およびその後の洋式軍艦導入問題を分析することにより、弘化・嘉永期の海防政策とビッドル来航の意味を問うことにある。そのビッドルは...
従来の討幕派についての見解は、いわゆる長州藩『正義派』についての奈良本辰也氏の規定である郷士=中農層論を中心に論議が進められている。この奈良本理論には多くの批判がよせられているが、その基本点は必ずしも...
天正十三年(一五八五) 冬、羽柴(豊臣) 秀吉は島津義久に対し、九州における戦闘停止を命じたが、この出来事は秀吉の全国統一過程、すなわち戦国争乱の最終過程を論じる際に注目され、「平和」の実現を狙った政...
文禄四年(一五九五)の秀次事件に際して作成された一連の霊社上巻起請文は、この時期の政治史を扱う研究においては必ずといっていいほど取り上げられてきた。その取り上げ方は、重視するものとそうでないもの様々で...
個人情報保護のため削除部分あり本稿は、近世から近代への転換期である幕末期における日本の対朝鮮外交を検討する試みで、幕府の朝鮮政策の展開過程とその性格、機構上の改編の変化に重点をおいた。まず、政策の面で...
本稿は、足利尊氏・直義・義詮の文書発給以外の活動を「平時」と「非常時」「重大事」で対比して分析することで、初期室町幕府の政治体制を解明した。その結果、「尊氏は平時においては政務を三条殿直義次いで鎌倉殿...
P(論文)第2次世界大戦終結直後の『朝日新聞』は,対日講和後における日本の安全保障方式として,米ソ両国により安全を保障された「非武装中立」案を理想として掲げた。しかし米ソ冷戦の顕在化に伴い,米国政府は...
恩賞充行政策は、将軍の主従制的支配権の根幹で、かつ、南北朝初期室町幕府の最も重要な政策課題であり、恩賞充行の将軍下文には、執事施行状が付されて恩賞の実現に大いに貢献した。本稿では、執事施行状の発給機関...
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明治維新の主体を改革派同盟から直ちに論じたとき、成立した維新政権の階級配置との相違に直面する。その矛盾は、従来の諸論稿が、討幕派のもつとも重要な時期=慶応期に焦点を合せた具体的分析を行わずに、文久・元...
個人情報保護のため削除部分あり本稿は、重要な近代思想の一つとして昨今注目されつつある優生学が、一九三〇年代から十五年戦争期にかけての日本でいかなる位相にあったかについて論ずるものである。この時代には、...
昨年十一月、ハワイ大学東西文化センター、高等研究部における琉球史研究の一として「歴代宝案の解説」を執筆した。そのころ頼永祥氏の歴代宝案の紹介文‘Li-tai-pao-an, A collection ...