個人情報保護のため削除部分あり近世日本の朝鮮観については、主に朝鮮から江戸幕府に派遣された朝鮮通信使を通して論じられてきたが、その総体を把握するためには当時の社会における朝鮮に関する知識の多様な要素を検討する必要がある。本稿はそのひとつとして、これまで十分な分析がなされてこなかった神功皇后伝説の影響について考えるものである。 神功皇盾伝説は蒙古襲来を期に、朝鮮を畜生視する内容を伴うようになる。だが秀吉の朝鮮侵略後には、神国観の転換に規定され思想家レベルでは中世的観念を脱し、近世中期以降には『古事記』、『日本書紀』に基づいて朝鮮蔑視論が展開される。しかし民衆の祭礼、信仰などの世界においては、中世的な伝説・異境観により、朝鮮を犬、あるいは鬼と表現する蔑視観が存在した。これらは統治者、思想家の影響によるものではない、近世民衆独自の朝鮮観であり、そして近代初期の征韓論を支え、また明治国家が神功皇后を国民統合のシンボルとなしえた、社会的な背景でもあった。Studies of early modern Japanese perceptions of Koreans have, to date, centered upon the embassies dispatched by the Koreans to the Tokugawa bakufu. Such an approach oversimplifies, for a variety of factors shaped indigenous images of Koreans. The myth of Empress Jingu's subjugation of Korea proved particularly influenti...
植民地時代の朝鮮の知識人にとって京都はどのような表象であったかを、『東亜日報』『朝鮮日報』の京都関連記事を大阪・東京の記事と比較分析することによって明らかにしようとした。その結果、1.京都の文化領域記...
個人情報保護のため削除部分あり本稿は、幕府の対蒙古政策の歴史的性格を究明する試みで、その政治的・社会的背景に考察をしぼった。まず、蒙古国書に対する朝幕の対応の違いを比較し、幕府の「牒状無礼」=「返牒無...
十三世紀、モンゴル人が北中国の地を征服した時、モンゴル政権の内部に、強烈なモンゴル至上主義をふりかざす一派に対して、漢人および漢文化を保護しようとする文化主義の一派があつた。この文化主義派の中にも、二...
近世の由緒研究において、由緒を語る主体が、政治的な変動にどう対処したか、同一の由緒を持つ主体とどのように関係したかについては、未だ議論が尽くされていない。本稿では神功皇后を祭神とする山城国伏見御香宮神...
個人情報保護のため削除部分あり元老は慣例として形成され、後継首相推薦などの重要な国務について天皇の諮問を受ける役目を果たした。本稿は元老制度に関し、宮中関係者の手になる「徳大寺実則日記」などの史料を初...
英文タイトル訂正済み(72巻5号p.819による)西周末期に行われた鄭の「封建」は、周王朝の封建制の実態を知る上で貴重な実例となるものである。しかし、この西周末期から王朝の東遷期にかけての時代は、同時...
[[abstract]]受到俗文學傳播的影響,一個由歷史事件所改編的小說戲曲故事,隨時間變遷,不斷產生異動。本此研究以明末崇禎年間長平公主這一個歷史事件為核心,將其由清入民國後,多次轉化成戲曲、小說與...
十六世紀中葉からのヨーロツパ諸国との交流を契機として、天文学的理論・世界知識・世界地図などの分野を開拓されたわが国の地理学は、いわゆる蘭学の興隆によつて、地動説などのより新しい展開をみせはじめた。この...
自古以來,八咫鏡、草薙劍、八坂瓊勾玉之三種神器被視為日本王權的象徵。在日本文學中,關於三種神器的描述也不少。其實,關於鏡、劍、玉的記載在中國文學中早已出現,鏡、劍、玉各自背後皆有其涵義。另根據儒教...
論説(Article)戦後日本の代表的な朝鮮史研究者である梶村秀樹は,1970〜80年代の日韓関係を「日韓体制」と名づけたように,同時期の韓国の経済発展を日本との垂直的分業体制を基盤とする従属的近代化...
植民地時代の朝鮮の知識人にとって京都はどのような表象であったかを、『東亜日報』『朝鮮日報』の京都関連記事を大阪・東京の記事と比較分析することによって明らかにしようとした。その結果、1.京都の文化領域記...
奈良の言語研究者宮武正道は、従来マレー語の専門家と考えられていたが、残された旧蔵資料を見ると、彼がマレー語に至るまでに辿った「語学道楽」の跡が明らかになった。中学校時代、切手蒐集の延長として始めたエス...
本居宣長の『古事記伝』は、近代的な古事記研究の先駆として高く評価されているが、一方『古事記』そのものが大きく読み替えられ、作り替えられていく「神話の再解釈・再創造」の実践が見られる。それを象徴するのが...
本居宣長の『古事記伝』は、近代的な古事記研究の先駆として高く評価されているが、一方『古事記』そのものが大きく読み替えられ、作り替えられていく「神話の再解釈・再創造」の実践が見られる。それを象徴するのが...
一八世紀半ば以降、山陰地方の浄土真宗優勢地帯では、真宗門徒が小寄講を結成し僧侶を招いて法談を聴聞する活動が活発となる。この法談の場を通じて、僧侶たちは門徒に対し浄土真宗の神祇不帰依の宗風を遵守するよう...
植民地時代の朝鮮の知識人にとって京都はどのような表象であったかを、『東亜日報』『朝鮮日報』の京都関連記事を大阪・東京の記事と比較分析することによって明らかにしようとした。その結果、1.京都の文化領域記...
個人情報保護のため削除部分あり本稿は、幕府の対蒙古政策の歴史的性格を究明する試みで、その政治的・社会的背景に考察をしぼった。まず、蒙古国書に対する朝幕の対応の違いを比較し、幕府の「牒状無礼」=「返牒無...
十三世紀、モンゴル人が北中国の地を征服した時、モンゴル政権の内部に、強烈なモンゴル至上主義をふりかざす一派に対して、漢人および漢文化を保護しようとする文化主義の一派があつた。この文化主義派の中にも、二...
近世の由緒研究において、由緒を語る主体が、政治的な変動にどう対処したか、同一の由緒を持つ主体とどのように関係したかについては、未だ議論が尽くされていない。本稿では神功皇后を祭神とする山城国伏見御香宮神...
個人情報保護のため削除部分あり元老は慣例として形成され、後継首相推薦などの重要な国務について天皇の諮問を受ける役目を果たした。本稿は元老制度に関し、宮中関係者の手になる「徳大寺実則日記」などの史料を初...
英文タイトル訂正済み(72巻5号p.819による)西周末期に行われた鄭の「封建」は、周王朝の封建制の実態を知る上で貴重な実例となるものである。しかし、この西周末期から王朝の東遷期にかけての時代は、同時...
[[abstract]]受到俗文學傳播的影響,一個由歷史事件所改編的小說戲曲故事,隨時間變遷,不斷產生異動。本此研究以明末崇禎年間長平公主這一個歷史事件為核心,將其由清入民國後,多次轉化成戲曲、小說與...
十六世紀中葉からのヨーロツパ諸国との交流を契機として、天文学的理論・世界知識・世界地図などの分野を開拓されたわが国の地理学は、いわゆる蘭学の興隆によつて、地動説などのより新しい展開をみせはじめた。この...
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植民地時代の朝鮮の知識人にとって京都はどのような表象であったかを、『東亜日報』『朝鮮日報』の京都関連記事を大阪・東京の記事と比較分析することによって明らかにしようとした。その結果、1.京都の文化領域記...
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本居宣長の『古事記伝』は、近代的な古事記研究の先駆として高く評価されているが、一方『古事記』そのものが大きく読み替えられ、作り替えられていく「神話の再解釈・再創造」の実践が見られる。それを象徴するのが...
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一八世紀半ば以降、山陰地方の浄土真宗優勢地帯では、真宗門徒が小寄講を結成し僧侶を招いて法談を聴聞する活動が活発となる。この法談の場を通じて、僧侶たちは門徒に対し浄土真宗の神祇不帰依の宗風を遵守するよう...
植民地時代の朝鮮の知識人にとって京都はどのような表象であったかを、『東亜日報』『朝鮮日報』の京都関連記事を大阪・東京の記事と比較分析することによって明らかにしようとした。その結果、1.京都の文化領域記...
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十三世紀、モンゴル人が北中国の地を征服した時、モンゴル政権の内部に、強烈なモンゴル至上主義をふりかざす一派に対して、漢人および漢文化を保護しようとする文化主義の一派があつた。この文化主義派の中にも、二...